第二話 サリアさんの日常生活




「ああ全く、散々な目に遭ったわ! 手首は痛いし、首謀者は捕まえられないし! 朝のニュースで乙女座は絶好調なんて言ったたけど、あれは嘘ね。今度からあのチャンネルは信用しないことにするわ」


「申し訳ありませんお嬢様。私達が付いていながら……」


「……ん。ごめんなさい」



大声で不満を垂れ流しながら、とあるマンションの廊下を歩くサリア・ジェルマーノ。その左右に付いている男女の一組ーーサリアの付き人兼護衛として働いているレオナルドとアウトゥンノの二人が、謝罪を持って懸命に彼女の事を宥めようとする。


 どうにか解放されたサリアは、見知らぬ謎の少年に後ろ髪を引かれながらも、自身の事務所へと帰還する事に成功。その後彼女を探していた護衛達とも合流し、こうして平和に愚痴をこぼしている。


かれこれ十分ほど続けて愚痴られている訳だが、護衛の二人はそれに反論する立場に無い。何故ならいくら不意を打たれたとはいえ本来の役目はサリアを護衛する事。それを全う出来ずに、あまつさえ護衛対象を攫われ危機に晒すなど、この裏世界では肩腕一本でも払い足りない失態である。

故に、彼らは粛々とその怒りを受け入れる。その叱責が正当なもので、尚且つ自身のミスだと重々理解しているからだ。



「ふう――まあいいわ。私もあの時は完全に油断していたし、一方的に貴方たちを責めるのもフェアじゃないもの」


「お嬢様のご寛恕、誠に痛み入ります」



 サリアの説教は、締めの言葉に自身への反省を入れることで大抵終了する。言うなれば一種の癖の様な物であり、半ば習慣じみた行為になっている。


 丁寧に頭を下げ、格式ばった物言いをするくすんだ金髪の青年、レオナルド・アデモッロ。透き通った碧色の瞳に、筋の通った高い鼻。男とは思えない程真っ白な肌と、端正に整えられた顔のパーツ、そして男とも女ともとれないような中性的な魅力が特徴的であり、一言で表すならば紛れもなく『美男子』である。


そして彼の横には無言で頭を下げ続ける少女。名はアウトゥンノーー生憎下の名前は無い。

というのも、彼女はサリアに拾われジェルマーノファミリーに育てられた、いわゆる捨て子だからである。

愛情こそ込められて育てられて来たが、残念ながらそれとネーミングセンスが比例するわけではないと言うのは現代日本でも『DQNネーム』で証明されているだろう。結果碌な名前が思いつかなかった為、拾われた季節からアウトゥンノという名前を冠する事になった。

苗字ファミリーネームは戸籍上では決定しているのだが、それをアウトゥンノ自身の口から語られる事は滅多にない。知っているのは恐らく決める際に立ち会ったサリアやその父親位であろう。


名前こそイタリア風だが、彼女の容姿は非常に日本人然としている。肩口で切り揃えられた黒髪に、全身を覆う気怠げな雰囲気。前髪が黒目を半ば覆い隠している事で、隣に立っているレオナルドと比較すると非常に地味である。

勿論彼女が不細工というわけではない。それどころかよく見れば美人の部類に入る顔の作りだが、いかんせん相手が悪い。道行く人に聞けば必ずレオナルドの印象が強く残り、下手すればアウトゥンノの事は存在すら気付けないだろう。

最も、それが狙いの一つである事は間違いないのだが。



「それで、貴方達に課していた任務の進捗は? 襲撃に使われた武器の脚は付いているんでしょう?」


「……申し訳有りません。実行犯を捕らえた所までは良かったものの、どうやら奴らはトカゲの尻尾だった様です。依頼人からの情報は一切無いようで……武器も調達を行なったのは一部の汎用的な拳銃のみ。主に使われた爆発物に至っては、恐らくエイツィオの自作では無いかと」


「警察に発覚するリスクより足が付かないメリットの方を優先したってわけね。火薬の調達元から洗い出すことは?」


「不可能ではありませんが、時間がかかります。少なくとも結果が出るには一月ほど掛かるかと」


「そうよねぇ……首謀者を確定させるより先に、エイツィオの奴らが攻めてくるでしょうね」



 カツカツと靴音を寂れたビル内に響かせながら、自身のこめかみを揉み解す。


 今回の襲撃は入念な準備の下行われていたようで、手掛かりとなる情報がほとんど得られていない。襲撃を行う動機があるような相手はエイツィオのみだというのに、それを追求できるだけの証拠がないという歯がゆい状況となっている為、彼女のストレスは溜まる一方なのだ。


 とはいえ、彼女を悩ますストレス要因はそれだけではない。犯人探しと並行させて行っている、『例の男』の捜索。それが芳しくないことも原因の一つだ。



「それより、私が言っていた男の事はどうなったの?」


「……そっちもあまり上手く行ってない。黒髪で中背中肉の男子は、この国にいっぱい居る」


「ですから背後関係を洗いなさいと! ただの少年があの状況であれだけ落ち着いていられるなんてある筈が無いのよ!」



 サリアが無事に脱出した後、彼女はすぐに廃工場へと人員を差し向けた。少年は既に居なくなっているであろうが、そこでなにがしかの手掛かりを残していれば、と考えての事である。だが、予想とは裏腹に倉庫は完全にもぬけの殻。裂かれた砂袋すら残さないという徹底ぶりであり、少年の痕跡は何一つとして残っていなかった。

 捜索を担当した者たちも素人でなはい。時間の許す限り指紋や体毛などの判別が付く物を探し出そうとしたが、見つかるのはサリアのものとみられる指紋と金色の長髪のみ。他にはサリアを襲撃した連中の物と思しき指紋が複数と、その少年の証拠となるような物は一切見つけられなかったのだ。


 偶然残っていなかった、と片付けるにはあまりに不自然すぎる。こうまで巧妙に隠し通すには、証拠となるものがどこにどうやって残るのかという事をしっかりと把握しなければならない。それ即ち、彼が只の堅気ではないという証拠でもある。



「今、付近の監視カメラを漁らせてる。時間と照らし合わせれば見つかる筈」


「早急に頼むわ。私、気が長い方じゃないから」



 彼女がこうまでして一也の事に執着する理由。彼女自身に聞けば彼の底知れない、得体の知れない雰囲気が気になるからと返ってくるだろう。

だが、その奥底にある本心はもっと原始的な物。全く見知らぬ、それも何処にでもいそうな十六かそこらの男にコケにされたという怒りだった。

それは恐らく生まれてからこの方、自身の美貌や犯し難い立場という事から、父親以外に叱責を受けた相手がいないという特異な事情にも起因しているのだろう。彼女にとってああいった冷淡な態度を取る人間と接するのは男女含めて初めての体験であり、同時に許し難い出来事でもあったのだ。


最も、探し出してどうこうするという明確な目的がある訳ではない。勿論背後関係からエイツィオファミリーに繋がるようであればそれ相応の対応があるが、そもそもサリアにとって彼は命の危機から救ってくれた恩人。それを邪険に扱う事はファミリーの理念にも、そして自身のプライドにも反する行為である。


故にこうして彼のことを探らせているのは一種の自己満足故の行動であり、そこに深い意味は存在し無い。


……無いったら無い。



『良いから吐け! どうせ証拠は上がってんだ、結局黒幕が出てくんのは時間の問題だぞ!』


『そんならさっさと見つけてみせろよ! テメェらお得意の情報網でなぁ!』



と、不機嫌な彼女の耳にこれまた不愉快な罵声が響く。ハイスピードで進めていたその足が止まると、つられて背後の二人もぶつかるように歩みを止める。


サリアの顔は二人に見えていない。見えていないが、その可愛らしい額にはきっと禍々しいほどの青筋が浮かんでいるのだろうと容易に想像が出来た。



「……確かこの奥で尋問が行われてるんでしたっけ? 聞くところによるとどうにも芳しく無いらしいけど」


「ええ。殆どが事情を知らないホームレスか町の不良でしたが、一人だけ背後関係が真っ黒な男がおりまして。ただプロ意識かどうかは知りませんが、どうにも口を割ろうとしません」


「悠長ね」



一言だけ呟くと、ボロボロのプレートに『第三会議室』と書かれたドアを勢いよく開け放つ。

轟音と共に入ってきた三人の若者を、室内にいた人々の視線が穿つ。だがその中でも真っ黒いスーツにサングラスを付けた幾人かの男達は、振り向いた瞬間に勢い良くお辞儀を行う。


高々二十も行かない、少年少女と言ってもいい存在に対し、強面の男達が襟を正しく一礼するという異様な光景。だがサリアはそれを意にも介さず、椅子に縛り付けられた禿頭の男の前に立つ。


皺の様子から四十は超えているだろうか。堅気の人々には決して出せない剣呑な視線を、その猛禽のようなつり目から一人の少女に向けた。

普通の女性ならば、睨まれただけで気絶しそうな程の迫力。だがそれを受けたところでサリアは怯みさえせず、寧ろ背に氷柱でも入ったか、と思ってしまうほどに底冷えのする冷淡な視線を返す。



「この方が例の?」


「ええ。名前はスヴェルフ・サグルフ。国籍はアメリカ。家族関係は妹が一人。それ以外の家族とは全員死別している様です。色々と後ろ暗い仕事を請け負って日銭を稼ぐのが主な収入ですが、恐らく今回の仕事で随分と貰ったのでしょうね」


「……」



レオナルドの口からつらつらと並べられた男の情報。一見無表情を貫いている様に見えるスヴェルフだが、それでも情報が読み上げられた瞬間ピクリとその米神が動いた事をサリアは見逃さなかった。



「妹が一人、ねぇ……その子を除けば貴方は天涯孤独の身。さぞ大切にしているのでしょう?」


「……それを交渉の材料にでもするつもりか? 生憎だが、俺は表と裏をキッチリ分けるタイプの人間でね。そう言った手合いの交渉にはハッキリとノーを突き付ける準備が出来てんのさ」



ーーパァン!!


打ちっ放しのコンクリートの空間に響き渡る乾いた破裂音。それが一体何であるか、スヴェルフが頭で理解出来たのは太股からジワリと伝わってきた焼きごての様な熱さを感じてからだった。



「が、あああああああああ!!!!」



サリアの真っ白な手に握られた、無骨な銀の拳銃。『人を殺す』という機能にのみ特化した、近代の殺人兵器。その銃口からは薄く白煙が立ち昇っている。


白熱灯の元に照らされ、銃身に反射する鈍い輝きはある種の美しさすら見るものに感じさせた。



「私、悠長なのは嫌いなのよ。今求めている解答は貴方が情報を話すか否か。黙るならモルテ、話すならヴィーヴェレ。アメリカ風に言うなら生きるか死ぬかデッドオアアライブ。その生ゴミが詰まってそうな禿頭で良く考えなさい」


「……裏の世界では、信用が第一だ。話せば俺はどの道消される。アンタだってそん、ぐあっ!!!」



撃ち抜いた太股を思い切り踏み抜く。鉄板の仕込まれたそれは、少女の体重以上の衝撃を傷口に与え、スヴェルフを悶えさせた。

ボタボタと溢れ、地面へと滴り落ちる血液。真っ赤な血溜まりに、サリアの美しい顔が反射して映り込む。



「聞こえなかった? 話すか話さないか、さっさと選びなさい」


「……へっ、誰が言うかよ」



二発目の銃声。


白魚の様な人差し指が引き金を引く。その動作だけで、屈強な男の額に風穴が空いた。

絶命した様子を一瞥だけすると、興味を失った様に未だ硝煙の立ち上る拳銃を放り投げ、くるりと振り返る。



「死体は山にでも埋めておきなさい。尋問は終わらせて、貴方達もそれぞれの持ち場に戻る様に。二人共、行くわよ」


『了解しました』



レオナルドとアウトゥンノの二人を引き連れ、部屋を後にする。軋みながらも重々しい音を立てて、背後の鉄製の扉は閉まり切った。

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