第一話 黒崎君の過去話




彼が銃撃を受けた日より大体一週間ほど前。始業式も終え、早めに学校が終わった彼は日課となっている鍛錬を行いに町の廃工場を訪れていた。


 ……改めて言葉にするだけで随分と現実離れした内容である。日課の鍛錬など普通の男子高校生はしないだとか、そもそも町に廃工場などそうそう無いだとか、色々と突っ込みどころはあるだろう。だがそこはそれ、一也自身普通の男子高校生とはかけ離れた存在である為仕方がない。


 デフォルトである仏頂面を引っさげ、何の躊躇もなく有刺鉄線の巻いてある鉄製の門を飛び越える一也。こうして立ち入れない様にしてある以上管理者がいる筈なのだが、幸運にも今の所彼が咎められた事はない。これだけ大きい工場、維持するだけでも一苦労なのだろう。



「ん……?」



無事に侵入を終えた一也だが、何か違和感を覚えたのかふと足元を見下ろす。



「これは……足跡か?」



彼の足元には、工場の倉庫へと続く複数人の痕跡が残されていた。


ここ数日バイトで忙しかった彼は、暫く廃工場を訪れる事は無かった為、これが彼の物ではない事は明らか。

ならばこの足跡の主達は彼が来れなかった数日の間にこの工場を訪れたという事になるが、よっぽどの変人か用事でもない限りまともな人物が来る様な場所ではない。季節外れの肝試しという可能性も有るにはあるが、心霊スポットになるような噂がある訳でもない為、限りなく低いと言っても過言ではないだろう。


つまり、ここを訪れたのはその人々という事になる。



「参ったな」



何も見ていない今ならば、踵を返して回れ右する事で面倒事を回避出来る。流石の一也と言えども、そういった事へと積極的に首を突っ込みたい訳ではない。色々と変わってこそいるが、本質は青春を望む夢見がちな男子高校生なのだ。


だが、そういったまともではない人々がまともではない組織に属していた場合、話がややこしくなってくる。


反社会的な組織が人目につかない場所で何をするかという事を、彼はある程度把握していた。例えば裏取引然り、暗殺然り……そして、人攫い然り。


何故こうも彼が余計な思考を巡らせているのかというと、当の足跡が向かった倉庫の中から人の気配を敏感に感じているからだ。

勿論ホームレスかもしれないが、彼の記憶の限りでは、厳重に巻かれている有刺鉄線のお陰で一也以外の侵入が許された事はない。


面倒事は御免だが、もしかしたらピンチに陥っている人を見捨てられる程冷徹な訳でも無い。結果彼が出したのは、『少しだけ覗いて無理そうなら諦める』という何とも中途半端な結論だった。



「むっ……これ、意外と重いな」



鉄製のドアに手を掛け、思い切り体重を掛ける。が、長年雨晒しになっていた為かドアは酷く錆び付いており、一也の身長三つ分ほどはある大きさも手伝い非常に開けにくい。


それでもめげずに押し続けると、やがて扉は耳障りな音を立てながらゆっくり開いていく。人一人分が入れるほどの隙間を作ると、そこからぬるりと入り込む。


長年使われていなかった倉庫の中は薄暗く、密閉空間だった為か酷く埃っぽい。唯一の光源として天窓から差し込む光には、まるで天使の羽かのように埃が舞い上がっている。

空気の悪さに耐えかねた一也は、自身の襟を口に当てることでどうにか呼吸を確保する。それでも完全には防げず、僅かに入った埃が彼の咳を誘発させた。


廃棄される際に放置されていたのか、いくつもの荷物が積まれており内情は分かりにくい。が、良く目を凝らしてみれば奥の辺りに何者かが座り込んでいる事が分かる。

薄暗い中にも人の影を見つけた一也は、ゆっくりと近づいて行く。



「……おい、大丈夫か」



人影の正体は、見知らぬ女だった。流麗な銀髪は泥だらけになってその輝きを失っており、両腕は後ろ手に回され錆びた柱へと括り付けられている。


何かがあった、というのは最早疑いようの無い事実だろう。しかし豪胆と言うべきか、はたまた愚かと言うべきか、一也は躊躇する事なく彼女の側へと歩み寄る。

至近距離まで見知らぬ男に近付かれても、女性は俯いたままなんの反応も示さない。意識を失っているのか、はたまた死んでいるのか。判別がつかなかった彼は、取り敢えずペシペシと軽く女の頰を打ってみる。



「ん、んん……」



不快に感じたのか、渋い顔をして身じろぎする女性。閉じていたその目がゆっくりと開かれる。



「えっと、ここは……」


「おはよう。起き抜けに悪いんだが、あんたどうしてこんな所で寝てるんだ?」



目をしばたかせ状況を把握し切れていない女性に、一也は遠慮なく不躾な質問をする。何にでも直球な彼の性格は、話が迂遠にならないと考えれば美点ではあるが、こういった場面における気遣いだとか、そういった面においてはとことんマイナスに働く。


仏頂面(本人は真顔のつもりだが)に睨み付けられ不機嫌そうに話しかけられれば、大抵の人は余り気分の良いものと感じない。彼女もその例に漏れず、その整った柳眉は不愉快そうに顰められた。



「……それは寧ろ私が聞きたい事なのですが。そもそもここは何処です? アウトゥンノは? レオは? 私の家族ファミーリアは?」


「一度にいくつも質問をするな。初対面の俺があんたの事情なんて知る筈無いだろう」


「確か私はお父さんパードレの事務所から帰る途中で、車に乗ってた筈で……ああもう、考えが上手く纏まらない。とにかくそこの貴方、敵で無いのならこの縄を解いて貰えますか?」



ブツブツと呟いていた彼女は、唐突に一也へと向き、自身の拘束を外すように懇願する。

これだけの美少女からの願いだ。普通の男子高校生ならばここで二つ返事どころか、何か話しかけられる前に解きにいっただろう。

それを当の彼女も理解しており、混乱した頭でもその美貌を籠絡に使いこなせる程度には手練手管を学んでいた。


『見たところ只の青年だ。軽く誘惑して、ある程度利用出来る所までは利用しておこう』。そんな考えが女性の頭の中には浮かんでいたのである。


だが、侮るなかれ。目の前に立っている少年は十二分に『変人』の域だ。



「悪いがそれは出来ないな」


「……へ、なんで……」



完全に予想外の答えに、思わず固まってしまう女性。

だが、真に予想外なのはその理由だった。



「あんたが俺に敵対しないという確証が無い。この縄を解いた途端、俺の首を掻きに来るかもしれないだろう?」


「そ、そんな事しません! 大体、私は非力な少女。貴方をどうこうする力なんてある訳が!」


「どうかな。あんたの態度、とても監禁された普通の少女には見えないが」


「人より幾分か冷静なだけです。それに私の親指も結束バンドできつく締められているんですよ? これではどうすることも出来ません」


「……まあ落ち着け。あんたの事情は分からんが、ここに人なんてそうそう来ない。ひとまず落ち着いてここまでの経緯でも思い出したらどうだ」



冷静になって状況を確認する。確かに言ってる事だけ抜き取れば彼の言い分は正しい物だが、それを目の前で縛られている少女に向かって言うとなると話は変わって来る。

縛られたままで落ち着けるか、と剣呑な視線を向けるも、当の一也はどこ吹く風。それどころか話は終わったとばかりに移動して、あちこちの荷物を弄り始めたではないか。仕方ないとばかりに溜息をつき、少女は思考の海に沈む。



(……あの車にはアウトゥンノとレオが同乗していた。彼らが無事なら問題無く私の側にいるはず。なのに目を覚ましたら、周りにいるのはよく分からない癪に触る男が一人だけ。だとしたら、まず間違い無くあの子達の身に、そしてあの時に何かが起こった筈)



一也の予想はある程度当たっていた。少女の手は確かに結束バンドで拘束されているが、彼女の本領は足技。靴底に鉄板が仕込まれている特別製であり、当たれば肋の二本や三本は砕かれていた事だろう。彼女にその気がなかったとはいえ、いつでもそれが出来るという状況であったのは事実だ。


そして、当の彼女自身の立場も、ただの一般人とはかけ離れている。



(私に何か仕掛けるとしたら心当たりがあるのは……私達ジェルマーノファミリーと敵対してる、エイツィオファミリーしか無いわね。移住の件についてはジャパニーズマフィアヤクザと話はついてる筈だもの)



イタリアの一大マフィア、ジェルマーノファミリートップの娘。そして極東における支部を担う存在、サリア・ジェルマーノ局長。それが彼女の持つ裏の肩書きであった。



(今のこの状況がエイツィオの奴等によるものだとしたら、あの男が刺客である可能性もあるけど……いや、無いわね。監視にしても雑過ぎるし、何より裏の住人独特の雰囲気が無い。考え難い話だけど、彼は本当にただの一般人の様ね……肝試し、とやらにでも来たのかしら?)



じいっと一也を見つめるサリアだが、それに気付くこともなく少年は忙しく動き回る。普段から鍛錬に入り込んでいる廃工場だったが、倉庫に入ったことは無かった為色々と転がっている品が物珍しいのであろう。


砂袋、砂袋、錆びた金属パーツ、空箱を挟んでまた砂袋。土嚢にでも使っていたのか、やけに砂袋ばかりが放置されている。少し気になって一也が蹴ってみると、ポスンという鈍い音が響く。



「妙だな」



何を思ったのか、一也は勢いよく砂袋の布地を引き裂く。溢れ出て来た砂を掻き分けると、中から何かが現れた。


拾い上げ、天に透かしながらまじまじと見つめる。乳白色に濁った直方体と、その一面から伸びる赤と青のコード。シンプルな構造だが、その分素人目にもこれがどういったものかは非常に分かりやすい事だろう。



「なっ……C4!? エイツィオの奴ら、一体どこまでやるつもりよ!」



砂袋の中に仕込まれていたのは可塑性爆薬。有名な呼称としてはプラスチック爆弾。人を一人殺すには十分過ぎる火力が含まれている。

衝撃の類に強く、信頼性の高い爆弾の一つだ。起爆装置となる雷管はすでに差し込まれており、いつでも爆発させる事が出来る状態である。


恐らく敵対しているエイツィオファミリーの仕業。様々な技術を学んできたサリアだったが、爆弾の解除方法はまだ危険だと教えられていない。縛られたままの彼女はどうすることも出来ないと歯噛みする。



「とりあえずこの縄を解いてください! 私では爆弾解除は出来ない以上、このままだと二人もろとも木っ端微塵です! 今すぐ逃げないと!」


「確かにこのままだとマズイな……縄は解いておく。あんたは先に逃げろ」


「先にって……貴方はどうするつもりなんですか?」


「それこそあんたには関係無い事だ。死にたくないならさっさと逃げろ、とだけは言っておく」



 サリアの背後に回り込んだ一也が、そっと縄の結び目を撫でる。次の瞬間、一瞬にして結び目ごと縄が切断された。

 振り返ったサリアはその縄の切断面を見て驚愕する。めぼしい刃物も持っていない、ましてや刃物の心得などありそうにないこの少年が、自身の肌を一切傷付けることなく縄だけ正確に切り裂いて見せた。


 もう少し詳しく見ようとしたサリアだが、その縄も彼に回収されてしまう。その勢いのまま背中を押され、あれよあれよという間に倉庫の外まで追い出されてしまった。



「ちょっと、貴方には聞きたいことが……」


「早く行けと言った筈だ。サービスで爆発物の処理までしてやると言ってるんだから、そこは黙って立ち去るのが礼儀だろう」



 ドン、と一際強い衝撃。サリアが突き飛ばされたのだと気付いた時は、既に倉庫のドアが重苦しい音を立てて固く閉ざされた後だった。


 このまま彼が出てくるまで待つのもいいが、いつ此処にエイツィオの刺客が差し向けられるか分からない。一也の事に後ろ髪を引かれつつも、サリアはよろめきつつ自身の拠点へと向かうのだった。



(……そういえば結束バンドまでは切ってくれなかったのね)



 ……一也の用心深さ、或いはセコさをしみじみと感じながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る