会議


 なんていやらしいジレンマなのだろう!


 ウーレン王母・リナの前に、もう叩き割る陶器壷は残されていない。

 春が来て、戦いの準備は万端。なのに攻めこむことはできない。

 三度送った暗殺者は、みんな首だけしか戻ってこないし、国境を封鎖されてムテやリューマの物資が入らず、贅沢もままならぬ。

 気のせいか、貧乏人が増えて、治安も悪くなったような気がするし、側近たちにも信頼が置けない。


 それもこれも……セルディのせいよ。あの子、昔から可愛げがなかった。


 すでに成人と認められる年齢に達した第一皇子が王位を主張すると宣言しているのだ。

 他国にいる間は王位を得ることはできないが、自国に入ったら正統性はセルディにある。

 セルディは、今リューマにいる。リューマを落としたら、セルディはウーレンにいることとなって、王位を奪われる公算が強い。

 もう、どうしたらいいのかしら?

「とりあえず、国境封鎖だけは解除したいわ。コーネを落としてガラル関所を我が物にしなさい!」

 



 リューの東門を抜けて、わずか。

 連立する石碑がある。セルディは、まだ新しい石碑の前に立っていた。

 時は春。義父のお墓に、花を添える。

 リューマの人々は、亡くなった人を土葬する。ウーレンのように、火葬にして墓場に撒くようなことはしない。だから……レグラスは、この下にいる。


 レグラス・ジル。

 それが本名と知ったのは、葬儀の時だった。

 第二リューマから、妻と子供たちがきた。平凡な農夫だった。

 おそらく、平和で満ち足りた生活があったら、レグラスは平凡な一生を送ったのだろう。

 セルディは、立ち並ぶ石碑を見まわした。

 レグラスの墓碑は、ほかの人々のそれと何も変わらない。

 石碑の間を風が通りぬけ、すすり泣くような音を立てた。

 時代が、彼にリューマを名乗らせた。そしてレグラス・リューマは輝くような人生を走りぬけて、散っていた。

 心残りもあるだろう……。志半ばだった。

 でも、それはこの石碑の下に眠っている人々すべてに、言えることでもあった。

 虐げられて、奪われるだけ奪われて、我々は死んでいきました。

 風の声は、セルディにそうささやいていた。



 その日から一ヶ月後、セルディとリナは、関所を挟んでにらみ合っていた。

 長期戦になれば、戦力に勝るウーレンに敵うはずがない。セルディはよく知っていた。

 ウーレンにここを突破されるわけにはいかない。経済的な締め付けが効かなくなってしまうことになる。

 しかし、リナ姫に戦局を見極める目はなかった。

「おまえ自ら出てくるとはね。手間が省けたわ! 死んでもらうわよ」

 槍を身構えるリナに、馬上からエーデムの微笑を持って、セルディが答えた。

「私を殺せはしません。それより、お茶でもいかがです? 今後のことでお話したいことがございます」


 お茶だと! 私を毒殺でもする気なのか?

 リナの顔はこわばった。だが……セルディを暗殺するチャンスがあるかも知れぬ。


 かくしてお茶会が開かれた。

 しかし、お互いの兵士が並び警戒した中での、緊迫したお茶会であり、お茶の効力をもってしても、空気が和むことはなかった。


「リューマの作柄は悪かった。ウーレンほどでないとしても、リューマはもともと豊かな土地ではない」

 セルディはお茶に口をつけたが、疑わしげなリナの顔を見て微笑んだ。

 エーデムの心和ませる笑顔ではあるが、ウーレンの血を濃くもつリナにとっては、イライラを募らせる微笑であった。

 セルディは机の上のカップを、リナのものと取り替えると、そちらも飲んだ。毒を盛っていないことを証明するためだった。

「おまえの口をつけた茶など飲めぬわ……。さっさと出すもの出して、シッポを巻いてエーデムにでもお帰りなさい」

「私はリューマを離れません。リューマの族長でもありますから。そして、あなたがリューマを取るというならば、ウーレン王位をとるだけですよ」

 リナの手が、槍にふれた。一瞬、セルディの後に並んだ兵たちに緊張が走ったが、セルディは、武器を下ろすように手で合図した。

「リナ様、あなたは美しく着飾ることがお好きだ。美味しい料理も大好きだ。だが、あなたがリューマを奪ったところで、あなたの欲求を満たすだけの財力は、この国にはありません。それよりも豊かで、あなたの欲求をすべてかなえてくれる国が、すぐ側にあるではありませんか?」

 セルディは、カップを置いて二杯目をそそいだ。


 かつて、ウーレンは、皇女ジェスカの時代、完全にエーデムを支配していた。

 彼女の時代、ウーレンがもっとも華やかで豊かな時代ともいえた。なぜならば、エーデムの地は魔の島でもっとも豊かな稔りの地であり、ウーレンを潤したからである。

 ギルトラント王の時代、ウーレンの勢力圏は、あのウーレンド・ウーレンの時代に次いで、広がった。しかし、エーデムから搾取できなくなったため、けして豊かとはいえなかったのである。

 リナは、ジェスカ皇女のお気に入りだった。皇女の時代、散々贅沢に慣らされた彼女は、エーデムを失ってからの生活を、苦しく思っていたのだ。


「ふん、バカをおっしゃい……。あの地はエーデムリングの結界に守られた地ゆえ、おまえの父さえ、手に入れることができなかったではないか? あげくの果てに、つまらぬ女を同盟のために娶ったのだぞ?」

 母を愚弄されても、セルディは顔色ひとつ変えなかった。

 リナはいぶかしんだ。


 こやつ、ウーレンをエーデムにけしかけて、背後を狙うつもりではないか?


 そのリナの考えを読んで、セルディは笑った。

「ウーレンがリューマから手を引いてくださると約束してくださったら、エーデムをあなたに差し上げますよ」

「なんだって?」

 リナは驚いて、お茶をこぼした。

「だから……あなたが兵を引き、リューマの独立を約束して下さったら、私がエーデムをあなたにあげるといっているのです」

 それは、リナにとっては不可能なことに思えた。単なる時間稼ぎではないのか?

「エーデムには力が眠る。おまえに落とせるはずがない!」

「力などありません」

 セルディは言いきった。

「エーデムに力があったのは、はるか昔のことです。私がそれを証明して見せましょう。あなたは黙って見ていればよろしい。そして、エーデムを渡した暁にはリューマの独立を認めてください」

 エーデムリングに守られた地をセルディが落とせるはずもない。が、この自信はただ事ではない。

 もともと、ジェスカの時代でもリューマの一部を属国としていたに過ぎない。

 リューマなどよりもエーデムのほうが美味しいに決まっている。

「わかったわ。兵を引き上げます。ただし、時間は夏までよ。それを過ぎたら、約束は反故とします」

 リナ姫も、新しく二杯目を飲む。しかし、視線は疑ったままだった。


 会談は終わった。

 約束通り、ウーレンの兵は引き上げていった。

 セルディは空を見上げた。青い空で、雲ひとつない。しかし、鳥が舞っている。

 鳥は今日の出来事を、父とも思えるエーデム王に正確に伝えるだろう。


 伯父上……。

 ごめんなさい。でも、僕はあなたと戦わなければならない。


 それは、僕が僕らしく生きるため……。

 この島に、人々が平等に平和に幸せに生きる世界を作るため……。

 その世界だけが、僕の生きうる国なのだから。

 どこまでも澄み渡った青い空のように、セルディの心に曇りはなかった。

 夏は……もうすぐだった。

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