隠したい涙
「……突き落と……された、の……」
「……」
夏希の口から告げられた真実は、到底信じられないものだった。
突き落とされた、という言葉が示す行動は唯一つしかない。つまり、夏希は文字通り突き落とされたのだ。
誰あろう、亜希達に。
正直、信じられないことではあるが……不思議と夜は驚いていなかった。
言葉が出なかったのは、否、出せなかったのはどんな言葉をかければいいのかわからなかったからだ。
大丈夫だったか? だの大変な目に合ったんだな……だのそんな言葉をかけたところで意味などないに等しい。
優しさは美徳だし大切なことではあるが、時に人を傷付けることだってある。
だから、声をかけることが出来なかったのだ。
しかし、それだけでは夜が驚かなかった理由にはならない。
夜が顔色を変えることがなかった理由、それは予想していた答えの一つだったからだ。
正確に言うのなら、考え得る限り最悪な答えかつ、そうとしか考えられなかった答えだったから。
夏希を見つけた場所は、かなり見つけづらい場所だった。
所狭しと生い茂った木々に不自然に潰れた草花。何かが転げ落ちたような跡が残るちょっとした崖。ただ足を挫いたという説明では納得出来ない程の怪我に森の中を彷徨ったわけではないのに泥や草木でぼろぼろになった服と汚れた顔。
それらの状況証拠が揃っていたのだ。突き落とされたのではないかと思うのも無理はないだろう。
それでも、信じてたまるかと、そんなわけがないと、数多の可能性を模索した。
だけど、考えれば考える程に、予想すれば予想する程に、突き落とされたとしか思えなくて。
直接夏希に聞くまでは絶対に違うと信じたかったのだが……どうやら夜の予想は最悪な形で当たってしまっていたらしい。
先程、亜希達に問い詰めた時ははぐらかされてしまったが、決定的な証拠があれば自分の非を認めるかもしれない。
だが、夏希の証言が決定的な証拠になるかと言われると首を首を傾げざるを得ないだろう。
確かに、突き落とされた当人の証言だ。十分に証拠になり得るだろう。
だが、それは本当に突き落とされたのだという確証があってこその話。
夏希の虚言と言い張る輩が少なからずいてしまう以上、夏希の証言は証拠にはならない。
亜希達だって、朝木さんが嘘でも吐いてるんじゃないですか~? と言い張って誤魔化すつもりなのだろう。
……亜希達に自分の非を無理やりにでも認めさせる方法はあるにはある。
だが、その場では謝罪をしても反省をするとは到底思えない。どうせ、また同じ過ちを繰り返すだけだ。
「……ねぇ、ナイト」
「……」
「僕、やっぱり……ナイトみたいに強くなれないのかな? ナイトを守ってあげられないのかな?」
「お、俺は……」
夏希が思うほど強くないと言おうとして、夜は言葉を飲み込んだ。
強くないのは確かだ。だって、ただ強い振りをして自分も相手も騙しているだけなのだから。
けど、夏希はそんなことを言って欲しいのではない。
すでに強いだの、十分背中を任せられるだの優しい言葉をかけてもらいたいわけではないのだ。
「ナイトみたいに強くなりたくて、僕の力だけでどうにかしようと……した、のに……無理だった」
辛い時も苦しい時も、いつだって夜が傍にいてくれた。そのお陰で、今の自分がいる。
そんな夜に憧れて、同時に今の自分は夜の隣に立つに相応しいのかと不安になって。
だから、夜に迷惑をかけないように強くなりたかった。
いつも守られてばかりだから、今度は自分が夜を守れるようになりたかった。
けれど、ダメだった。
今回の一件が、自分の弱さを酷く痛感させてくれた。
一人じゃ何も出来ない程弱いということを。
「……ナイト。僕、まだ弱いから……ナイトに頼ってもいい?」
夏希の頬を、一筋の涙が伝う。
それは、辛くて苦しいから流れたのではなく、単純に悔しいから流れた涙なのだろう。
弱いままの自分が許せなくて、不甲斐なくて、夜に頼るしかない自分が悔しくて悔しくて。
そんな夏希の何とも言えぬ感情が、涙と変わって頬を伝ったのだろう。
夏希の切実な願いに、夜は。
「当たり前だろ?」
「……ありがと、ナイト。僕は大丈夫だから部屋に戻っていいよ?」
「……わかった。何かあったら呼んでくれ」
それだけを言い残し、夜はドアを開け部屋を出た。
「……うぅ……」
その瞬間、夏希の口から嗚咽が漏れた。
夜の前では絶対に泣かないと決めたばかりなのだ。涙は見せても、泣いている姿は見せたくなかった。
だからこそ、夜がいなくなったことで歯止めが効かなくなってしまったのだろう。
「……ごめん、なさい……ごめ、んなさい……」
一体、誰に対する謝罪なのか。それは、夏希にしかわからない。わかるはずもない。
だが、夏希が泣いているという事実に変わりはない。
「……くそっ……!」
ドアの前に立っていた夜は、行き場のない怒りに拳を握りしめる。
表情は前髪によって隠れているため、窺うことは出来ない。
ただ茫然と、しかし怒りに身を震わせながら、その場に立ち尽くすしかなかった。
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