第29話 猫好き神様の思し召し

「太郎、さっきお義母さんから電話があったの。引っ越しの日程が決まったそうよ」

 帰宅して夕食を食べようと言うタイミングで、皿を並べていた佳代が告げてきた内容に、俺はビールグラスに手を伸ばしながら頷いた。


「そうか。寒くなる前で良かったな」

「それでね? その時についでに聞いてみたんだけど、あの家の借り手が決まったそうよ」

 そこでさりげなく続けられた台詞に、ビールを飲みかけていた俺は、驚きのあまり本気でむせかけた。


「ぐっ、げはっ! は、はぁあ!? 嘘だろ! あんな所、誰が借りるって言うんだ!?」

「それが……、町内の空き家バンクに登録したら、あっさりIターンで農業をやりたい人から、申し入れがあったそうなの。直に顔を合わせて家の中や庭も見ても貰って、すっかりお義父さん達と意気投合したそうよ」

「マジか……」

「ええ。もう賃料とか条件も、合意済みですって」

「条件って?」

 驚きが収まってから生じた疑問に、佳代が冷静に答える。


「お義父さんの負担で、年に一回庭の樹木の剪定を造園業の人にして貰う事と、庭を畑にする場合、他の木は抜いても栗の木はそのままにしておくという条件だそうよ」

「なるほどな……」

 確かにそうじゃないと、売らずに貸す意味が無いよなと納得していると、佳代がしみじみとした口調で言い出した。


「それにしても……。ここまでトントン拍子に、上手く事が進むとはね。ミミとハナも自分の眠っている周りが騒々しくなるのが嫌で、あの世から手を回したのかしら? 猫好きの神様の一人や二人は居そうだし」

 それを聞いて、俺は盛大に溜め息を吐いてから、突っ込みを入れた。


「……つまらない事を言うな。それに神様の数え方は、一人、二人じゃなくて一柱、二柱だ」

「あら、うっかりしていたわ」

 それを聞いた佳代はおかしそうに笑い、俺も苦笑しながら本格的に夕飯を食べ始めた。

 佳代とそんなやり取りをしてから数日後。偶々早く帰宅できた俺は、夕食後に子供部屋に顔を出した。


「なぁ、翔、縁。ちょっと話があるんだが、いいか?」

「何、パパ?」

「なにー?」

 ジグソーパズルで遊んでいた二人の前に座り、俺は二人を丸め込むべく相談を持ちかけた。


「二人とも、猫は好きだよな?」

「うん」

「にゃんにゃん、すきー!」

「それなら、猫を飼わないか? ミミとハナとはたまにしか遊べなかったが、ここで飼えば毎日遊べるぞ? 楽しいだろう?」

「…………」

 笑顔でそう持ちかけたが、てっきり大喜びで賛成すると思っていた二人は、黙って顔を見合わせた。

 どうしたんだと不審に思っていると、翔が真顔で俺に言い聞かせてくる。


「パパ。ねこをかうって言うことは、ねことあそぶだけじゃなくて、ちゃんとおせわしなくちゃいけないんだよ?」

「おせわー!」

「あ、ああ……、そうだな」

 予想外の話の流れに俺は内心でたじろいだが、翔は全く容赦が無かった。


「ママが言ってた。『じふんのせわができない人に、どうぶつをかうしかくは無い』って」

「ばってんー!」

「……それはそうだな」

 縁の合いの手も絶妙だ。

 そうか……。二人とも既に、佳代が洗脳済みか……。


「『ねこをかうなら、じぶんの物はじぶんで片づけるのが、さいていじょうけん』だって。だから翔も縁も、お片づけがんばってるよ」

「ねー!」

「…………偉いな」

「ちらかしてるのはパパだけ。リビングの本とDVD、何とかして。じゃまだよ」

「ねー!」

「………………すみません」

「いつか見るとか、いつかつかうなんて言ってるもの、いつまでたっても見ないしつかわないよ」

「ねー!」

「じゃあ縁。パズルがそろったし、お片づけして他のであそぼうか」

「うん! おかたづけー!」

「……………………」

 最早、ぐうの音も出ないどころか、親の威厳が崩壊している気がする……。

 手慣れた様子でジグソーパズルを収納袋に入れ、それを玩具箱に片付ける二人を見て、俺はがっくりと肩を落とした。


 子供達を味方につける作戦があっさりと崩壊した上は、俺の私物をもう少し処分して整理整頓して佳代の了解を得るしか道は無い。

 俺はリビングに積み重なっていた雑誌やDVDの束を取り敢えず寝室に移動したが、益々手狭になった室内を見た途端、佳代の視線が冷たくなった。


「全部纏めて、不用品回収業者に引き取って貰うわよ?」

「……それだけは勘弁してください。きちんと片付けます」

 下手をすると私物と一緒に俺自身まで叩き出されそうな気配に、俺は本気で土下座した。それ以降、俺は私物の整理に、毎日夜の一定時間を費やす事となった。


「猫と一緒に暮らす為に頑張ってるんだからさ、あの家の借り手を探す事ができるなら、お前達で佳代の考えを変える位、やってくれても良いんじゃないか?」

 自分ではやっているつもりなのだが、なかなかはかどらない現状に、俺が思わず愚痴混じりの独り言を漏らす。


 にゅなぁ~ん(ふざけるな)

 きしゃ~っ!(さっさとやれ!)


 あ……、今、何だか猫の鳴き声の幻聴が聞こえた……。

 やれやれ、マジで死人、もとい死猫に怒られないように、片付けるしかないか。

 盛大な溜め息を吐きながら、俺は猫がいる生活を目指して、今夜も寝室で孤独な戦いを繰り広げているのだった。



(完)

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猫がいた風景 篠原 皐月 @satsuki-s

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