大石光輝のお話(4)

「とうちゃーく。やっとついたー」


 春の陽気にふさわしい、いかにも元気いっぱいという風な美緒の声が隣から聞こえる。

 始業式の翌日、つまり土曜日。僕たちは電車を利用し、地元から約二時間近くかけ、隣の隣の県まで来ていた。僕は普段電車に乗ることはめったになく、こんなに遠出するのは初めてだ。対して美緒はそうではないらしく、今日ここに来るのもずいぶん手慣れたものだった。これから訪れる人の所に何回も行っているらしい。


「乗り換えは三回あったけど、案外あっさり着いたね」

「うん。来る前も言ったでしょ、簡単に行けるって。コウキは不安がりすぎ。普段からもっと電車使ってみたら? 電車乗るのって結構楽しいよ」

「知らない人が近くにいるっていうのが、どうも苦手で……」


 改札を出た僕たちは階段を下り、コンビニや書店、ハンバーガーショップなど、駅前特有の店の前を通り過ぎる。僕の少し前を歩く美緒はスマホを操作し、これから会う人物に、駅に到着したとメールを送っている。


「ミオ、ここからはどう行くの? 駅から行くのは初めてなんだ」


 美緒の背中に声をかける。


「ああ、いつもは車だもんね。あっちだよ」


 美緒はくるんっとその場で回転し、駅から向かって左を指さした。すこしテンションが上がっているみたいだ。あの人に会うのはお正月以来で、僕も内心嬉しく思っている。


 僕たちは美緒が指さした方へ肩を並べ、歩き出した。



 ***



「逃げちゃおうか、二人で」

「…………え?」


 僕はその言葉の意味が分からず、ぽかんとしながら美緒の顔を見た。結果的に美緒と至近距離で見つめ合うことになり、どちらからともなく目をそらした。


「……で、ミオ。逃げるってどういう……?」


 少し照れくさくなってしまった僕は、それをごまかすために口を開いた。


「あ。ああ、うん。それね……」


 まだ頬が赤い美緒は、慌てるように僕の向かいに正座しなおした。別にそんなにかしこまらなくても。

 そしてそれから、気合を入れなおすように息を吐き、僕に話し始めた。


「私と一緒に、違う県の高校を受験してみない? 逃げるっていうのはそういう意味」

「……違う県……。でも、いったいどこを? それにもし合格したら、僕たち一人暮らししなきゃいけなくなるよ。いきなりそれは大変じゃないかな? …………あれ。そもそも逃げるために街を離れるんなら、僕だけでいいんじゃ……?」

「まあまあ、コウキ落ち着いて。それじゃあ、一個ずつ答えていくね」


 美緒はやはりつらかったのか足をくずした。僕も一息入れるために、すっかりぬるくなってしまった麦茶を飲んだ。


「トモヨ姉さんが今、アパートの管理人やってるのはお正月会った時に聞いたよね。そこにお世話になろうと思ってるの。これが一つ目の疑問の答えね」


 トモヨ姉さんとは、美緒の母親の妹、つまり美緒のおばにあたる人で、僕も小さい頃からよくしてもらっている。最後に会ったのは三か月前のお正月で、お年玉をもらった。そういえばその時に、そんなようなことを聞いた気がする。たしか、そのアパートがあるのは、隣の隣の県のはずだ。


「でも、家賃とかはどうするの? というか、親が許してくれないんじゃないかな。急に家を出るなんて」


 例えアルバイトをしたとしても、高校生にアパートの家賃と生活費分のお金を稼げるとは思えない。必ず親からの支援が必要になる。学校に行っていない今の状況ですでに多大な迷惑を親には掛けているのに、一人暮らしがしたいから仕送りを頼む、なんてとてもじゃないが言うことが出来ない。


「ああ、それは大丈夫だよ。だってもうコウキのご両親にも、私の親にもこの話したから。『いいよ~』って結構軽い感じでオッケーしてくれたわよ」

「…………そうなの? 僕の知らないところで話が進んでいたのか……」

「ちなみにトモヨ姉さんにも話はしてあるから」

「……………………」


 完全に外堀が埋められていた。美緒の根回しのよさに驚きを通り越して、もはや呆れてしまう。昔から成績はよかったが、これは単に勉強が得意なのではなく、先を見越して手を打てる抜け目のなさが関係しているのかもしれない。


 僕は苦笑を浮かべ、両手を上げて降参のポーズをとった。


「ミオが話をしてくれていたのは分かったけど、また僕からもきちんと話すよ。いつまでもこのままじゃいけないし」

「……うん。そうだね」


 美緒はわずかに微笑んだ。きっと僕を応援してくれている。そう感じさせてくれる笑みだった。

 美緒はよし、と呟き、仕切りなおすように両手をパンと鳴らした。


「ちょっと話を戻すね。どこの高校にするかって話だけど、そのアパートって駅から近いの。歩いて……十分くらいかな。それにアパートから徒歩圏内に高校もあるし。だから、べつに高校はどこでもいいの。電車で通っても、アパート近くの学校にしても、それはどっちでも。一緒に決めよ」

「そうなんだ。じゃあ、それはきちんと調べてから決めようかな。……というか、そうだよ。ミオも一緒にトモヨ姉さんのところに行くの? 君はこっちにも友だちがいるんだからこの辺の高校でもいいんじゃないかな?」


 僕が質問すると美緒は顔を伏せてしまい、どんな表情をしているのか分からなくなってしまった。だが、黒髪からわずかにのぞく小さな耳が赤く染まっているような気がした。

 美緒はため息なのか深呼吸の一部なのか分からない微妙なラインの息を吐き、こちらに向き直った。


「でね。さっそく明日、トモヨ姉さんのところに行ってみようと思うの。善は急げって言うじゃない?」


 結局、僕の質問には答えてくれなかった。



 ***



 アパートまでの道すがら、僕はここに来ることになった経緯を思い出していた。周りはすっかり住宅街になっていて、とても静かだ。整備された田舎という印象を受ける。かといって日本家屋が並んでいるわけではなく、近代的、というのだろうか、綺麗な家が辺りに立っている。ここでピアノの音でも聞こえてきたら、最高だろうと思う。


「次の角を曲がったら、アパートが見えてくるよ」


 言いながら、美緒が指さす。



 ***




 アパートたどり着いた僕らは、まず管理人室に向かった。そこにトモヨ姉さんがいるらしい。

 このアパートは二階建てで、それぞれの階に五部屋ずつある。管理人室兼トモヨ姉さんの住居は一階の左端にあった。

 インターホンを押すと、三か月前とまったく変わっていないトモヨ姉さんが出迎えてくれた。


 暖かいつり目に、優しげな口元。美緒と同じくサラサラの黒髪を一つに結んで前に流している。身長は僕より少し高く、この人の背を追い越すのが直近の目標だったりする。そして当然なのだが、やっぱり美緒に似ていて、美緒も大人になるとこんな感じなのだろうと思う。


「やあ、よく来たね。ミオ、コウキ。久しぶり」

「久しぶり、トモヨ姉さんっ」


 挨拶を言い終わる前に、美緒はトモヨ姉さん飛びついていた。正確には抱きついたのだが、勢いがありすぎて抱きつかれた方もよろけている。


「危ない、危ない。……ほら離れて」

「ええー、いいじゃんちょっとぐらい」


 ひきはがされ、口ではブーたれているがその顔はたまらなく嬉しそうだ。美緒は本当にこの人が大好きで、幼稚園の時の夢が、トモヨ姉さんのお嫁さんだった。


「こんにちは。トモヨ姉さん」


 かくいう僕もトモヨ姉さんのことは大好きなので、存在を忘れられないように、負けじと挨拶する。さすがにこの年になって抱きつくのは、恥ずかしいのでやらないが。


「うん、こんにちは。コウキは抱きついてくれないのかい? おばさんは寂しいよ」

「あはは…………」


 無邪気ないたずらっ子のように笑いながら、よよよとわざとらしく泣き真似をしてくる。このあたりの性格はあまり美緒とは似ていない。

 僕は苦笑を浮かべながら、美緒は楽しそうに笑いながら、トモヨ姉さんの家にお邪魔した。


 久しぶりに入ったトモヨ姉さんの部屋はすっきりとしており、普段から掃除が行き届いているのが分かる。多分だけど、あまり多く物を持ちすぎないのがポイントなのだと思う。現にトモヨ姉さんの部屋には、収納棚みたいなものがない。


「あまり見ないでくれ、恥ずかしいじゃないか。こういう仕事をしていると、普段人を家に呼んだりしないから、どういうレベルで片づけたらいいのか分からないんだ」

「すごくきれいですよ。ミオの部屋とはおおちが――」

「――コウキー?」


 美緒が、余計なことは言わんでよろしいとばかりにほっぺたをつねってくる。しかし実際僕の言葉の通りで、美緒の部屋はかなり汚い。物があふれかえっていて、月に一回か二回僕も掃除を手伝っている。


「相変わらずのようで安心したよ。さあ、とりあえず昼ご飯にしようか。と言っても、簡単なものしかできないがね」


 エプロンを素早く身に着け、トモヨ姉さんが台所に向かう。美緒が、私も手伝う、とその後を追う。僕も何かできることはないかとついていこうとしたら、


「コウキは座っていろ」

「コウキは手伝わなくていいから」


 と、追い返されてしまった。野菜を切るぐらいなら僕にもできるのに。



 ***



 二人に作ってもらった昼食を食べた後、僕たちはこの近くを案内してもらっていた。スーパーやコンビニなど、あのアパートで生活するなら欠かせないであろう場所や地元の人もあまり寄り付かない神社、猫のたまり場など、さまざまな所に連れて行ってもらった。


 そして、次が最後の目的地にして本日のメインイベント。県立西高等学校、通称西高の裏門に僕らは立っていた。


「へえー。ここがそうなんだ」


 美緒は先ほどから、へえーほおーと言いながら中をのぞいている。

 ここから見えるグラウンドは、当たり前だが僕らの中学のものよりも大きく、そこではサッカー部と野球部が練習に励んでいる。


「どうだ? コウキ。新しくはないが校舎もきれいだし、部活動も充実している。そして何よりうちのアパートから近い。多少の寝坊なら大丈夫だぞ」


 トモヨ姉さんがいたずらっぽく言ってくる。


「寝坊できるかどうかは重要だよね」


 美緒もそれにのっかって、笑った。

 二人とも僕を見つめている。なんらかの感想を待っているのだろう。しかし、目の前の校舎や寝坊のことについて何か言おうとしても、まったく言葉が浮かんでこない。頭の中は、あの桜のことでいっぱいだった。


「…………あー、えっと……。いい学校だね」


 ようやく出た言葉がこれだった。美緒もトモヨ姉さんも拍子抜けしたような表情をしている。二人とも、僕がこの高校に来ることについての前向きな発言を期待していたのだろう。


「……そうだな」


 トモヨ姉さんはそう言うと、アパートに向かって歩き出した。……怒らせてしまっただろうか。


「大丈夫だよ。コウキ」


 僕の心の中を読んだように、美緒が声をかけてくれた。そしてそのままトモヨ姉さんの後を追っていき、また抱きついていた。


 ひきはがされた美緒に苦笑しながら、僕も二人の背中を追いかけた。

 まだ時間はある。両親や美緒やトモヨ姉さんと相談しながら、ゆっくり決めていけばいい。

 だから手始めに明日桜のところに行き、今日のことを話そうと思った。







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四季一々 南雲 達也 @985993

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