第8話 過去との対峙

「しっかりして下さい!!」


 月白の声に我に帰る。


 いきがつらい、こ、呼吸がし辛い。


 目の前の敵を前にして、動かなきゃいけないのに棒立ちになっている。

 敵が出現しているのにも関わらず、俺は意識を奪われていたんだ。


 「くそっ」


 トラウマを象徴するものを見せびらかして襲いかかるなんてタチが悪い。

 まさか、階を登っていく度に敵もランクアップするのか……?


 『立ち向かわなきゃ』


 と思った矢先、突っ立った自分を追い越した月白が影に向かう。


 影の輪郭から複数の手が生え出し、触手のように伸ばそうとしてくる。

 影のことを人型と形容したが、もはや人間を模した存在ではなく、いくつかの職種のようなものを生やした姿はもはや文字通り化け物だ。

触手状の先にはカッター状の何かが。


 そんな変化を目の当たりにしようとも、月白は臆することなく立ち向かう。西洋剣ロングソードで触手をなぎ払い、懐に飛び込む。


「やああーー!!」


 これまでの戦いの時間を無理矢理切断したかのように、一閃。

 何事もなかったように「チン」と金属音を鳴らし剣を鞘に収めた。


 俺はまた、何も出来なかった。


 あるのは沈黙。

 この沈黙が嫌だ。

 黙っている状態に我慢出来ない。何でもいい。何か喋ろう。


「なあ。過去って無かったことにはできないのかな?」


 そう問いかけてみる。

 月白は、少し間をおいた後、冷静に喋り出す。


「過去起きたことは、客観的な事実として何かしらの形で残ります。例えば記憶がそうです。


最も私の場合は貴方に会うまではそれを実感できてませんでしたが、それは置いておいて」

 真剣な眼差しで、自分の目を捉えて質問する。


「なんでそんなことを?」


 自分の心のうちを晒すのが怖い。でも沈黙は続けられない。


「……これさえ無ければ、俺は未来を考えられたんだろうなって思うからさ」


「あなたの過去は何があったのですか?」


 それは。喋りたくはない。それを他人に知られることは俺にとって屈辱だからだ。

 沈黙を貫きたかった。そして諦めてその場を流したかった。


 ……でもそれは。問題を先送りしてより大きな問題になって自分に降りかかってくるような気がした。


「ッどこから話せば……」


 だから俺は語る。過去のことを、いかに嫌な世界だったかを語る。

 どんなことで傷付き、いかに自分が立ち向かう勇気がないか、どう自分を慰めていたのか──孤独になっていった経緯、繋がれない辛さ、耳が聞こえなくなったり腸が悪くなったこと、そして自傷行為。死にたいと何度も思ったことを喋った。

 ……そしてこれらを無かったことに出来れば、自分は新しい自分を手に入れて前に進めるという希望を持っているんだということも添える。


どんな形で語ってもひどく恥ずかしい。

でも顔は見られなくない。

表情を知られないよう、手で顔を押さえながら、でも何とかちゃんと言葉が伝わるように必死で。


 月白は黙って聞いている。

 死にたいけど、こうやって死にたくなる現実を思い起こすことは嫌だ。泣きそうになるが、泣きたくない。俺は男なのだ。

 プライドの方が大事だ。

 とはいえども、喉が重くて、何かのしかかっているようで気持ち悪さが消えない。呼吸が荒くなっていることも自覚する。


 辛い。


「そうですか」


少し間を置いてそのまま月白はしゃべる。


「こんな物言いは軽く聞こえるかもしれませんが、それは君にとって辛かったことなのかもしれません。


……人は嫌なことがあったら逃げていいと思います」


 彼女の性格は知っているつもりだ。彼女なら「きっと」、そして「どうせ」同情をちゃんとする。


 そう思った矢先、彼女はそのまま続ける。


「でも、「それ」を元々無かったことと思い込み、目をそらしただけでは──逃げたことにはなりません」


「……?!」


 何て返事をすればいいか分からない。

 彼女は俺をただ慰めるわけではない。厳しい言葉を投げかけてきた。


 逃げたことにはならない。


 その言葉を聞いていると耳が痛くなる。でも彼女の言葉や態度は、『取り敢えず哀れみの姿勢を向けておこう』的な作業的なものではなく、本気で自分を気遣っているようだった。

 こうして気遣ってもらえることは、周りが敵だらけの世界で過ごしてきた自分としては、どのように反応すればいいのだろう。


 そうだ。初めての──新鮮な感覚だった。


 ……ああ。こんな人が「あの時」いてくれればよかったのに。


「そして人間は時には逃げることも必要ですが、逃げ続けていては満たされない感が延々と続くだけ。


それは虚しさしかない人生を自分で選択していると言えるんじゃないでしょうか?」


 俺は過去を無かったことにしようとした。思春期男子の特有のプライドというのだろうか?──それで誰にも相談せずに押し殺そうとした。

そして。それの成れの果てが、この俺だ。


『自分のことが嫌いな自分』へと成り果ててしまった。


 さっき、「これさえ無ければ、俺は未来を考えられた」と月白に言ったけど、そんな人間は成人して、社会人になって。そしてどうなっていくのだろう。

そもそもこんな自分を雇ってくれるところなんてあるのだろうか。就職すら出来るかすらも怪しいところだ。

学生の自分にとってはそういうニュースを見ても無縁に感じていたけど、いわゆる「無敵の人」にでもなるしかないのか。


 もし仮に働けるようになって。人生の意義なんて何も見出せない。ゲームで言うNPCの様に、会社に通って給料をもらっての毎日を繰り返すのだろう。

犯罪をしたり無職やホームレスよりはマシだと自分に言い聞かせるんだろう。


 そして、いざ死んだ時に神様というものがいて、何かを報告するのだとしたら『何もなかった』と答えるだろう。

 そんな結末は嫌だ。


 何かに満たされたい。そんな感情はあるのに、どうすればいいのか分からない。

 具体的に何に挑戦して、何を目的に必死になればいいのだろうか。


 それを真剣に向かい続けていなかったからこそ、自分の気持ちをごまかして部活・スマホゲー・読書を惰性で続けていた。

 いつかは答えを見つけなければ、そのツケが回ってくる。

 しかし、問題を指摘されたところでどう解決すればいいのか。新たな障害が生まれる。


「……じゃあ、どうすればいいってんだ」


「それは、自分を受け入れることだと思います」


 「?!」


 何を言っているのか、全く分からなかった。

 自分が普段使う言葉なのに、その言葉を理解するのに拒否してしまう。


 自分を受け入れる?

 こんな自分を?


「どんなに自身に欠点があったとしても、そんな自分を含めて、ありのままを受け止めるんです。そこから現実を見つめていくべきなのではないのでしょうか?」


 その言葉を理解しようとしたとき、不協和音を感じた。

そんなの……意味が分からない……!


でも。


でも同時に、「よく分からないけれど、それにすがってみたい」。

そんな気持ちが生まれた。そんなことは出来るはずがない、という思い込みこそ自分を縛り続けているのかもしれない。


 ”目をそらして、無かったことにしようとしても逃げたことにはならない”

 ”嫌な状況からは逃げていいけど、自分とは逃げずに向き合う必要がある”


 出会って間もない少女は、俺に投げるべき言葉をぶつけてくれたのだ。


呼吸を落ち着かせた上で、伝えたいことを伝えよう。


「……月白は凄いんだね」


「──え?」


「人間がよく出来てるというか、俺と同い年なのに人生を達観しているみたいでさ」


「そんなことはないですよ。私は小説やノンフィクションを読むことは好きなので、知識はある方だと自負はしています。


こうやって相談に乗られると自然と言葉が出てくるだけで、別に哲学者みたいに達観しているわけではありません」


「それでも普通に凄いと思うけどな」


 心の底から思ったことを言っただけなのだが、彼女は謙遜してくる。

ただ謙遜の言葉を発しているのではなく、素で謙遜しているようだ。


 俺にとって理想的な人間と思える彼女の言葉を無視するわけにはいかない。


「……無かったことにはできない、か」


 それなら。

 いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。


 止めていた足を、かつかつと彼女とともに進める。


 昨日は8階に入る扉の前まで進むことが出来た。もし仮に『1日7階分まで進むことが出来る』ルールがあるとしたら次は14階と15階を繋ぐ扉まで進むことが出来る。

いや、逆に本日中にそこまで進まないとゲームオーバー的な処置として影にあらがえなくなるのではないか?


 これはゲームじゃない。法則もルールも不明な不完全な世界。

 その中で出来ることは、とにかく明確で安定的な行動を続けるのみ。とにかく進もう。



 その過程で様々な敵を蹴散らした。

 警戒心は必要だが、極度な恐れは捨てて、西洋剣ロングソードを振るい、影を倒すコツを掴んでいく。


 あの化物は、この世界はやはり俺の心象世界の一部であると、一応理解できた。

 ただ、それなら一つ疑問に残ることがある。

自称天使・へリオンの説明を鵜呑みにするならば、ヘリオンは説明役として存在する者だと一応納得することが出来る。


 けれど月白は?

 ヘリオンから彼女についての説明は一切無かった。


 彼女自身に聞いても、俺に会う以前のこと特に自分自身のことに関しては何も覚えていないという。




 月白は一体何者なのだろうか。

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