二、伝承も諸行無常に朽ちる

「行方不明事件?」

 旅館の前で仁善を待ち伏せていた将海だが、それについて仁善は特に文句は言わなかった。

「ああ。なんでも、毎年この時期に旅行者が居なくなるんだと」

「大事件じゃん」

 旅館の仲居から聞いた話をすると、将海は驚きを表す。仁善は不機嫌に目を細めた。

「あの仲居はサービス業としては失格だな。客に不安を与えるのは良くない……だが、注意を促すということは相当なんだろう。将海、勝手なことをするなよ」

「んじゃあ、一緒に居てもいいよね!」

「あぁ」

 仁善はあっさりと認めた。その脇で「よっし!」と将海は彼に見えないよう拳を握る。仁善はナビゲーションアプリを立ち上げ、旅館の前に広がる道を左右確認していた。

「将海、ついてくるからには俺の手伝いをしろ」

 横暴に言うと、将海の白い腕を取った。

「……そこは手を握ってくれないのね」

「腕の方が掴みやすい」

 あまりにも素っ気なく言うので、将海が不満を抱かないわけがなかった。振りほどくと、仁善は目を開かせた。

「ちゃんとついてくからいいよ」

「分かった。2m以上離れたらダメだからな」

 不服に言う彼の言動はどこまでもぶっきらぼうだった。


 ***


 大積には翌日に向かうこととし、二人はまず港町を散策した。その際、やはり将海があれこれと目移りしてしまう。

 港町には、明治・大正の建築物が密集している。この一帯は門司港レトロという。駅の噴水広場前から北へ行けば社交に使われたという旧門司三井倶楽部、旧大阪商船など和洋合わさったモダンな建物が見えてくる。はね橋を越えた辺りには煉瓦造りの旧門司税関、門司港レトロ展望台などが見渡せる。観光地ゆえ、とにかく人が多い。港周辺には屋台も出ている。

「海に行くなって無理な話じゃない? 遊覧船だって出てるのに……あ、袴着てる子いるよ、可愛い……あぁほら子供連れだって多いのにさあ……あ! 焼きカレー食べたい! ねぇ、仁善くぅん、焼きカレー食べようよ」

 仁善は終始無言を貫いた。彼は遊覧船乗り場へと足早に向かう。その後を律儀に2m圏内で動こうと将海は小走りに行く。

「ねー、仁善ってばー」

「済みません、大人二枚」

 完全に無視して遊覧船のチケットを購入する仁善であった。

「船乗るの?」

「海峡まで行きたいからな。連絡船でもいいが、今日はまだ門司にいるつもりだし」

 赤みの茶に塗られた小型の遊覧船が丁度、沖から戻ってきていた。

「海に行くなって言われてすぐ行くのね」

 将海はニヤリと笑いながら言う。すると、仁善も同じように笑う。

「まあ、行くなって言われると行きたくなるよなあ……それに、壇ノ浦や巌流島の近くまで行くらしい」

「よっし、行こう!」

 将海の食いつきに、仁善は不敵な笑みを浮かべた。だが、それに気づかない将海である。彼女はとても扱いやすく、ちらりと歴史に触れればそちらへ意識が向かってしまうのだ。操作されているともつゆ知らず、将海は船着き場まで行くと笑顔でこちらに手を振った。

 観光客と共に船へと乗り込み、二人はすぐさま海へと目を向けた。碧々と透き通った水面が窺える。

 空は快晴なのだが、門司港からは真向かいの下関がぼんやりとしか見えない。沖の向こうは白い靄がかかっているよう。扁平の大きな建物とタワーが見える。

 乗務員のアナウンスがスピーカーから流れているが、二人はひたすらに窓の外を眺めていた。

 まるで、水に立つようだ。波の動きに合わせて体が揺らめく。船はゆっくりと沖へ向かい、左手頭上には下関へと伸びる大きな関門橋が窺えた。

「将海、源平合戦の話は知っているか」

 仁善は潮の飛沫を見ながら問うてくる。

「そりゃあ勿論。まぁ、どっちかと言えばあたしは巌流島が気になるんだけど……」

 しかし、仁善の鋭い眼光によって将海の口はゆるゆると閉じられた。

「内乱と清盛の死後、平氏たちは安徳天皇を連れて都落ちし、一ノ谷、屋島、そして最終的にあの壇ノ浦で敗れる。源義経の八艘飛びは有名だな。ここでそんな海戦が行われていたわけだ」

「ほほう」

 乗務員の案内は途切れ途切れに聴こえていたが、将海は仁善の解説に耳を傾けていた。

 船は関門橋から背を向けて、今度は下関方面へと向かう。波の揺れが確かに激しいのだが気にする程ではない。乗務員も「ちょっと揺れますねぇ」と言葉とは裏腹に軽快な様子だった。

「ふむ……やはり、行方不明事件なんか起きてないんじゃないか? あの仲居が言っていたことがどうにも違和感だ」

「そうねぇ……まぁ、揺れが激しいくらいだし、でも船ってそんなもんじゃない?」

 仁善の訝った声に将海は楽観に言った。そして、海を見やる。海面が近く、顔を覗かせたら潮に当たりそうだ。

「あまり船に乗ることがないからな……あぁ、あれが赤間あかま神宮らしい」

 スピーカーから聴こえる「赤間神宮」という言葉に、仁善は思案から我にかえった。左手に見える下関方面に、赤い神宮らしきものを捉える。将海は行きの新幹線で読んだ資料を思い出した。

「あぁ、あれが……こっからじゃよくは見えないねぇ。安徳天皇が祀られているんだよね」

 真っ赤な社は龍宮城を模して建てられたという。海峡の真ん中からでは靄のせいでよくは見えない。仁善は目を細めてそれを眺めた。

「平氏や源氏に限らず、脅威や畏れは古より付き合いが長い。神宮あれも幼帝の怨霊を恐れた頼朝が建てたとか……平氏は壇ノ浦の戦いの最中にイルカの数で吉兆を占ったというから、特に信心深いことが窺える。まあ、現代人がそういった信仰を忘れているだけなんだろうな」

 そろそろ、遊覧船は門司へと進行を変える。巌流島は右手にあるらしいが、やはり見えなかった。

「伝承も栄枯盛衰ってことね」

 仁善の呟きを全て回収するように将海が言う。栄枯盛衰――まるで、平氏滅亡を表すかのように思えた。


 ***


 忠告を促してきた仲居には、それきり会えなかった。部屋は出た時のままである。

 現在、十九時過ぎ。夕食の時間から少し過ぎてしまっている。フロントに連絡をしなくてはいけないが、面倒だったので仁善は大積までの地図と路線バスの確認をしていた。

 地図上では大きく「大積」と書かれているだけで、辺り一帯には目印になり得るものがない。バスも一時間に一本なので、これは予定通りに動かなければ立ち往生となる可能性もあった。

 そう黙って思案していると、部屋の戸の向こうから声がかかった。

「失礼致します」

 最初に会った仲居かと思いきや違った。幾らか若い、細身の仲居が顔を覗かせる。

「いらっしゃいませ。本日、お部屋のお世話をいたします、私、吉尾と申します。お食事のご用意に参りました」

「あぁ、済みません。どうぞ」

 テーブルに広げていたものを素早く取っ払う。仲居はしずしずと部屋に入り、和やかな笑みを湛えて深々とお辞儀した後に食事を運んだ。

「この辺りはもうご覧になりましたか。ここからですと、ライトアップされた関門橋がよく見えるんですよ。晴れた日の海は綺麗ですし、橋の近くには和布刈めかり公園や展望台がありますし、そこからも綺麗な景色が見渡せますよ」

 頼んでないが、彼女はそう緩やかに話を始めた。その間、仁善は「はぁ」と気の抜けた返事をする。

「よろしかったら明日にでもお足を運ばれてはいかがでしょう」

「そう、ですね……まぁ、明日は大積に行こうと思うんですが。時間があれば行ってみます」

 比較的穏やかに返すと、仲居は笑顔を崩さず首を傾げた。

「大積、ですか。それはまた何をしに?」

「観光です」

 即答すると、彼女は釈然としないのか「そうなんですね」と答えた。

 ここから察するに、大積は観光に適さない。それならば、と仁善は口を滑らかに話を始めた。

「実は私、民俗学の研究をしておりましてね、こう見えて。大積にあるという『海御前の碑』をひと目見ようと来たんですよ。なんでも、河童の総帥が祀られているとか、で……」

 スラスラと話しているうちに、仲居は顔を僅かに引きつらせていた。それは、どうにも怪しむようであり、客前で呆れるわけにもいかず、ただ困惑を示すようだった。それを見て仁善は快活に笑った。

「いやぁ、失礼。こういうものに興味があると変に思われるのは仕方がない。仲居さん、手が止まってますよ」

 促せば彼女は慌てて配膳を再開した。それきり、黙々と作業をする仲居を前に、仁善は地図を見ているふりをして彼女を観察する。

 そう言えば、彼女は部屋に入って挨拶をした。仲居なのだから当然だろうが、最初に別の仲居が挨拶を済ませているのだから不要ではないか。

「済みません」

 色とりどりの小鉢を手早く並べていく仲居にふと声をかけてみる。彼女は笑みを向けて「はい」と答える。

「あの、最初に来た仲居さん……ふくよかなお姉さんなんですが、その方はなんというお名前なんですか」

 問えば彼女は不思議そうに「えーっと」と考える。空を睨み、迷うこと数秒。

「……サカイ、でしょうかね。でも、最初にお部屋へ入りましたのは私だけだと思うんですが」

「そう、でしたか。いえ、特に用事はないんです。お気になさらず」

「はぁ……」

 仲居は気の抜けた返事をし、配膳を終えてそそくさと出ていった。眉をひそめて唸る仁善だけが取り残される。ちなみに、将海は隣室に閉じ込めてあるので何をしているかは知らない。

 テーブルには季節の野菜や新鮮な刺身など、豪華な料理が並んでいる。

「まぁ、いいか。飯の後、将海に連絡しよう」

 明日のことと、今しがた生まれた不可解な謎について、彼はポケットに忍ばせていた手帳にメモをした。


 ***


 五月二日も快晴のスタートだった。

 朝食を済ませたのが今朝の九時半。メニューは昨夜と同様に小鉢が多く、焼き魚や湯豆腐などが並んでいた。そして、配膳を行ったのはやはり昨夜の吉尾という仲居である。最初に見た仲居が姿を見せないことが気にかかるところであるが、ともかく今日は大積に行かねばならない。

 将海を叩き起こすなり、支度をさせようと彼は無言の圧をかけた。将海は寝ぼけ眼を擦りながらもどうにか身なりを整えると、仁善に連れられて門司港駅へ向かった。

「ここからバスで約十四分。碑がある水天宮まで歩く。くれぐれも遅れるな」

「分かってるよぉ……ふぁーお。寝みい」

 ぼうっとバス停前のロータリーを眺め、将海は欠伸を連発する。

「夜更かししたのか」

 問うと彼女は「まーね」ともう一つ欠伸。

 ちなみに仁善は今日に備えて十時には就寝した。用が無ければ一日中寝ていられるが、一度立てた予定は絶対に崩したくない質である。

 バス到着の五分前に辿り着けて安堵している横で将海はうつらうつらと危なっかしい。そんな彼女を引きずるようにして仁善はバスに乗り込んだ。

「――実はまあ……河童が出たー! みたいな夢を見たんだよね」

「は?」

 将海が言ったのは、レトロ街を抜けてしばらく経った後だった。バスは市街地から離れ、観光客が一切ない内陸の町をひた走る。乗り込む人がいないから、スムーズに進んでいた。

「リアルな夢だったよ。だからかあんまり眠れなくって。河童って、恐ろしいね。イタズラってレベルじゃあない」

「ふうん……お前にはたまに霊感があるんじゃないかと疑うことがあるよ」

「うぇぇ……あたし、仁善みたいにはなりたくないなあ」

 失礼なことを言う。しかし、すぐに「大積東口」とアナウンスが流れたことで反論は保留となった。

 バスを降りるとそこはぽつんと民家があるだけの、見渡す限り山と平地と道路のみ。丁字路がすぐ目の前にあった。

「うわあ……人いない」

 あの賑やかな港町から少し離れただけで山間の長閑な地へ変わるのだから、将海の目がぱちぱちと瞬くのも無理はない。仁善は地図を見た。

「あっちだ」

 丁字路の真ん中まで行くと、左右に人気のない畑や更地が広がっている。この道を真っ直ぐ行けば、水天宮に辿り着けるらしい。二人は信号を渡って、迷いなく道を進んだ。

 緑豊かな中、アスファルトが敷かれた道。右手には人気のない畑がしばらく続く。そして、小さな川が流れており、更に歩くと視界が開けてくる。地図から目を上げると畑の向こう側に鳥居が二つ現れた。

「え、まさか、あれ?」

 思わず将海が口走る。唖然とした物言いだが、確かにそう思わざるを得ない。古びた鳥居は山の入口に建っており、ひっそりと静かに佇んでいる。だが、仁善は驚きはしなかった。

「――伝承というのは、実際に起きた事件を元に尾ひれをつけて伝わっている。人づてに流れ、細々と生き、やがては朽ちてしまうものだ」

 無感情な声が彼の口から吐き出された。


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