第三話 黒崎君の遭遇
さて、そんな自分が探されているとは夢にも思っていない男子高校生、黒崎一也。彼は現在自室に籠り、目の前の物体と格闘している最中であった。
「むぅ……こいつをどうしたものか」
机の上に鎮座する氷漬けのC4爆弾。室温によって僅かに溶け、その表面から結露による雫を滴らせているが、サイズがサイズである為完全に溶けきるには未だ時間がかかりそうである。
彼は爆弾について大した知識はない。一先ず凍らせれば爆発はしないだろうという雑な知識はあるが、果たしてそこから爆発するのか、処理はどうすればいいのかというような事までは分からないのだ。
手元のスマホで『爆弾 解除 方法』と打ち込んで調べるも、出てくるのはゲームの動画のみ。数少ない実写動画も全て英語で解説されている為、大した英語力もない彼に読み取ることは出来ない。勿論、爆弾解除を頼めるような知り合いもいるわけが無い。
詰まる所、これ以上は彼にとっても手詰まりなのである。
「……海にでも不法投棄するか? いや、こんなん抱えて公共交通機関を移動する度胸は無いな」
海に投げ込んで処理する、というのは映画でも良く見かける光景だが、残念ながらその過程が問題である。爆発物を抱えて電車に乗るなど、やっている事はテロリストと半ば同じだ。一般市民としての良心が、彼にその行為を留めさせた。
とはいえ、それ以上の対案が出てこないのも事実。考えて考えて、考えて考えて考えてーー考え抜いた結果、彼の出した結論は。
「……よし。冷凍庫に入れておくか」
まさかの先延ばしである。
確かに氷漬けの状態ならば爆発を防げる為、強ち間違いという訳でもない。だが自宅の冷凍庫に爆弾が入っている状況など、爆発しないと分かっていても落ち着けるものではないだろう。そういった点において、彼は普通の人間とは異なった感性を持っていた。
自室からリビングに移動すると、殆ど使用される事のない冷凍室に氷漬けの爆弾を放り込む。一仕事した、というかのように一つ伸びをすると、ふと部屋の隅に目を向ける。
視線の先には空になった猫用の餌皿。食い散らかしたのか周囲にはキャットフードが僅かに散らばっており、あまり綺麗とはいえない状況になっている。
そして、足元に絡みついてナーゴと鳴き声を上げてくる一匹の三毛猫。一也が『フェニクス』と名付けたその猫は、既に拾ってから二年ほどが経過している。
その中でも猫なりの処世術というものを見つけたのか、甘えるのは大抵自身の食料が無くなった時である。現金な奴だと思わないこともないが、その点も含めて一也は気に入っていた。
取り敢えず絡みついてくるフェニクスを追い払いながら、キッチンに備え付けられた棚を開く。が、そこから現れたのはすっからかんになった袋だけである。
そういえばストック無かったんだったな、と前回使い切った時、また今度補充すればいいと考えてそれから放置していた記憶が蘇る。自らの悪癖に辟易としながら、参ったとでもいう風に頭をボリボリと掻く。
「悪いな、今から買ってくる」
不平の鳴き声を上げるフェニクスを一撫でしようと手を伸ばすが、自らの要求に応えられない飼い主に撫でさせる義理は無いとばかりにその手をするりと掻い潜る。再びナーゴと鳴き声を上げると、僅かに開いた襖の隙間をくぐって一也の部屋へと進入した。
恐らくお気に入りである枕の上に行ったのだろう。どこまでも自由気ままな存在である。折角だから奮発して高級な奴でも買ってやろう、とふと考え付いた。
◆◇◆
(とはいえ、こんな出会い予測もしてなかったんだけどな)
一也の正面にはニコニコと笑う、見覚えのある金髪の女性。そしてその両脇に付き従う美男美女。自称・他称共にフツメンだと自覚する彼と共に居る存在としてはあまりに釣り合わない。
場所は近所に建っている大型スーパーの中。折角だから猫が喜ぶ例のちゅーるとやらを買ってやろうかとペット用品コーナーで吟味していた所、唐突に聞いた肩を叩かれたのである。
勿論普段から周囲を警戒している訳でも無し、すわ奇跡的に自身の事を覚えてくれていたクラスメイトか、と期待して振り返ったらこの有様だ。思わず苦々しい顔になってしまうのも無理はない。
「あら、久々の再開だというのに随分なご挨拶ね? 私の方は貴方に会いたくてずっと探していたというのに」
「……人違いじゃないっすか。俺急いでるんで」
いかに友達付き合いを望んでいようと、明らかにやばい奴らとは極力関わりたくはない。言うなれば彼女は美人局の様な物だ。その美しい見た目に釣られてふらふらと付いていったが最後、ほぼ確実に関わってはいけない事に関わってしまう。
前世の経験から、裏の世界に足を踏み入れたが最後、そこから足を洗う事の難しさは良く知っている。故に彼はサリアから視線を外し、足早に去ろうとする。
「待ちなさい、まだ話は終わっていないのよ」
だが、自らの右腕がガッチリと拘束されたことによりその歩みは止めざるを得なくなる。チラリと視線を向けると、先ほどまでサリアの隣にいた筈のレオナルドが間近に顔を寄せ、一也の腕を拘束していた。地味に関節をキメているのか、肘から先が若干妙な方向に曲がっている。
大抵の相手ならこうしているだけで痛みに思わず悲鳴を上げてしまうだろう。命令されていた訳ではないが、憧れのお嬢様に執着されているという嫉妬と、それを袖にしようとする一也への不満が入り交じった感情が、レオナルドを独断に走らせた。
「離してくれないか? 動き辛い」
「っ……大人しくお嬢様の話を聞け」
だが、一也はおくびにすら出さない。それどころか『蚊が鬱陶しい』という感情と同じレベルで、直近のレオナルドへと濁った目線を向ける。
何の変哲もない筈の視線。少なくとも幾多の修羅場を掻い潜ってきたレオナルドは、もっと直接的な恐怖を覚える殺意の視線など何度も受けて来た。
しかしどうした事だろうか。一也の視線を受けた瞬間、思わず身を引きそうになってしまった。それこそ、尊敬しているサリアの命令すらも無視して。
どうしてそうなったのか、彼自身にも分からない。だがその分からないという感情が更なる火種となり、わずかに感じた圧力は苛立ちによった覆い隠された。
一方、部下の
「あの爆弾。結局爆発騒ぎとかは起きなかったけど、一体どうやって処理したの?」
耳元に掛かる吐息。得も言われぬくすぐったさと公衆の面前で行っているという気恥ずかしさに若干一也の体が震える。
前世の記憶から気丈に振舞ってるとはいえ、彼も一応健全な男子高校生。十人が見れば十人が美人と答えるであろう相手からこのような事をされて、全くの無反応でいられるほど枯れてはいなかったのだ。
「……何のことかサッパリ分からないですね。流行りの映画のネタか何かっすか? 生憎そういった物には疎くて」
だが、相手を魅力的に感じるかどうかと言うのはこの場において全く別の話だ。極力相手に情報を与えないよう、話題をずらしながらはぐらかす。
ここで出会った事自体は予想外の出来事だったが、面が割れている以上いつか自分の存在が発覚するであろうというのは爆弾を処理した時点で既に考えていた事だった。いつか来ると分かっていれば、それに対する対策も立てられる。故に彼は若干色香に揺らいでいる状況でも、淀みなく彼女の問いに答えられた。
「誤魔化すの? まあそれでもいいけど……でも貴方のその反応、どう考えても無関係の一般人、という風には見えないわね」
「……」
……生憎墓穴を掘りに行った結果になったようだが。
一応彼もこうなる可能性は把握していた。それ故一番不自然が無いパターンとして、家で戸惑う一般市民の練習をした。してはみたのだが……その結果出来上がったのは真顔で甲高い悲鳴を上げる気味の悪い男子高校生という図である。彼は瞑目し、内心で演技が出来ない自身の表情筋を恨んだ。
ここでなにがしかの上手い言い訳を思いつければ良かったのだろうが、残念ながら彼はそれほど器用な
とはいえ、彼がここで上手く誤魔化そうと、既にサリアが目を付けてしまったのは紛れもない事実。彼女の執念深い素顔を知っている者が知れば、一也に一言『諦めろ』と建設的なアドバイスをしてくれたことだろう。
「まあ背後関係については洗えば勝手に出てくるでしょう。今日のところは名前だけ聞ければそれで引いてあげるわ」
「……田中太郎だ」
こういった時には己の真顔が役に立つ。
一切悪びれず偽名を言い切った一也は、先ほどまでの自身の表情筋に対する評価を百八十度回転させた。
「……その人の名前は黒崎一也。年齢は十六。
「私たちと同い年だったの? 意外ね、貴方童顔だから
「……」
あっけなく嘘をバラされた一也。個人情報とは何か、という疑念が頭の中をぐるぐると回る。
「というかアウトゥンノ、知ってるんだったら早く報告しなさいよ。私の気が短いの知ってるでしょ?」
「……知ってるけど、この人背後関係が真っ白だったからマークはしてなかった」
「それ本当? ……まあ、こうして会えた事だしその点については許してあげるわ。完全に真っ白だとしたら、もっと上の大きな力によって消されてる可能性も出てくるけど、それは
「これからだと? おい、一体何をするつもりだ」
「貴様、お嬢様に向かって失礼な口を……!」
グイ、と更に関節をキメようとしてくるレオナルドだが、それにも一切動じず一也はサリアに噛みつく。
「レオ、私たちは争いに来た訳じゃないの。第一彼は疑惑が高いとはいえ一応は一般人。その辺りを弁えなさい」
「……グ、お嬢様がそう言うのであれば」
しぶしぶと腕から手を放すレオナルド。曲げられ続けて本当に変な方向に曲がっていないか、と掴まれていた右腕を振ることで調子を確かめる。
ブン、と風切り音を立てながらしなる右腕。これなら問題なさそうだと判断し、改めてサリアに向き直る。
「……それで、一体どうするつもりなんだ」
「あら、決まってるじゃない。貴方を見極めるには、貴方をよーく観察する必要がある。それこそ四六時中、どこにいても」
真っすぐ人差し指を向けてくるサリア。その爪先が眉間に触れるか触れないかの位置まで近づき、チリチリとした妙な感覚を伝えてくる。
「故に、年頃である私たちが行くべき場所はただ一つ――学び舎に決まってるじゃない」
妙な感覚が嫌な感覚に変わった。ため息を付きながら顔を俯かせると、何故か健気な犬のパッケージが殊更に目に飛び込んできた。
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