第5話 合宿ですよ
「合宿ですか⁉」
ランニングを終えた冬華はその口をペットボトルから離し、驚いた様子で直樹を見つめた。師弟関係となった二人であったが、直樹が何かを教える前にやはり基礎体力を付けることが最優先であった為、今日も今日とてグラウンドを何週か走り、そこに聖騎士会の業務を終えた直樹が差し入れをするという形になっていた。
「そうだ」
「そ、それってお泊りですか? 枕投げとかするんですよね!」
「訓練目的だ。遊びに行くわけじゃないぞ」
そう釘を刺されて彼女は少し寂しそうに目を伏せる。
「そ、そうですよね。強化合宿ですもんね。ファミコンとか持っていってみんなでパーティーゲームするなんて駄目ですよね……」
「いや、古いだろう」
せめて最新のハードにしておけと思う直樹であったが、どちらにせよゲーム機を持っていっていいはずもないのでその言葉は呑み込んだ。
「それにしても早くないですか? まだ私たち、剣も握ったことありませんよ?」
「ああ、合宿の目的はそれだ」
「それ?」
自分で言っておきながら冬華は首を傾げる。
「騎士を目指す中でこのロングソードの扱いは避けては通れない」
そう言って直樹は自身の腰に帯刀するロングソードを軽く叩く。
「だが、近隣に一般人が居るこの学園で正規の騎士ではない学生、まして新入生が剣を振るうなど許されることではない。故に合宿という形で場所を変え、そこで最低限事故が起こらない程度に慣らすことが目的となっている」
「なるほどです」
滴る汗が夕日に煌めく。次第に陰る陽に、直樹は彼女に早く着替えてくるように指示する。
「夜はまだ冷える。さっさと汗を拭いて着替えてこい」
「あ、はい!」
彼女はバタバタと見た目うるさく更衣室の方へと走り去っていった。それを見送り、直樹は静かになったグラウンドで一つ息を吐き、石段に腰掛け少し落ち着く。
「騒がしい奴だ」
そう呟くもあまり迷惑に感じている様子は彼の表情から見て取ることはできない。それどころか彼はどこか穏やかな表情を浮かべており、楽しそうであった。
「どうだい、彼女は」
後ろから声をかけられる。
「秋か」
「ご名答だね」
振り返ることなく、それが秋だと分かるのは彼に話しかけてくるような人物が限られているからである。そうして少ない選択肢から当てられた彼女は彼の隣に並び、腰を下ろす。
「それで、今日も走り込みかな?」
「そうだな。基礎体力が足りていない以上、何を教えても無用の長物だろう」
「まあ、そうだろうね」
「用はそれだけか?」
そう彼が尋ねると、まさかと大げさに驚いた風を装い彼女は愉快気に口元を緩める。
「もちろんそれだけじゃないよ。一足先に出て行った君は知らないと思うけど、さっき先生が来てね、合宿所へ向かう際のバスの席が決まったんだ」
「もう嫌な予感しかしないな」
「君も知っての通りバスは男女別々で乗るよね。それで、引率の教員は男性ばかりだから必然的に男子のバスに彼らは乗車する。そうすると、バスの席が埋まってしまって君の分の席が余らないんだよね」
「……つまり、俺はお前と共に女子のバスに乗れと?」
嘆息交じりの彼の言葉に彼女はわざとらしく驚いた仕草を見せた。
「流石、会長様。察しが良いね」
「お前の機嫌がよければそうだろう」
彼は諦めたように項垂れる。とは言え、バスの中であれば皆座っているのだから過剰な接触はないだろう。そう考えれば、そこまで心配することではないのかもしれない。
「師匠、今戻りましたー」
バタバタと慌ただしい足音と共に冬華が校舎から現れる。
「あれ、紅葉さん?」
「やあ、頑張ってるみたいだね」
「ありがとうございます。はい、今日も頑張りましたよ、私は!」
秋の言葉に冬華は元気よく答える。
秋も二人と同じ寮に住んでいる。直樹と違い、共有スペースを活用している冬華はもちろん秋と話す機会が多く、どうやら仲が良いようであった。
「何分走ってるんだっけ」
「二十分です。でも最近はだんだん余裕が出てきたんです! 体力が付いてきたんでしょうか?」
「うーん、どうだろう。すぐに成果が出るとは思えないけど、体を動かすことに慣れてきたんじゃないかな?」
「なるほど!」
そんな風に話していると、冬華の視線は秋の腰に帯刀された剣を見つける。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだい、改まって」
「師匠も紅葉さんも剣を持ってますけど、他に持ってる人をあまり見ないのはなんですか?」
確かに彼女のいう通り、この学園の騎士科に通う学生であっても剣を所持している者はほとんどいない。帯刀していると思えば教員ばかりで、直樹や秋の様に剣を携帯している学生は珍しく思えた。
「私も貰えるんですか?」
その質問は今更ではあったがこれから合宿に入り、自分も剣を振るうようになると知れば自然と意識もそこに向くのだった。
「いや、帯刀が許されるのは騎士だけだ」
そう直樹が答えるも冬華はピンとこず首を傾げる。
「私たちが所属する聖騎士会って言うのは実際には学園の組織じゃないんだよね」
「学園の組織じゃない?」
「そう、聖騎士会は言ってしまえば騎士団の支部のような組織なんだ。その運営に選抜した学生を採用しているだけでね」
「ということは、師匠と紅葉さんはもう騎士なんですか⁉」
「そうだ」
直樹がそう答えると、冬華はその瞳を煌めかせ二人に羨望の眼差しを向けた。
「すごいです! やっぱり師匠はすごかったんですね!」
「そりゃ、彼は学園最強の騎士様だからね。凄い存在で居てくれないと困るよね」
「そうだな……」
純粋な羨望と意地の悪い視線に呆れながら彼は立ち上がる。
「そろそろ帰るぞ」
「はい、師匠! 今日の夕飯は何でしょうかね?」
「知らん。俺は利用しないからな」
「師匠も一緒に食べましょうよ。寮母さんのご飯美味しいですよ?」
「いやー、冬華ちゃん。彼はね、最強を維持するために独自の食事メニューを考えているのさ」
「そうなんですかっ⁉」
「そうそう」
「……」
もちろんそんなことはないのだが、本当の理由を追及されるのも具合が悪い彼はあえて秋と冬華のやり取りに口を出すことはしなかった。
そうして寮までの道を歩き始めると、彼はどこからか浴びせられる視線を感じ取った。振り返りその視線の元を確かめよとするも、彼が見つめる先には誰もおらず彼は眉をひそめた。
「どうしたんですか、師匠?」
そんな彼の顔を不思議そうに覗き込む冬華。彼の視界を突然埋めるほどに近い彼女の瞳に彼はビクリと体を震わせ、飛び退いた。
「……なんでもない。それと、お前はいつも近い」
「そうですか? 普通だと思うんですけど……」
「普通の人間は数センチまで顔を近づけないだろう」
先ほどの視線が気になる直樹であったが振り返ればまた冬華に顔を覗き込まれてしまうので、彼は彼女たちの歩幅を共に帰路を歩く。
「師匠、おやつはいくらまでですか?」
「遊びに行くわけじゃないぞ」
「三百円までですか?」
「遊びじゃないぞ!」
そうして歩き去る彼らの背中を見つめる瞳。そこに込められた感情を彼らが知るのはもう少し先のことであった。
アスファルトの僅かな凹凸に直樹は座席と共に上下に揺れる。窓の外を高速で流れる景色は無機質なビル群から次第に色を変えていく。ついには一面を新緑に染め始めた風景を彼は頬杖を付きながら眺めた。
そんな静かで穏やかさを見せるバスの外の景色とは対照的に、騎士科の女子生徒が集うこの車内は姦しいを超えた騒々しさに包まれていた。車内を飛び交う調子の高い声に直樹はどうにも居心地の悪さを感じながら嘆息を漏らした。
「おや、どうしたのかな。ずいぶん具合が悪そうに見えるよ?」
バスの最前列、通路側の席に自身の荷物を置き、独り窓際に座る彼に秋は通路越しに声をかけた。その口元に浮かべられたにやけ面から彼女が言葉通りに彼のことを心配しているわけではないことは明らかである。
「師匠、大丈夫ですか? 私、酔い止め持ってますよ」
そう直樹の顔を心配そうに覗き込んだのは冬華であった。彼女は一つ後ろの座席から身を乗り出すようにしている。体の柔らかい彼女だからであろうか、座席の背にその体をクの字にもたれかかるものだからどうにも彼女の女性的な部分が主張してきて、彼は再び視線を外の景色に向けた。
「まさか師匠が乗り物に弱かったなんて、ちょっと意外ですね」
彼女は確かに彼を心配してはいたのだが、彼の青ざめた顔が乗り物酔いからくるものだと思っていた。
「最強の騎士様も三半規管までは鍛えることができないかったってことなのかな?」
というのも、秋が冬華にそう言ったからなのである。彼女は彼の困り顔を見て楽しんでいる節はあるのだが、彼の学園最強という地位を貶める気はないようでその辺りのフォローを度々行うことがある。
「師匠、後ろ回りすると乗り物に強くなるそうですよ! 昔テレビで見ました!」
「……そうだな」
数多の女子と閉鎖的な空間を共有するという現状は、まるで狼の群れに放り込まれた羊の様な恐怖を彼に与えていた。身を縮めた彼からは学園最強という威厳を全く感じることはできない。
「チョコとか食べますか?」
「……遠慮しておこう」
「そうですかぁ……」
故に彼は隠すのだ。騎士の威光を弱めぬために、最強の座が揺らいではいけないと。
「これから新入生強化合宿を始める」
バスから降り、合宿所へと辿り着いた直樹は新入生の前に立つ。宿泊施設の前に設けられた広場に整列する新入生たちを取りまとめるのは教員ではなく聖騎士会の二人であった。
「最初に釘を刺しておくが、お前たちはここに遊びに来たわけではない。騎士になるための力を身に付けるために来ている。それを忘れるな」
その立ち姿には確かに最強と称されるに相応しい風格を纏っており、だからこそ新入生たちは同じ学生であるはずの彼の言葉に神妙に耳を傾けているのだ。
「まずこの施設の管理者を紹介する。オーナーの白石さんと従業員の辻さんだ。この三日間は主にこのお二人のお世話になる。皆、挨拶しろ」
『よろしくお願いします』
直樹の言葉に応じて新入生は頭を下げる。それを何とも嬉しそうに白石と呼ばれた初老の男性は眺めていた。
「こちらこそよろしくね。今年も元気な子たちが入ってきたようでよかったねえ」
「お世話になります。この中から立派な騎士が排出できるよう、今年もご助力お願いします」
直樹はそう言って白石に頭を下げた後に再び新入生の方に向き直る。
「では、班長は白石さんから鍵を受け取れ。部屋に荷物を置いたら食堂へ向かい昼食を取る。その後、二時からオリエンテーションを始める。それまでに荷物の整理はしておけ。以上、解散」
その言葉に新入生たちは動き出す。白石の元へ新入生が集まっていくので、直樹は早々に端の方へ避難し遠巻きにその様子を眺めていた。
「お疲れ。調子はどうかな?」
「ああ、おかげ様で酔いは醒めた」
「それはよかった」
悪びれる様子もなく笑顔を浮かべる秋。
白石から鍵を受け取った新入生たちはどこか楽しそうに浮足立った様子で宿泊施設へと移動していく。その中で最も顕著な浮足の立ち方をしているのは冬華であった。
「師匠! いよいよですね!」
ようやく剣を握ることができるということもあってか、彼女はスキップ交じりに二人の元に駆け寄ってくる。旅行鞄をバタバタと揺らしてやってくる彼女の顔には満面の笑みが浮かべられていた。
「そうだな」
「やっぱり騎士と言えばロングソードですよね! ああ、でもレイピアも捨てがたい気もしますね。あのスラリと伸びた刀身は代えがたいですからね!」
「お前は騎士の剣をアクセサリーか何かと勘違いしているのか?」
「そ、そんなことはないですよ! でも、どうせならカッコいい剣を持ちたいのが乙女心というものじゃないですか」
「そんな物騒な乙女心を俺は知らん」
「女子高生の最先端ですよ!」
「鋭利な先端だな」
そんな風にして施設へと歩く生徒たちの流れの中で、辻と呼ばれた細目の若い男は能面のような笑みを浮かべ白石の隣に立っていた。去年の合宿ではいなかったその男は今年に入ってから雇ったという話であった。
「……」
直樹は彼を警戒気味に見つめる。
「どうかしたのかな?」
「いや、あの男は新しく雇われた従業員だろう」
「そうだね。それがどうかしたのかな?」
「いや……」
直樹の視線に気が付いたのか、辻はこちらに目を向け歩み寄ってきた。
「こんにちは、あなたが噂の会長さんですか?」
「噂というものは知らないが、俺が会長で違いない」
穏やかな調子で辻は直樹に話しかける。
「ああ、これは失礼しました。別に変な噂ではないんですよ。ただ、先月国際空港に現れたテロリスト数人を一人で制圧したという話を白石さんから聞いたので、どんな人なのかと思っていたんですよ」
「えっ! 師匠、あの事件でそんな凄いことしていたんですかっ⁉」
それは冬華が入学の準備をしている時期にテレビのニュースで流れ続けていた事件であり、それを騎士団が鎮圧したという話は彼女も確かに耳にしたものであった。
「辻さん、そう言う話は……」
けれど、目を煌めかせる冬華とは対照的に直樹の表情は険しくなる。
「ああ、失礼しました。言わない方がよかったですか?」
辻は少し慌てたように謝罪した。けれど、冬華は罰悪そうにする直樹の対応に首を傾げる。
「どうして、ダメなんですか?」
「機密事項だ。俺がテロリストに対応しているのは公表されていない」
「そうだったんですね。それは失礼しました」
辻は直樹の言葉に驚いた様子を見せ、再び頭を下げた。けれど、その言葉に冬華は不満だったようで、どこか機嫌悪そうに頬を膨らました。
「むー」
「冬華ちゃん、どうかしたのかな?」
「機密なのは分かるんですけど、師匠のやったことは褒められることなのになんだか悔しいですよ」
冬華は直樹が行ったという事実が公にならず、世間から彼が正当に評価されないことを残念に思うのだ。けれど、直樹はそれをあまり悪いとは感じていない様子であった。
「別に評価されたくてやってるわけじゃない。あくまで俺は騎士としての職務を全うしただけだ」
「でも……」
「それに騎士団の名声は確かに上がった。それが抑止力となり、犯罪が減るならそれでいいだろう」
その言葉に冬華は目から鱗が落ちたかのように目を丸くする。
「さ、流石、師匠! その通りですよね! 私が馬鹿でした」
「確かにお前は馬鹿だが、別段驚くことでもないだろう」
「酷くないですかっ⁉」
「いや、素晴らしいですね」
そんな彼の言葉に称賛を送ったのは冬華だけではなかった。
「僕も騎士を目指していた口なんですけど、やはり最強の騎士ともなると力だけでなく人格もできた人間なんですね」
「そんなことはないが……」
「またまたご謙遜を」
そう言われるも直樹は別段謙遜しているわけでもなく、ただただそれが騎士に求められる根底の思想だと思っているので、少し困った様子を見せた。
「では、僕は昼食の用意があるのでこれで」
そうして能面のような微笑を浮かべた辻は一礼の後、施設の方へと歩き去っていった。
「あ、私も荷物を置きに行ってきますね!」
そう言って再び肩に下げられた旅行鞄をバタバタと揺らしながら足音騒がしく走り去る。施設の中から聞こえてくる新入生の楽しげな声に二人は合宿の始まりを感じ取るのだった。
騎士学園のドン・キホーテ かきな @kakina
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