第4話 かくあるべきは騎士の姿

 体力測定の結果を職員室に提出した直樹は聖騎士会で保管する用のコピーを片手に聖騎士会室のパイプ椅子に腰掛ける。資料に羅列された体力測定の結果を眺め、直樹は嘆息する。背もたれに体を預けるとパイプ椅子の軋む音がして、それに反応した秋が彼の方に視線を向けた。


「流石会長、仕事熱心だね」


 一足先に帰ってきていた秋はわざわざ立ち上がり彼の対面の席に移動する。


「何を見てるのかな」


 そう言って身を乗り出した秋を遠ざけるように彼は手元の資料を彼女の方に押し付けた。


「見たいなら自分で見ろ」


「むぐっ」


 彼女は顔に押し付けられた資料を手に取り、乗り出した身体を戻した。


「なんだ、今日の体力測定の結果じゃないか。どうしてこんなものを君が熱心に見てたのかな?」


 そう言ってから彼女はそのページに記載された新入生の名前に気が付く。そこには伊吹冬華の測定結果がまとめられたページがあったのだ。


「なるほど、昨日の彼女を気にしてたんだね」


「お前は知っていたか?」


「何をかな」


「あいつが俺たちと同じ寮だということを、だ」


「もちろん。君は部屋から出てこないから知らないだろうけど、歓迎会をしたからね」


「そうか」


 言われてみれば当然だと直樹は思った。何のための共有スペースかと言われれば、寮生間の交流のためなのだから、そういった催しがされていてもおかしくはないと納得したのだ。


「それで、弟子にはしてあげたのかな?」


「分かってて言っているだろう」


「まあね」


 女性恐怖症の彼が女子生徒を弟子にするわけがないというのは、当たり前の話ではあったのだ。


「だが、しつこそうだったからな、この体力測定で十位以内であれば弟子にしてやると言った」


「ほうほう。それでどうなったのかな?」


「見ればわかる」


 そう言って直樹に指さされた資料を見て彼女は理解する。明確な順位こそ書かれてはいなかったが、軒並み低い測定結果が並んでいれば察しは付くというものだ。


「これはまた極端な成績だね」


「体が柔らかいのは利点だが、基礎的な筋力がない」


 直樹はそれにため息を一つ吐く。そんな彼を余所に彼女は資料に記載されていた冬華の身体データに目を通してふむふむと頷いた。


「確かに、彼女は柔らかそうなものを持ってるね」


「……そういうことではない」


「ちょっと間があったのは思い出していたからかな?」


「うるさいぞ」


 彼女の言葉に直樹は先ほど置き去りにした冬華のことが少し気になった。彼女の懸命さは認める所があった。大勢が涼し気な顔で更衣室へと戻る中で、彼女だけは汗にまみれていた。それは自分の限界を出し切ろうとしたものにしか見られないものだ。


「投球フォームを見れば体の使い方が上手いことは分かった。型を教えればすぐものにするだろう」


 そういったところで直樹は冬華を認めてはいるのだが、彼が彼女を弟子にしない理由は単純な話であった。


「だが、俺の弟子になるならせめて学年最強でなければいけない。そうでなければ、そいつが辛いだけだ」


 最強になれないから弟子にしない。一見それは傲慢な思考に見えるかもしれない。けれど、その根底にあるのは彼なりの思い遣りである。学園最強である自分の弟子となれば、周囲から求められるハードルは必然的に高くなり、越えられなくて当然の壁にぶち当たれば、周りから失望される。


「それが彼女を弟子にしない理由なのかな?」


「そうだ」


 秋は彼の言いたいことを理解しなるほどと頷いた。


「てっきり君の女性恐怖症が理由かと思ってたんだけどね」


 そして、彼が冬華の弟子入りを断る理由を確認し、秋は思い切り見下した視線を彼に向け、軽蔑するかの如く鼻で笑った。


「つまり君は自分が罪悪感を背負いたくないから優しさと言い張って逃げてるってことだね」


「逃げるだと?」


 秋の言葉に直樹は眉をひそめた。それは彼にとって心外な言葉であった。


「違うのかな。弟子にしたら彼女を辛い目に合わせてしまう。だから、彼女の熱意を無下にしたんだよね?」


「違う。俺はあいつのためを思って……」


「思ってたら違う結論になると思うけどね。騎士になりたいと真剣に願い、必死で勉強してこの学園にやって来た彼女の覚悟がどれ程のものかってことくらいね」


 秋の言葉に直樹は言い返すことができなかった。冬華は成績上位者としてこの学園にやって来た。それにはどれ程の努力が必要だったかが分からない彼ではない。その熱意も、その忍耐も、同じ経験をした彼には手に取るように分かるのだ。


 けれど、同時に彼は最強の弟子となることの重圧も分かる。それが学園最強という地位に立つ彼が抱えた憂いなのだ。


「覚悟だけではどうにもならない」


「そうだね。でも、そのどうにもならない部分を埋めてあげるのが師匠の役割じゃないのかな?」


 そう言いながら彼女は冬華の測定結果を眺める。


「それを学園最強の騎士さんが、荷が重いと感じちゃうならそれまでだけどね」


 棘のある言葉が直樹に刺さる。


「私は天才って言うのが大嫌いなんだよね。等しく努力してるのに届かない、それどころかどんどん距離を離される。熱意は評価されるべきだし、努力は報われるべきだよ」


 天才という言葉はどこか直樹に向けられているように見える。彼女にとって、直樹は天才であり、いくら努力しても追いつくことのできない相手なのだろう。


「私なら、君と違って彼女を弟子に取るよ。そして、彼女をこの学園最強にする。それができる自信が、私にはあるからね」


 そうして秋は資料を机の上に置き、立ち上がった。


「あ、学園最強じゃないね。私の次だから二番目かな」


 この場に出来上がった空気を茶化すかのように軽い調子で放たれた言葉であったが、その真意は別にある。


「今の君は最強には相応しくないかな」


 そう捨て台詞を残し、彼女は聖騎士会室から出て行く。一人残された部屋の中で、斜陽に色付く冬華の資料に直樹は目を落とす。


 握力もなく、脚力もなく、腕力もなく、持久力もない。


 結果だけ見てしまえば、誰が彼女を評価するだろうか。けれど、実際に彼女を見ていた直樹には人一倍の懸命さと努力の跡がその体力測定から伺えたのだ。


「相応しくない……か」


 自嘲気味に笑みを浮かべると直樹は立ち上がり窓の外に目を向けた。


「ん、あれは」


 夕日に照らされ紅く染まったグラウンドで影が一つ、白線で描かれたトラックを走り続けていた。


 それほど速くはない。けれど、止まることはなく、絶えず足を動かし続ける。下校する生徒に指をさされようとも、それを気にする素振りすら見せない。


「伊吹冬華……」


 そこで走っていたのはまだ体操着に身を包んだままの冬華の姿であった。直樹と別れてからずっと走っていたのだろうか、それは彼には分からない。けれど、その光景が彼を動かすに十分であったことは間違いなかった。


 彼は恥ずかしさに自身の顔を覆った。


「何があいつのためだ」


 彼はその光景に背を向けた。そうして帰り支度を終えた彼は。背中を照らす夕日に急かされるように聖騎士会室を後にしたのだった。


◇   ◇   ◇


「はっ、はっ」


 乱れて行く呼吸に限界を感じ、冬華は足を止めた。膝に手を突き肩で息をしていると、幾つもの水滴が地面へと滴り落ちていく。立ち止まれば考えてしまう。本当に自分は騎士になれるのだろうかと。この誰に優れるでもない体で誰かを救うことができるだろうかと。


「ブンブン、そんなことないです!」


 思考が深く暗い方へと向かおうとするのを彼女は頭を振って止める。


「ここまでは頑張れたんですから、ここからも頑張れるはずです!」


 そう自分に言い聞かせ、彼女は再び足を動かそうとする。けれど、力を込めるもその太腿が上がることはなく、根性ではどうにもならない限界が肉体に訪れたことを理解した。


「少し……休憩ですね、これは」


 彼女は重くなった体を引きずるようにして、グラウンドの端の階段に腰掛けた。息を整えようと大きく吸い込んだ空気は少し冷たく、顔を上げてみればすでに夕焼け空も夜空に青に染まり始めていた。


「ボー」


 呆けた様子で空を眺めていると、冬華の隣で一つ足音が止まる。それに気づいて彼女が顔を上げると、そこには同じように空を見つめる直樹の姿があった。


「し、ししょ……会長さん?」


「隣、良いか?」


 直樹は冬華の方に目を向けることなく尋ねる。


「え、あの、はいっ! もちろんです!」


 彼女は戸惑いながらも答える。それを聞いて直樹は彼女の隣、とはいっても一メートル程の距離はあるのだが、同じようにして石段に腰掛けた。


「あ、あの……」


 そう彼女が何か言おうとする前に、直樹は彼女に向けてここに来るまでに買ったペットボトルの水を放り投げる。


「わわっ」


 彼女は慌ててそれを受け取ろうとするが、汗で滑る手では難しかったようで短パンから覗く太腿の上に落ちる。


「はうあ」


 その冷たさに可愛らしい声を漏らす。


「差し入れだ。水分はきちんととれ」


「み、見てたんですか……」


 直樹の言葉に彼女は自分が走っていたところを見られていたことを察し、少し恥ずかしそうにする。


「ありがとうございます」


 そう言って彼女は受け取った水の封を開け、口を付けた。


「ゴクゴク」


 熱の籠った体に冷えた水が流れ込み、彼女は疲れが吹き飛ぶような心地よさを感じた。


「ぷはー、美味しいです!」


「そうか」


 一息ついた彼女に直樹は問いかける。


「あれからずっと走っていたのか」


「はい。私、ここに入るために勉強ばっかりしてたので」


 入学には筆記試験しか必要としない騎士科を目指すのにそれは正しい努力であった。その努力の結果が今の彼女であり、今の寮の割り当てという所に表れている。


「でも、やっぱり体力つけないと駄目でしたね」


 少し自嘲気味に冬華は笑う。


「どうして騎士になろうと思った」


 その問いかけに冬華は少し表情を暗くした。そうして少し躊躇いがちに口を開く。


「昔のことなんですけど、私、テロに巻き込まれたことがあるんです。家族で遊びに行った時のことなんですけど、その時、私は自力では逃げられなくて、建物の中に取り残されてしまったんです」


 冬華はその時のことを思い出さないようにか、詳細は語らない。けれど、直樹には彼女の陥った状況が何となくではあるが理解できた。


「ああ、私はここで死ぬんだって思えるくらいには絶望的で立ち尽くすしかなかったんです。足掻いたところでどうにかなる状況でもなかったんですけどね」


 当時の彼女がいくつであったかは分からない。けれど、なにか特別な訓練も受けていないであろう一般人がテロに巻き込まれて何かできることがあるとは思えない。彼女もそれが分かっているのだろう。


「朦朧として、暗くなっていく視界の中で私は見たんです。白銀の装束を纏って私の前に現れた騎士の姿を」


 それが彼女が『騎士』という存在を認識した瞬間だった。


「震るえる私の体をその大きな腕が優しく包んでくれて。それに私は、ああ、助かるんだって安心したんです」


 過去に想いを馳せる冬華。その横顔はどこか寂しげに映る。


「だから、私もあの騎士さんみたいに誰かを安心させる存在になりたいと思ったんです」


 救われた命、与えられた安心に報いたい。故に、次は自分が巣食う側に、与える側になりたいと彼女は望んだのだ。


「それで、弟子入りか」


「はい。でも、断られちゃいましたね。あはは……」


 冬華は寂しそうに笑う。


「秋……副会長には頼まないのか」


「ししょ、会長がいいんですよ。覚えてませんか、あの日のこと」


「あの日?」


 直樹には彼女の言う『あの日』というものがいつのことなのか分からなかった。心当たりがなさそうにする彼に、冬華はどこか嬉しそうに笑みを溢す。


「だから、師匠が良いんです」


 ついに言い直すことを止めた冬華であったが、直樹は彼女の言う意味が分からなかった。


「だって、人一人を助けたのに覚えてないなんて、助けることを当たり前のように思っていないと在り得ないですよ」


「助けた……お前を」


 そこで直樹はようやく思い出す。あの日、この学園の入試の日に駅から学園までの見回りを任されていた彼が落下する鉄骨を斬り刻んだことを。


「あの時の受験生か」


「あ、思い出してくれたんですね」


「そうか、受かっていたのか」


「そんなに馬鹿っぽく見えてたんですか?」


「そうではないが事故の後だ。実力は出し切れないだろう、と思っていたんだがな」


 そんな彼女がこの学園の成績優秀者であるのだから、その精神力を侮ることはできないだろう。


「いらぬ心配だったか」


「はい! いえ、むしろやる気が出ましたよ!」


「そうか」


 その冬華の熱に直樹は思わず笑みを浮かべた。彼の横顔を彼女は嬉しそうに見つめる。そんな視線に気づき、彼はようやくその視線を彼女に合わせた。


「どうかしたか」


「あ、いえ。なんだか師匠、元気がなかったように思えたので」


 ああ、そういうことか、と直樹は納得する。元気がないというよりは、少し自己嫌悪に陥っていたのだ。秋の言う通り、自分が冬華の覚悟や努力を無下にしようとしていたことに気付かされ、合わす顔もないのに彼女に会わなければならない自分が恥ずかしかったのだ。


「でも、なんだか元気になったみたいでよかったです!」


 気遣うべき相手に気遣われ、居た堪れなくなる直樹は再びその視線を暮れていく空に戻した。


「これからどうするつもりだ」


 そう尋ねられ、冬華は少し思案顔をした後に口を開く。


「まずは次の体力測定に向けて基礎体力作りですね!」


 冬華は勢いに任せて立ち上がり拳を作る。


「そして、今度こそは十位以内に入って、師匠に弟子入りを認めてもらいますよ!」


 自信に満ち溢れた表情をするも、直樹はそれを呆れ顔で眺める。


「次の体力測定は来年だ」


「はっ! それなら時間に余裕がありますね。もうこうなったら本当に一位を目指しちゃいますよ、これは!」


 一人盛り上がる冬華を尻目に直樹は嘆息を漏らす。


「来年、俺は卒業してるぞ」


「はうあ!」


 大げさなリアクションを取る冬華に、苦笑する直樹。これはこれからが大変だと、学園最強は思うのだった。

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