自分と彼の箱庭


「さっむ」


酒とつまみを調達した帰り道。街灯が少なく、舗装されてない慣れた道。今夜は特に冷える。雪の降りそうな冷たいにおい。好きなフレーバーの煙草に火をつけ、深く吸い込み、ゆっくり吐き出す。息と煙が無駄にきれいな夜空へ白く溶けて、刺さるような気温の中ぼぅと、ちかちか忙しなく光る星を見上げた。遣り甲斐の無い仕事をこなして、趣味のネットゲームに身を浸す毎日に、はたして自分は生きているのだろうかと、このまま生きていても良いのだろかと、ふとした瞬間思う。


「すみません」


誰もいない自宅まで後数分と言う時、急に声を掛けられて、情けない変な言葉が喉から出てしまった。おそるおそる振り向くと、少し慌てた様子の男性がいた。驚かしてしまい申し訳無いと頭を下げられる。ああ誰だって驚く、暗い夜道いきなり声を掛けられたら。


「あの 猫を 見ませんでしたか 黒色で青い目の」

「ねこ」


どうやら逃げてしまった子を探しているらしい。がちがちだった警戒心を少しだけ解いて、おぼろ気に見えた顔へ視線を向ける。まだはっきりとは分からないけれど、見かけた事はないと思う。


「見てないです」

「そう ですか 分かりました 有難う御座います」

「どっから探したの」


煙草を携帯灰皿に入れた。去ろうとした彼がこちらを振り向く気配。自分でも柄じゃないのは重々承知で、しかし偶にはこうやって、退屈な時間を潰すのも悪くない。少しの沈黙の後、自宅からここまでと、自分がこれから帰宅する道のりを指差した。もしかするとご近所さんかもしれない。どうやら大きな荷物を落としてしまったらしく、開けていた窓から飛び出してしまったのだと。然しこんな視界の悪い、夜の街灯が少ない場所で黒猫探しとは。正直見付かる気がしないのだけど。自分は慣れている道だが、やはり彼は歩き難そうにしているので、石や草を除けながら進んでいると、気付かれたのか、ありがとうございますと。後ろから声がした。

教えてもらった名前を呼びながら数十分、寒さで耳が痛くなってきた頃。高い鳴き声が微かに聞こえた。その方向の茂みをゆっくり分けて行けば、光る目玉が2つ。手を伸ばした瞬間に、彼の胸へと飛び込んだ。良かった見付かって。寒さと疲労より感じる達成感。猫を抱き締める彼を改めて見ると、外灯の近くなのでやっと顔を確認できたが、やっぱり見た事が無い人だ、こんなきれいな顔は知らない。男に言うのもあれだけど、美人って言う表現が合う。住む世界が違いそう。軽く声をかけて帰ろうとした、瞬間に腕を引かれてしまって、またびくりとしてしまい、コンビニの袋を落としそうになる。そんな自分の様子に慌てたのか、謝りながら手を離して、「何かお礼をさせて下さい」と、抱いた猫と一緒に頭を下げる。ええ、別にそう言う目的じゃないんだけど。出来るだけ丁寧に断ると、困った顔でこちらを見る。そんな顔されたらこちらも困った顔になる。それにそうだ、自宅方向が一緒っぽいから、このままではめちゃめちゃ気不味くなりそうだ。


「  取り合えず行きましょう その子も寒そうだし」


「あ はい」


静かに歩き出せば、彼も隣を歩き出す。黒猫は腕の中で大人しくして、ごろごろと喉を鳴らしていた。横目でちらと見る。背は高いし肩幅もあるのに、雰囲気が柔らかい。何か話した方が良いのだろけど、そもそも対人スキルが0の自分には無理な事で。しかもさっき知った人だし、話題なんてふれないし。やっぱり気不味くなってしまった。舗装無しの抜け道から、多少整備された場所に出た時に、今まで口を開かなかった彼が、あの、と。もしかして猫を飼っていらっしゃるのですかと。


「昔 実家で飼ってました」

「やっぱり 探し方が手慣れていましたから」

「臆病な癖によく逃げる奴で ホント手を焼きました」

「でも可愛かったでしょ」

「かわいかった」


お互いくつくつ笑った。会って1時間も経っていないのに、実はまあまあの人見知りである自分をここまでほぐしてくれた、彼のやわさと猫は凄い。互いに動物を飼っていたので、先程までの沈黙が嘘のように、猫の話題から会話がずっと続いてしまった。こんなに話したのは久しぶりだ。と、そうこうしている間に、自分の住んでいるマンションへ着いてしまった。彼はぱちぱちと瞬いてこっちを見る。


「もしかして此方に」

「え ぁ はい」

「あはは 俺503」

「嘘 402」

「「まさかのご近所さん」」


うっすらこの付近に住んでいることは想像していたが、まさか同じマンションで、こんなに近いだなんて。聞けばバーテンダーをしているらしく、普通の会社勤めの自分とは真逆の生活スタイルなので、今まで顔を合わせなかったのも頷けるが。それにしても驚いた。と言うかバーテンダーとか、なるほど似合うわ。彼はこんな面白い事あるんだねと、この寒さを感じさせないくらいあったかく笑いながら、そうだと器用に猫を動かさないで、上着の内ポケットに手を入れる。小さいカードみたいな物を取り出すと、それを自分へと差し出した。


「オーナーに任せられている小さな店ですけど 良かったら来て下さい お酒は ああ 飲めますね」

「  自分酎ハイで満足する奴ですよ 勿体ない」

「だったら尚更です 何と 初回は俺のおごりです」


まさかこんな事になるとは。丁寧に受け取って、エレベーターへ乗り込んで、また猫の話をして、4階への扉が開く。おやすみなさいと言って軽く頭を下げると、猫の片手と一緒に手を振り、お休みなさいと返してくれる。エレベーターの扉が閉まる。手の中にあるお店の名前を見ると、読めない文字が書かれていて、これどこの文字だろう。スマートフォンに入力できる部分を打ち込むと、どうやらロシア語らしく、意味は黒猫だった。思わず吹いてしまい、暫くその場から(エレベーター前から)動けない。こんなに短時間でよく知らない人を好きになったのは初めてだ。目尻を拭いながら自室に向かうと、微かに上の階から扉の開閉音が聞こえて、それに向かってもう一度、おやすみなさいと呟いた。

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箱庭シリーズ(2人の箱) とりなべ @torinabe

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