第13話

 霊園での再会から二週間後の日曜日。

 やまとと奈月は昼食時を過ぎたファミリーレストランで待ち合わせていた。時間と場所を指定したのは奈月だ。やまとは言われるままに行動した。日曜に家を出ることなんて本当に久しぶりだった。

 その日も奈月は制服を着ていた。学校が始まったためか、真新しいブレザーが少し体に馴染んでいる。

 席に通されると、奈月はさっそく話し始めた。やまとが転院してからのこと。手紙のことに話が及ぶと、奈月は思い出したようにむくれた。

「本当に一回も返事くれなかったね」

「だから、そう言っておいたでしょ」

「読んではくれた?」

「一応、目は通してたよ」

 奈月は素直に嬉しかった。ちゃんと思いは届いていた。無駄じゃなかった。

 続けて、奈月は真耶と交わした約束について説明した。

 元気になったらやまとに会いに行くようにと頼まれたこと。会いに行った時に幸せそうに生きていないか確認して欲しいと言われたこと。幸せそうにしていたらそれをぶち壊してほしいと言われたこと。

「何かわからないことはある?」

「いや、特に」

 そうは言ったものの、やまとはとても困惑していた。約束の内容はわかった。ただ、なぜ真耶は奈月にそんなことをお願いしたのか。信用されていなかったということだろう。奈月はいわば保証人だ。やまとは多少なりともショックだった。先に真耶を裏切ったのはやまとだ。だから真耶が簡単に信用できないのも仕方ない。仕方ないけど。

 やまとは沈鬱な声で奈月に聞いた。

「それで、結果はどうだった?」

「結果?」

「今の僕は幸せそうに見える?」

 奈月は一度じっとやまとの目を見た。かつてどこまでも澄み切っていた瞳が、今は疲労に濁っている。奈月の視線に怯えるようにやまとは目をそらした。

「あまり幸せそうには見えないね」

 奈月は悲しげに言ったが、やまとはその返答に安堵した。

「そうか。じゃあ、もう君の役目は終わりだ。真耶との約束もちゃんと果たせて、よかったね」

 伝票を取り上げようと伸ばした手を、奈月がさりげなく遮った。

「まだ駄目だよ。私は、まだやまと君の今の状態をよく知らないもん。ただ顔色が悪いとか表情が暗いとか、そんな程度のことで幸せじゃないって決めるのは早いよ」

 それは納得できる意見だった。やまとは持ち上げかけた腰を下ろす。

「確かに、そうか」

 奈月は満足げにうなずいた。

「そうだよ。だからちゃんと確認させて」

 会話の主導権を完全に奈月にとられている。やまとはため息をついた。

「僕は何をすればいい」

「うーん。とりあえず今住んでるところを見せてよ。部屋を見れば生活の様子もわかるでしょ?」

 明るく言ってのける奈月に、やまとは顔をしかめた。自分の部屋に他人を入れたくない。実家に暮らしている時でさえ、やまとは自室に両親が入るのをいやがった。衛生的なことよりも、自分のスペースを他人に害される感覚が精神的に不快だった。

「写真とかじゃ駄目?」

「駄目。一部分だけ切り取っても全体の空気とかわからないから。私がこの目で確認する」

 結局奈月のペースに押し切られた。

 やまとは奈月を連れて自宅に向かった。その道のりの間、積極的に話しかけてくる奈月に、やまとはほとんど無視に近い対応をした。




「広いしきれいだけど、なんにもないね」

 やまとの部屋に入ると、奈月はまずそんな感想を述べた。

「もっとゴミとか洗濯ものとかでぐちゃぐちゃかと思ってた。掃除する余裕はあるってことだね」

「余裕じゃない。義務的にやってるだけだ」

「ふうん。まあ、いいけど」

 奈月はキッチンから風呂場まで細かくチェックして回った。掃除を怠りがちな水回りでさえ、ついさっき磨き上げたようにきれいだった。カーペットにも、髪の毛一本落ちていない。あまりにもきれいすぎる。

「もうわかっただろ」

 奈月が部屋に入ってから、やまとはずっとそわそわしていた。自分の部屋なのに所在無く玄関から部屋を行ったり来たりして、明らかに苛ついている。あえてマイペースを貫いていた奈月も、さすがに申し訳なくなった。

「わかった。今日のところはもう帰る」

「今日? また来るつもり?」

「うん。一日だけじゃ生活の様子なんてわからないよ。定期的に視察する」

 やまとはやってられないとでも言うように、どかりとベッドに腰を下ろした。

 きっと今までもそうやって、全力で他人を拒絶して来たんだね。

 奈月は思い出の中にある、やまとの人懐っこい笑顔を浮かべながら思った。やまとはことあるごとに奈月との接触を終わらせようとしていた。継続した人間関係なんて持ちたくないのだろう。だけどそれじゃいけない。なんとかして関係を続けなくちゃ。

「それから、毎日日記をつけてください」

「なんで」

 ベッドに座ったまま、睨むようにやまとが奈月を見上げる。

「平日は私も学校があるから、大学での様子とか見に行けないし、交友関係とかもわからないし」

「ないよ、交友関係なんて」

「じゃあそれを日記につけといて。毎週日曜日に私がここに来て確認する」

 奈月はそう言って鞄の中から一冊のノートを取り出した。日記用のものではなく、ふつうのシンプルなノートだ。やまとはそれをしぶしぶ受け取った。

「君も、変わったよ」

 何も書かれていないまっさらなノートをぺらぺらとめくりながら呟く。

「そうだよ。私は変わった。もう昔みたいに弱虫じゃないの。真耶ちゃんとの約束、絶対守るって決めたんだ。だから強くなった」

 奈月は自信に満ちた声で言った。小柄だが背筋がぴっと伸びているから、その小ささを感じさせない。強い信念が表れているように、瞳も輝いている。

 母親の背中に隠れてびくびくしていた少女の姿を、やまとは思い出していた。

 変わった。本当に。僕も、なっちゃんも。

 やまとは口元だけを歪めて笑った。

「僕からもひとつ要望がある」

 その言葉に奈月は少しだけ顔を明るくした。やまとから何かを要求してくるなんて、いい傾向かもしれない。言葉の続きを期待する。

「次からは制服を着てこないで。僕が女子高生をたぶらかしてるように誤解されるから」

 奈月は直後、真っ赤になった。さっきまで自信たっぷりに話していたのに、急にたどたどしく適当に別れを告げて、逃げるように部屋を出て行った。

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