第16話
今日はなっちゃんの入試結果が出る日だった。
冬の重たい雲が空を覆っている。今にも雪が落ちてきそうだった。
土曜日じゃないのに、僕は真耶の墓参りに来ていた。身を切るような風の中、花束を抱えて僕は坂道を上った。今日の花束は全て白い花にした。百合と菊と桔梗。この風と寒さでは、一日と持たずに萎れてしまうだろう。二月の平日、午前十時。こんな日に墓参りに来る人はめったにいない。霊園には僕以外誰もいなかった。風が強いせいで、ロウソクと線香になかなか火がつかない。墓石に手を当てると、氷のように冷たかった。
薄いシャツとジーパンにコートを羽織っただけだから、体はすぐに冷え切った。冷たい手を頬にあてる。体温を失くした手のひらは人形のようだった。温い血液が流れている感じがしない。このまま凍ればいい。血も肉も、心臓も。
お盆でも命日でもない平日に、ふらりとここに来たのは初めてだった。昨日なっちゃんから、合格発表を確認したらうちに来ると連絡があった。発表の時間は今日の正午。
結果がどうあれ、なっちゃんに会うのは今日で最後にしようと僕は決めていた。終わらせるなら今日だ。なっちゃんが合格していれば、その喜びで悲痛はある程度ごまかされる。舞い上がって僕のこともどうでもよくなるかもしれない。それに、本命に受かっていたら話を聞くという約束だ。告白してくるなら、それを断ればいい。
不合格なら、彼女はこの上なく落ち込むだろう。その状態で傷を上塗りすれば、おそらく彼女は強く抵抗できない。なっちゃんは第二志望の大学には既に合格しているから、進学は心配ないし、大学に入って環境が大きく変われば気持ちも切り替えやすい。
やっと解放される。僕と真耶の誓いを害する人間は、もう二度と現れないだろう。これからは本当に一人で、ひたすら苦痛を味わう人生を送ればいい。
これでいい。間違ってない。僕はちゃんと僕のルールに従っている。なっちゃんが近づいてきた時からずっと、こうするつもりだった。
ただ、何かが心の奥に引っかかる。
眠りにつこうとする時、かすかな物音がそれを邪魔するように。細い小さな棘が指の奥に刺さってしまったように。とても些細なことなのに、気にせずにはいられない。
この違和感はなんだ。今さら良心の呵責か?
僕は散々優しく近づいてきた人間を拒絶してきた。真耶のことを思えば、彼らの存在は本当にどうでもよかった。彼らを傷つけることにためらいはなかった。悲しげな顔を見ても心は痛まなかった。
なっちゃんは、彼らとは少し違う。真耶以外の人間という点では同じだが、僕にとって完全にどうでもいい存在ではなかった。なっちゃんは、少なくとも以前の僕にとってはある程度大切な子だった。真耶もきっと同じように思っていた。ただ彼女は、わかりあうには幼く、心が健やかすぎた。しかしその健やかさは彼女の長所であり、僕たちが持ち得ないものだった。なっちゃんは太陽だ。強引で強烈な、全てを照らす光。
僕は、なっちゃんにはこの世界で幸せになって欲しかった。彼女の道徳と倫理は、この世界においてとても正しい。あの子はこの世界で価値を見つけられる。この世界の人間だ。
真耶との誓いを邪魔しないでくれるなら、きっとここまで強く拒絶することもなかった。僕はなっちゃんに敵意があったわけじゃない。ただ好意がなかったというだけだ。なるべく円滑に僕の人生から退場してくれたら、それでよかった。それなのに。
なっちゃんはどこまでもまっすぐで、諦めるということを知らなかった。僕を好きだという淡い恋心だけじゃ、きっとここまでもたなかった。彼女の心を縛った鎖は、真耶との約束だ。重く気高い、使命にも似た約束。
僕を幸せにしてあげて、なんて。
「どうしてそんなこと願ったんだ。真耶」
うなだれるように、額を墓石につける。冷たい。この場所と真耶の意識に繋がりはないと言い聞かせながら、僕はいつのまにかここに真耶の気配を感じていた。
僕が知らなかった真耶の思いがある。なっちゃんの推測と、僕の推測。どっちが正しいのか。
「君は僕にどうなって欲しい」
最初の誓いどおり、無価値な世界に絶望し続けて欲しいのか。なっちゃんに託した願いどおり、幸せに生きて欲しいのか。わからない。真耶。どうか答えて。言葉で教えてくれ。なんで、どうして死んじゃったんだ。君が生きていてくれたら、僕もなっちゃんもこんな思いしないですんだ。もしかしたら本当に、三人でずっと一緒にいられたかもしれないのに。
「真耶」
それでも結局、僕は真耶を信じるしかなかった。
真耶との誓いが、僕の生きる全てだ。
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