恐怖の黒髪切り
安良巻祐介
坊主峠には、昔から化け物が出るという噂があった。
若い女が道を歩いていると、何やらぞっとするような冷たい風。不安で足を速めると、ぱさり、と音がする。振り返れば、元結から切られた髪の一房が、誰もおらぬ峠道の上に落ちており――女は些か軽くなった己が頭に手をやって、悲鳴を上げて逃げ去る。
うら若き乙女の命ともいえる黒髪を無残に切り捨てるこの化け物は、江戸の頃から恐れられてきたが、幸い坊主峠が現代では人の往来の少ない、便利の悪い道となったこともあって、さほどの大きな騒ぎにはならずにいた。
しかし、興味本位の情報社会が、忘れ去られようとしていたこの怪異を、現代に蘇らせてしまったのである。
「恐怖!? 峠の髪切り魔」
そんな捻りのない謳い文句で以て放送された全国区の怪談番組は、取材に同行した新人女優のみどりなす麗しい髪が、その額から斜めにばっさりと切り落とされる瞬間と些か大げさな悲鳴をお茶の間に届けたことによって、坊主峠の名を一躍有名にした。
次の日から、テレビで見たという理由だけで各地から若者達が坊主峠にわんさと押し寄せ――そしてお定まりのように、皆例外なく、化け物の餌食となっていった。
見よ、今しもまた、自ら怪異の糧となりに来た若い女の一群が、峠に差し掛かろうとしている。
――なぜこの峠に?
「えーだってサ、今超熱い『峠カット』に乗り遅れるわけにいかないし」
「だよねー、昨日のTVでイチゴちゃんもとうとうやってもらったって!」
その手には、煌びやかな色彩で飾られた服飾雑誌があった。
「カリスマお化けの〝斬〟新スタイル!」というポップな字が、髪を側面から斜めに刈り取られたモデルの笑顔、ピースサインと共に躍っている。
熱っぽく、峠のオバケの大胆かつ狂いのない「カット」の手腕について語る彼女たちは、手に手に彼女たちなりの「お土産」と「お賽銭」(お化けに賽銭とは!)を携えて、くだんの逸話のあるあの寂しい――否、今はもはや寂しくない、即席の駐車スペースや屋台や、どこからか現れた交通整理などで賑やかにごった返す峠道へ、一刻も惜しいとばかり、足早に歩き去って行った。
…坊主峠の化け物が、その所業をぱったりと止めてしまったのは、番組の紹介からちょうど一年ほど経った頃であった。
突然の引退を嘆く多くの声と、これまでの仕事への誠意のこもったお礼の品が納められた祠の上には、あくる朝、短冊で次のような歌が残されていた。
「かりすまはうれしけれども
つかれたなどといふにいはれず」
恐怖の黒髪切り 安良巻祐介 @aramaki88
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます