第四話 黒崎君とサリアさん




美男美女たるサリア達が転入してから一週間が経っても、生徒達の興奮は冷めやらなかった。あっという間にそのルックスとコミュニケーション能力でクラスのトップカーストを独占し、そんな彼女達とお近づきになろうとする幾人もの男女を周囲に侍らせる。日夜友達を作ろうと苦心している一也からすれば、悪態を吐いても仕方がない所業の数々だ。

私怨を抜きにしても、徐々に外堀が埋められているというのは紛れも無い事実。彼女らの対処に頭を痛める事になるのは当然の帰結である。


一時は転校すらも考えたが、既に自身のわがままで一人暮らしをさせて貰っている以上、また親に迷惑をかける訳にもいかない。

その為彼が取れる選択肢は、なるべくサリア達と遭遇しないようにするという極めてシンプルな対処療法にならざるを得なかった。


しかし向こうもさる物、避けられるのならば会いに行けばいいとばかりに一也と遭遇しようとする。衆目があるため、彼女らもあまり強くは出れないというのが不幸中の幸いか。だが事あるごとに何かにつけて誘おうとしてくるのは、一也としても辟易とする点である。


友達作りの為に目立つ事は厭わないが、悪目立ちをしたい訳ではないのだ。

考えても見て欲しい。絶世の美男美女であり、何の苦労もせずクラスの中心人物になれるような、それでいて別クラスの人物達がいたとしよう。

だというのにその人達が、クラスでも目立たない、全く冴えない男の事を積極的に誘おうとしている。


恐らく大半の人物は『不自然だ』と思うだろう。実際、一也を除いた全クラスメイトはそう思っている。大概は空気の読めない一也すらも、若干はおかしいと考えている。

大方一致する事のない一也とクラスメイトの思考だが、今回ばかりは珍しい事に大筋で合致していると言えた。


さて、そんなサリア達を避けて新たなコミュニティ……つまり部活を見つけようとしていた一也。だが今の時期に各部活が行なっているのは基本的に新入生の勧誘。既に二年生となった彼が足を踏み入れるには少しばかりハードルが高かった。

……仲間内で談笑している部屋へと無遠慮に踏み込むだけの度胸が無かったとも言える。


仕方なく踵を返し、自宅へ帰ろうと下駄箱へと向かう。だが、その道中に背後から声が掛かった。



「あら黒崎君。今から帰り?」


「……ええ、まあ」



一也の担任である、宏崎明美ひろさきあけみ先生だ。御歳三十の中堅教師であり、担当の教科は化学。生徒からの信頼も厚く、正に教師らしい教師と言える。


唯一の難点を挙げるとすれば、三十路に入っても未だ彼氏を探しているという所か。同僚が次々と結婚していく中唯一その気配すら無く、最近はあからさまに焦り始めているという。一也同様、涙ぐましい努力を続けているのだ。



「部活とかは入ってないの? 黒崎君の事教室以外じゃあんまり見ないけど」


「今は入ってないですね。帰宅部です」


「そうなの? 一人が好きなのも分かるけど、もっと皆と仲良くしないと! ここは勉学だけじゃなくて、健全なコミュニケーションを学ぶ場でもあるんだから」



少なくともこうして一生徒たる一也の事を気にかけてくれている分、彼女は良き先生なのだろう。大抵の場合は生徒を見かけても挨拶で終わるものだが、それに世間話を絡めて相手の近況を伺うというのは、余程相手の事を思いやっていないと出来ない。

最も、相手の事を心配する分、その物言いも若干素直な物になり過ぎてしまうというきらいはあるが。



「そうそう、明日は放課後に委員会の会議があるから。ちゃんと遅れずに出るのよ!」


「うす」



教師からの小言を生返事で適当に流していると、漸く満足したのか最後に注意事項を述べると宏崎先生はその場を去っていく。


その後ろ姿を見送り、再び歩みを進める一也。


薄っすらと赤みがかった空の光が、窓ガラスの外から灰色の廊下へと差し込んでくる。


遠くに見えるグラウンドでは野球部が精力的に活動しているようだ。時折響く金属質な打撃の音と、途切れる事のない部員達の掛け声がどこか遠くに聞こえて来た。


野球はあまり好きでは無かったな、と遠く過去の記憶(といってもたった六年ほど前の出来事だが)に想いを馳せながら、足早に廊下の角を曲がる。


するとそこで、不意に誰かとぶつかってしまう。



「っ……」


「痛っ……」



とっさに身を引く一也だったが、それでも避けきれず正面から衝突してしまう。幸いにして両者ともスピードを出していなかった為、お互いよろめくだけで済んだ。



「すまない、大丈夫か……あ」


「ごめんなさい、少し考え事をしていて……あら、誰かと思えばクロサキじゃない」



だが、この場がよろめくだけで済みそうにないのは明らかだった。何故なら、一也がぶつかった相手は、当のサリア自身だったのだから。


やってしまったと自らの失態を悔やむ一也だが、後悔先に立たず。サリアの目線は既に彼の事をロックオンしている。

彼女は自慢の金髪を搔き上げると、花開くように笑顔を浮かべる。普通の男であればそれを間近に見ただけで顔を赤らめ、初心な童貞のようにどもってしまうであろう。


だが同じ初心な童貞であろうと一也は動じない。



「貴方、用事があるんじゃ無かったの? この先には下駄箱しか無いけれど」


「ついさっき終わった。それだけだ」


「そう。なら少しお話ししない? 前に話したのは一週間前、お互い積もる話もあるでしょう」


「俺には無い」



次々とにべもなくサリアの話を切り捨てる。レオナルドが見ていればまた不敬だと怒り出していた事だろう。実際、彼女の額にも軽く青筋が浮かんでいる。


いくら謎めいていようと相手はそこらの高校生。自身の容姿を持ってすれば多少の動揺は誘えるだろうと予測してからのこの対応。自信家たるサリアからすれば、面白くないの一言に尽きる。それ故に、彼女の態度も多少乱雑な物に成らざるを得なかった。


足早にその場を去ろうとする一也の手首を掴み、そのまま全力の捻り上げ。急な襲撃にはさしもの彼も対応しきれず、かといって対抗しようとすると、今度はサリアの身が危険になる。

それ故に、彼はこのまま流される事を選択。力のベクトルに逆らわず、そのまま体の前面を思い切り壁に押し付けられた。ついでにサリアの肉体も押し付けられることになるが、それを楽しむだけの余裕は一也に存在しなかった。


動けなくなった彼の横顔、さらに具体的に言えば耳。そこに薄ピンクの唇を近付けると、蠱惑的な、それでいて底冷えのする声で静かに囁く。



「私、悠長なのは嫌いなの。折角の美人からのアプローチなんだから、大人しく受け取ればいいのに」


「……自分を美人と思ってる奴に碌な奴は居ない。アンタからの誘いは断って正解だったな」


「それが貴方の本性? 随分と野生的じゃない。日本人ジャッポネーセは草食だと評判だけど、貴方は例外のようね」



同級生と交わす会話とは思えない程に乱雑な言葉。お互いに少しだけ本性を解放したこの瞬間は、ある意味最も二人の距離が縮まった瞬間だろう。


だが、幾ら今が放課後で人通りの少ない時間帯だとしても、全く人通りが無い訳では無い。サリアは自身の評判から、一也は自身の体裁から、この状況を目撃されるというのは好ましいことでは無かった。

僅かな、それでいて濃密な会話に満足気な表情を浮かべ、拘束していた腕から手を離す。



「ま、良いわ。本当はゆっくり話したい所だけど、私も私で忙しいの。今日はこの辺りで勘弁してあげる」


「……何でもいいが、裏の奴らがあまり表に関わるな。大抵面倒な事になる」


「あら、もう私の前じゃ本性も隠さないのね。それにその言葉、まるで経験でもしてきたように聞こえるけど」


「好きに捉えろ。それに俺だって言葉一つでアンタらが止まるとは思っちゃいない」


「……だとしたら、どうするつもり?」



背後のサリアへと振り向き、今度は逆に一也から顔を近づけて行く。サリアはこれまでになく積極的だと、それを面白気な表情で迎え入れる。


フツメンによる美女への囁き。不釣り合いながらも端から見れば愛の囁きに見えないこともない光景。しかし、その内容は愛とは程遠いものだった。



「少しでも俺の日常を乱してみろ。その時は地の果てまでお前を追い詰め、殺す」



ゾクリ、と背筋が震えた。


彼女にとって殺気とは、いつも隣り合わせにある相棒のようなものでもあった。自身の立場上それをぶつけられる事など日常茶飯事であったし、自身がそれを扱う事も多々ある。それ故に、殺気一つ浴びた程度では、彼女の意思は小揺るぎもしない。

だが何故だろうか。彼のソレを浴びた瞬間、全身が意思とは正反対に震えを帯びた。初めて殺気を浴びた時の、背筋の凍るような感覚とはまた違う。

果たしてそれは恐怖なのか、それとも――未知の感覚に対する興奮か。


少なくとも、彼がマトモな堅気の人間ではない事は知っていた。いや、。その上で、彼が殺気を扱える事に違和感は感じない。

だが、そのゾクリとするような声色は、とても平凡な学生であったそれまでと同一人物が出した物とは思えなかった。


フッ、と横隔膜の震えからため息が漏れ出る。どこか艶やかさすら見るものに感じさせるサリアのその様は、まるで絶頂に達したかのようでもあった。



「……ええ、肝に銘じておきましょう」



 だが、それをあからさまに出すほど彼女も愚かではない。震えを隠しながら平静を装い、あくまで普通に努める。マフィアの一員としてすでに幾多もの修羅場に首を突っ込んでいる身として、こういった腹芸は得意でなければならないのだ。


 ふぁさりと夕日に輝く金髪をたなびかせ、颯爽と立ち去る後姿。それを無機質な目で見送りながら、一也は一人思った。



(……結局何が言いたかったんだアイツは)



 積もる話がある、と言いながらこうして時間を取るだけとって去ってしまったサリア。先ほどまでのシリアスはどこへやら、彼の心中は困惑で埋め尽くされることになった。




(……あれ? 私ってもしかして見ちゃいけない場面見ちゃった?)



 そして、彼の面倒事はまだまだ終わらない。

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