第五話 黒崎くんと噂話
翌日、いつも通りに登校し自らのクラスへと向かった一也を迎え入れたのは、クラス中からの奇異の視線だった。
普段であれば入ってきた時に一瞬目を向けられ、次には顔を戻されるという一連の動作が行われる筈だが、何故か今回は目を向けられたまま。流石の一也も眉根をピクリと不可解そうに歪ませる。
だがそれも一瞬。すぐ様元の鉄面皮に戻ると、何事も無かったかのように自身の席へと向かう。
教室にはいつもの喧騒は無く、あるのはひそひそと交わされる内緒話のみ。一也もその内容が気にはなったが、態々聞き耳を立てるほど悪趣味では無い。しかし、内緒話だからといって遠慮するほど空気が読める性格でも無かった。
いきなり方向を変え、向かった先はクラスの人気者であるリア充代表、藤原啓太の元だ。普段なら仲間と談笑している彼だが、今は他のクラスメイトと同じく静かに一也の様子を伺っていた。
歩く方向、一也の視線共に自身へと向いていることを自覚し、慌てて視線を逸らし体勢を戻す藤原。だが時すでに遅し、一也の歩みは彼の前でピタリと止まる。
「な、何か用かな……?」
鉄面皮からの無言の圧力にも屈さず、戸惑いながらも爽やかな笑みを浮かべ、あくまでもイケメン対応を崩さない藤原。
ある意味プロ根性に溢れているが、よく見ると口の端はピクピクと震え、目の奥も笑っていない。明らかな作り笑いだと傍目には分かってしまうだろう。
これが普通の相手であれば気分を害していた所だろうが、そういった点には頓着しないのが一也の性格だ。作り笑いには気付きつつも、一切触れずに話を切り出す。
「……何の話をしているのか、少し気になってな」
「な、何の話でも良いだろ。お前には関係ない」
彼の問いに答えたのは藤原ではなく、その取り巻きの一人である
クラスのムードメーカーの一人であり、顔面偏差値自体は中の上程度だが、その生来の明るさやプライドを犠牲にした笑いで美味しいポジションを確保した、言わば処世術に長けた男である。
だが、幾ら人付き合いが上手いとはいえ彼は未だに高校生。嫌いな相手や苦手な相手にまで笑いを取りに行こうとするほど旺盛なサービス精神も無い。常に真顔で笑いそうに無い一也などは、笑いを至上とする彼にとって苦手な相手の一人だった。
そんな相手がずけずけと自分たちの会話に入って来たとなれば、それを不満に思うのも当然。故に彼の言葉は多分に相手への棘が含まれる物となった。
だが、それすらも一也にとっては頓着する程の事ではない。彼が今気にしている事はあくまで内緒話の話題であり、そこにクラスメイトの態度が介在する事はないのだ。
「俺が入って来た途端に態度が変わった。それが一切無関係とは些か無理があるように思うが?」
「知らねぇって。お前が自意識過剰なんだろ」
「三郎落ち着けって。あんまキレんなよ」
「き、キレてねぇし!」
喧嘩腰になった梶木を止めようと、藤原が若干おちゃらけた口調で彼のことをからかう。
リア充たる者、空気を読む力は必須。これ以上話させると空気が悪くなると瞬時に判断し、慌てて止めに入った藤原には、確かにその資格があるのだろう。
思惑は上手く嵌り、梶木は大人しく席に戻る。だが、空気読めない代表である一也は止まらない。
「それで、何の話をしているか話す気になったか?」
「……黒
確かに、一也の口調は大抵乱雑だと言える。
本人の気性もあるが、彼は前世から相手に舐められない様にとあまり敬語を使わない節があった。
勿論目上の相手には別だが、それでも口調に頓着しない彼の言葉は、相手の反感を買う事が多々ある。彼は気付いていないが、友達が出来ない理由の一つでもあった。
「それに立場ってもんがあると思うんだ。一応こっちも秘密の話してる訳だし、そこは聞く身としての礼儀があるんじゃ無いかって思うんだよね」
なぜか隣で強く頷いている梶木。お調子者としての気性がそうさせるのかは分からないが、横目に見るには随分と鬱陶しい光景だ。
大事な所でウザくなる。リア充グループに属しておきながら、生まれてこの方十六年間、彼に彼女が出来ない理由であった。
「ふむ、そうか……」
彼の言葉を受けて、顎に手を当て考え込む一也。
前世で情報屋との付き合いはあったが、あれは所詮ギブアンドテイクの関係。それ以上でもそれ以下でも無い、後腐れのない関係性だったからこそ気安い言葉で対応できたのだ。
一方、ここでの藤原との関係性は、クラスメイトという同等の立場。その上こちらが教えを乞う側と、今弱いのは一也の方である。
確かに彼の言葉にも一理ある、と判断した一也はすぐさま行動に移った。
「済まない、気に障ったのなら謝ろう。どうか話していた内容を教えてくれないか」
スッ、と丁寧に頭を下げる一也。
腰の角度はぴったり九十度。お辞儀のお手本とも言える、誠意のこもった角度であった。
一方、これに驚いたのは藤原だ。衆目の前で言い負かされるという、本来なら家のベッドで枕に顔を埋めるレベルの事をしでかしたというのに、それを意に介する事なく素直に頭を下げて来たのだ。これで引き下がるだろうという思惑は見事に外れ、彼は完全に肩透かしを食らった格好になった。
『それ相応の態度がある』と言った手前、ここでその発言を反故にする事はトップカーストとしてのプライドが許さない。だからといって、当人の関わる噂話を目の前でする程度胸があるわけでもない。
両者を天秤にかける。ゆらゆら、ゆらゆらと振り子の如く、彼の頭で揺れ動いた結果。
「……分かった、言おう。折角だから君にも聞きたいと思っていた所だなんでも黒崎君、
天秤はプライドに傾いた。
彼らが交わしていた噂話は、一也の想像通り彼に関する話だった。しかし内容は想像の遥か彼方、話題の転入生であるサリアと、話題とは最も縁遠い存在である一也が恋愛関係にあるという物である。
事の原因は先日のやり取り。人通りの少ない廊下で二人が言い争っていたシーンを、一人の女子生徒が見ていた事から始まる。
近くまで寄れば二人が何をしているか明確に分かったであろうが、遠目にそれを野次馬していた彼女からすれば、二人が至近距離で睦言を交わし合っていた様にしか見えなかったのであろう。
夕焼けというバックグラウンドも加わり、乙女フィルターによって濾過された誤情報は、女子特有の情報網でパンデミックの如く拡散されることになった。
良くも悪くも、高校生という人種は『恋』や『青春』というワードに敏感だ。学校でもとびきりの美少女が、名前も顔も知らない男子生徒と恋をしているというある意味センセーショナルな話題は、一夜にして学校中の噂話を席巻した。
情報に真実味があるかどうかというのは最早彼ら彼女らには関係ない。例えありえなさそうな出来事だとしても、話題になりそうであれば面白半分であちこちに拡散されてしまうのである。ある意味現代社会の縮図とも言えるだろう。
当然、その情報を聞いた女子は驚愕、またはライバルが減ったと内心でほくそ笑み、男子はマドンナが一人減ったという落胆とそんなのあり得るはずがないという否定に頭を悩ませる事となった。
とはいえ、そのいずれにも共通していたのが、『何故黒崎と』という疑念である。
百歩譲って、この相手が藤原であれば皆も納得したであろう。学校一の美男美女、僅かばかりの嫉妬はあろうが、まあ当然の結果だと受け入れる他ない。
だが、そこで何故一也なのか。男の趣味が悪いと揶揄する者もいれば、あいつに恋人ができるなら俺だって、と一層奮起する者もいたが、いずれにしても一也が相手という事に関して驚きを持って迎えている者が大多数であった。
無論、一也からすれば寝耳に水の話である。彼は彼女と睦言を交わした記憶など無いし、昨日の場面を見られていたという認識も無い。
そもそも学校内のサリアに対する認識と、彼のサリアに対する認識には齟齬がある。前者は『絶世の美人』だが、彼からすれば『日常を脅かす敵』なのだ。恋人関係に発展するなどあり得ない上に、そもそも関わりたい相手ですら無い。
「……余りにあり得ない話だな。俺があの女と仲が良い? 冗談はほどほどにしてもらおう」
「あの女って……それはサリアさんに失礼でしょ」
暴言を吐く、その行為自体に良い感情を抱く者は居ないだろうが、それがフツメンから美人へとなるとその傾向は顕著になる。ましてや、カースト最下位からカーストトップへの暴言となると、それに賛同する者は皆無に等しいだろう。
『お前如きが何言ってんだ』という視線がクラス中から向けられるが、それでも一也のスタンスは崩れない。紛う事なき事実として、彼の記憶に刻まれているからだ。
「別に俺とアレは何の関係があるわけでもない。何を聞いたかは分からんが、妙な邪推や勘繰りは辞めてもらおう」
「つまりそれは恋人関係じゃないって事?」
「恋人だと? 吐き気がする。まだ男と乳繰り合った方がマシだろうな」
普通美人と噂を立てられて、喜ばない様な男は居ないだろう。だが一也はその例外として、あまつさえ男の方がマシだと言ってのける。
それは怒りより何より、気持ち悪さをもってクラスメイトに迎えられていた。
「お、男って……」
「冗談だ。だがまあ、奴とはそういう仲ではないという事は分かってくれ。話はこれで終わりか? 無いならもう席に戻るが」
「え、ああ」
コクリと頷き一也を見送った藤原。
暫くした後、話を聞きに来たのは相手の方だと言うのに何故偉そうにしていたのか、という事実に気付いたが、それを口にしようとした瞬間、教室に予鈴が鳴り響いた。
異世界から魔術師(但しコミュ力に難あり)が転生した結果 初柴シュリ @Syuri1484
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