67話
女性たちの会話はポンポンと毬遊びのように続いていく。肩の上にいたスカイが不思議そうに見上げているが、それすらも気づかないほどレイラはその場で硬直していた。
「まぁそうなの? 道理で見たことがないと思ったわ。グラスウォール王国の方なのね、あそこにいる人たちは」
「そうね。しかもあの服装……王国兵士の人たちではないかしら。こんな田舎街にも来るのなんて、初めてじゃない?」
「………だとしたらどうしてこんな田舎街に? こんな所にあの人たちの探し物はないでしょうに……」
「さぁ……どうしてかしらね………?」
ジワジワと布に水が染み込んでいくかのように身体が震えていくのが分かる。すぐ近くでその会話が聞こえてくるはずだが、どうしてか自棄に遠く感じた。
会話の内容が全く頭に入らない。いや、音として入ろうとしてもそれを拒絶しているように思える。まるで目に見えない耳栓がそこにあるかのように。
震えていく身体とは逆に、思考はぐるぐると頭のなかで渦巻いていた。
今のやり取りに対する疑問と焦り、それから恐怖心からなのか―――なかなかすんなりと考えが一つに纏まらない。そのせいでさらに思考はループをグルグルと繰り返している。
―――それでもこれだけは頭のなかで理解していた。
それは今すぐにここから逃げなければならない、ということ。その一点のみだ。
手をギュッと握り締め唇を噛みしめると、レイラはくるりと後ろへ方向を転換した。そして買ってきた荷物をもう一度しっかりと持ち、近くの細い道へとすぐに走って入った。その慌てぶりには肩に乗っていたスカイが落ちないようにとしがみついたくらいである。
途中でフードが頭からスルリとずり落ちて、隠していた長髪がふわりと風に
その輝きに目を奪われた町の人々が、波のように彼女のための道を作っていく。
そんな周りの様子に気づかないレイラは足を止めることはなく、さらにスピードを上げて走り続けた。
それに気付いたのかは分からない。だが、
「……っ!? おいっあの者を………………っ!!」
遠くで男の焦った声が聞こえた。しかしその頃にはすでに―――レイラはもう誰一人追い付くことのできないほど、遠くへと走り去っていたのである。
* * * * *
―――大通りを抜けて裏道を走り始めてから、約数十分。
「っはぁ………っはぁ………っんはぁ………っはぁ…………っ」
ようやく足を止めたレイラは家の壁に寄りかかって座り込んだ。背中に背負っていた大きな袋からサンの実とキャラが溢れて地面に転がり落ちる。
暑いからかポタポタと額から流れる汗が地面に落ち、小さな滲みを作った。
その汗を彼女は拭うことができない。少しも動けないからだ。
脇目もふらずに走り続けたせいで息が切れて喉が痛い。ヒリヒリとなにかで擦れたように―――というかすでに咳き込むほどに痛くなってきていた。だが今、手持ちに飲み物がないのでこの痛みはどうしようもないのが現状である。
さらに今、先程より大きな問題が浮上した。それは自分のいる場所がどこなのか、ということ。
なぜか。理由は入り組んでいる裏通りをどの方向に行けばあの場所に着くのかも見ないで脇目もふらずに走って進んだから。自業自得といえばそうなのだが―――それはまぁ、仕方ないといえば仕方ないのだろう。
いつの間にか肩の上にいたスカイもいなくなっている。どこかで離ればなれになってしまったのだろうか? あるいはどこかで振り落としてしまったのか。
今すぐに探しに行きたかった。だが―――こうも動けないのではどうすることもできない。
なんとか落ち着くために彼女は息を調えようとするが、息をする度に何度も咳き込んでうまくいかない。吸い込んだ空気がカラカラに乾いた喉にあたってジリジリと焼いてくるのだ。これではまともに動くどころか、呼吸すら困難になってしまう。
(っスカイ………っ!!)
なに1つすることができない状況に彼女は焦りを感じ始めた。動けないことへの苛立ちと先ほどの会話で甦った恐怖とともに、それは彼女を着実に蝕んでいく。
そのせいか呼吸がダンダンと浅く、速くなりつつあった。それにも焦りを感じてもっと呼吸が乱れるレイラ。手を強く握りしめ、呼吸をしようとするが身体の震えのせいで上手くいかない。焦りがさらなる焦りと不安感を生んで負のループとなり始めていたのだ。
―――少しずつだが周りもぼやけ始めた。
白く靄がかかったように少しずつ少しずつ目の前が霞んでいく。見えるはずの家の白い壁もキラキラと光を反射する窓の透明なガラスも・・・そして、まだ転がり落ちたままの土が付いてしまった果物や野菜も。
身体が重く感じた。
腕に力が入らなくなった。
目にも力が入らなくなった。
目の前が霞んで白くなり、そして反転するように今度は黒く塗りつぶされていった。
そして・・・―――
彼女は消えていく意識を深い闇に抗うことなく落とした。
最後に小さく、
「………ごめんなさい、迷惑をかけてごめんなさい」
と、そう呟いて。
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