二人きりになるために

「……おにいちゃんと二人きりになりたかった。おにいちゃんと離れたくなかったから理事長を説得して……なのに、おにいちゃんは夏希とずっと一緒にいる。カレー作りのときも、ドッジボールのときも。さっきだって夏希はおにいちゃんと一緒にいた。抱きしめられてた。優しくなでなでされてた。わたしはされたことないのに。だから、おにいちゃんが一人きりになるお風呂の時間なら、おにいちゃんと二人きりになれるって……」


 他人からしてみればたかが数日でも、あかりからしてみれば永遠にも等しい。


 一年間会えなかったことで蓄積された悲しい苦しいといった感情は、きっとどれだけの時間が経っても消えてくれないだろう。


 だからこそ、あんな思いはもうしたくないと、あかりは慎二に頼み込んだ。少し、強引というか若干脅迫染みていた気はするがそれはともかく。


 離れたくなかった、一緒にいたかった。だから、慎二に夜の同行を認めてもらった。


 なのに、夜は夏希とばかり一緒にいる。


 バスの席は隣同士になれたけど……言ってしまえばそれだけ。夜の視線は夏希に向いていた。


 飯盒炊爨のときだって、美優と志愛と一緒に作ったカレーを夜に食べてもらおうと思った時には夏希の隣にいた。


 ドッジボール大会のときだって、一人つまらなさそうにしていた夏希の傍にいた。


 それだけでも許せなかったのに、止めと言わんばかりに飛び込んで来た光景は。


 夜の胸に顔を埋め、泣きじゃくる夏希と。


 そんな夏希を抱きしめながら頭を優しく撫でつつも、瞳に怒りを宿す夜の姿だった。


 正直、気が気でいられなかった。夜と夏希が交わしていた会話を聞いていなかったら、無理矢理でも夏希を夜から引き剥がしてやるくらいには動揺していたし怒っていた。


 夜にとって夏希が、夏希にとって夜がかけがえのない存在だということは知っている。


 だからこそ、夜が夏希の言葉に本気で怒りを覚えたことも、そんなことを思わせてしまったことに罪悪感を抱いたことも、夏希を泣かせた相手に少なからず殺意を抱いたことにも気付いた、否、気付いてしまった。


 故に、あかりはただ見ているだけしか出来なかった。大好きな人が真剣な表情を浮かべているのに、邪魔なんて出来るわけがないのだ。


 悔しかった。辛かった。


 折角、一年間会えなかった夜に会うことが出来て、一緒の学校に入学出来て、二人暮らしを始めることが出来たというのに。夜はずっと夏希といた。


 何も、今日に始まったことではない。部活だって、夜と夏希はいつも一緒だった。


 二人きりになれる家でも、夜は基本的に構ってくれることはなく、夏希と通話しながら一緒にゲーム。


 それが、悔しくて、辛くて。それと同時に、羨ましくて、妬ましくて。


 だから、二人きりになれるこのタイミングを見計らって、あかりは行動を起こしたのだ。


「……ねぇ、おにいちゃん。そんなに夏希が大事なの? わたしよりも、大切なの?」


 あかりの瞳は不安に揺らぐ。答えを知りたいのに、答えを聞きたくないと怯えている。


 そんな顔をさせてしまったのは、すべて夜が原因だ。


 何も、夜はあかりに冷たく接していたわけではない。夜からしてみれば普通に接していたはずだ。


 だが、それはあかりにとっては冷たくされていたように感じたのだろう。夏希に対する夜の言動を比較すればそう思うのも無理はない。


 そもそも、夜が柳ヶ丘高校に入学したのは、幼馴染である梨花の父親――慎二が理事長を務めていたからではない。あかりが兄離れ出来るようにするためである。


 まぁ、あかりが無理矢理ナギ高に入学して来たことで兄離れなんて出来ていないと思い知らされたのだが。


 しかし、だからといって諦めたわけではなく、些細な抵抗を繰り広げていたのだが……それが仇となってしまったらしい。あかりとあまり話さないようにしていたのはそういう理由があったからなのだ。


 だから、あかりが大事じゃない、大切じゃないというわけではないのだが……今のあかりに言っても聞く耳なんて持たないだろうし、言うつもりなんかない。そもそも、言えるわけがない。


 変に期待を持たせてしまえば、希望を抱かせてしまえば、兄離れなんて永遠に出来なくなってしまうが故に。


 だから、夜は……。


「……どっちも大切に決まってんだろ。あかりは妹だし、夏希は盟友だ。比べられるはずがない」


 ただ逃げているだけなのかもしれない。優柔不断だと言われるかもしれない。


 それでも、夜は同じことを言う。何度も聞かれたって、何度も同じことを言うのだろう。


 どっちが大切かなんて、決められるわけがないのだから。


「……じゃあ、なんでおにいちゃんは夏希の隣にいるの?」

「……夏希が盟友だから」


 それ以外に理由なんていらないのだ。


 助けたいのも、一人にさせたくないのも、すべては夏希が盟友だから。それ以上も以下もない。


「それに、今の夏希を一人には出来ない……」


 夏希が突然あんなことを言いだしたのには、必ず何かしらの、相応の理由があるはずだ。つまり、外的要因があったということになる。


 そんな状況なのに、夏希を一人に出来るわけがない。ずっとは無理だとしても、極力一緒にいるくらいは出来るはずだ。


「……夏希がいじめられてるから?」

「あぁ。あかりは心当たりとかあるか?」

「ううん、ない……」

「そっか。夏希に聞くのが一番手っ取り早いとは思うんだけど……傷口に塩塗りたくないしな……」


 泣いてしまうほど、辛い目に合った夏希に、その原因を聞くほど落ちぶれてたつもりはない。


 夏希から話してくれるまで、夜は一切その件に触れないと決めたのだ。それまでは、自力で夏希を泣かせてくれやがった野郎を見つけるしかない。


「……あかりも、何か気付いたことがあったらすぐ教えてくれ」

「そしたら、おにいちゃんはわたしと一緒にいてくれる?」

「……わかったよ」

「言質取ったからね、おにいちゃん」


 心の底から……とはいかなくとも、嬉しいことに変わりはないのか、笑顔を浮かべるあかり。


「……それで、いつになったらあかりはここから出ていってくれるんですかね……」

「わたしが満足するまで?」

「際ですか……」


 結局、あかりが満足してくれるまで、夜が湯船から出ることは出来なかった。




「……うぅ、気持ち悪い……」


 あかりのせいで長い間湯船に浸かっていた夜は、案の定というかやっぱりというか……のぼせてしまっていた。


 それ故に、何もする気が起きず――何をするにしても一人なので結局何も出来そうにないが――更には言葉通り気持ち悪いので、ベットに寝転がっていたのだが……。


 ベットの上でだらぁんとしていたら、コンコンとノックの音が。ふと時計を見れば、短針は九を指し示している。高校生にとっては早すぎる時間かもしれないが、既に消灯時間だ。


 別に消灯時間と言っても名ばかりで、部屋から出ずに部屋で静かにしているのならいつまで起きていてもいいらしい。というか、ダメだとしても消灯時間通りに眠る人なんて滅多にいないとは思うのだが。


 まぁ、そんなことはさておき。


 消灯時間ともなれば、訪れる人物は限られてくる。


 部屋から出られない――出ようと思えば出られるとは思うけど――あかりと夏希は違うだろうし、先生達が夜に用があるとは思えない。まぁ、見回りを任されるとかはありそうだけど。


 かといって、唯一あり得そうな慎二も寝ている頃だろう。夕食時に堂々と酒を嗜んでいたのだ。その場で寝ていたということは相当酒に弱いのだろうし、わざわざ部屋にまで運ばされ……運んだのは夜なのだ。起きる気配はなかったから慎二ではないだろう。


 訪問者が益々わからない。怪奇現象かもしれない。


 だが、そんなことで悩んでいるのなら見た方が早いだろう。百聞は一見に如かずというし、百回悩むより一回見れば解決するだろう。


 夜は覚束ない足取りでドアへと向かい開けた。


 そこには。


「……ナイト、一緒に寝てもいい?」


 うさぎの尻尾のようにもふもふとした可愛らしい水色のパジャマに身を包んだ夏希が立っていた。

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