蜜月・1


 雪解け水が、ガラル川の水量を増やしている。エーデムリングの遺跡にたまった水が、瑠璃門よりあふれ出て、滝のように流れでる。その回数が頻繁になった。

 シリアが驚いて耳をふさぐ。春風に銀の髪がなびいて輝く。

 いつまで見ていても、何度見ても、アルヴィは見とれてしまう。

 俺の白百合……。魂に咲く花。


 この少女を妻とした。

 俺は幸せだ。


 思いきって砦を出て、エーデム村に新居を構えようとの提案に、シリアはうなずいた。

 はにかんで笑う顔が、またアルヴィにはたまらない。

「あの……少し、がんばってみたいのです。普通に人とお話できるように……」

「ああ、でも、無理はするな」

 そう言いながらもアルヴィはうれしかった。

 はじめて抱き合って眠る夜、アルヴィは石女という意味を理解した。

 しかし、それすらも気にならないほど、アルヴィはシリアが愛しかった。きつく抱いたら壊れそうで怖い。でも、柔らかい。そして温かい。これは……石じゃない。

 まだ不器用なキス。加減を知らない愛撫。

 時にうっとりと、時に堪えるようにして、シリアは身を任せる。


 かわいすぎる。

 俺は幸せだ。


 一緒に暮して驚いたことは、料理だ。

 レイラ同様、エーデムの箱入り姫のシリアには、どう考えても料理などできるはずはなかった。だから、アルヴィはまったく期待していなかったのだ。

 しかし、シリアの料理の腕は、サリサが絶賛するほどだったのである。

 エーデム王族あって肉抜きではあったが、もう見た目からして美しい。食欲をそそられる。レパートリーも多い。

「あの……母が教えてくれました。美しく着飾ることよりも、このようなことが、女には大切なのですって……。でも、私……女とはいえないから……まさか、役立つとは……」

 恥かしそうにうつむくシリアに、サリサまでもがぼーっとしているので、アルヴィは机の下で足蹴を入れた。

 女らしい幸せなど無縁の運命の娘に、シリアの母は、どんな気持ちで料理を教えていたのだろう? そう思うと、アルヴィは胸が詰まる。

 シリアは愛されていた。愛されて育った。

 しかし、いつも不幸だった。


 そこは彼女の世界ではなかったから……。


 伴侶がいるということが、シリアの心を落ち着かせているのだろうか? 時に人を避けるのは相変わらずだが、かつてのようなヒステリックな態度は影を潜めた。

 サリサとレイラとは、ヴェールで顔を隠さなくても話ができるようになった。

 それに、馬に名前をつけてくれた。

「シヴァ……。おかしい?」

「いや、いい名前だ。どういう意味?」

「ムテの言葉で、氷の精……。氷竜のことよ」

 ムテの言葉か……。アルヴィは勉強不足だった。

 シリアは馬の鼻面を撫でる。

 さすがに一人では馬に乗れないが、シリアは心話で馬とも話せるようなのだ。

 メルロイと同じくらい、いや、それ以上能力が高い。

 シリアが男だったら……と、メルロイが言った言葉を思い出す。




 幸せな甘い日々が続いている中、メルロイだけが考えこむ日々が続いていた。

 そして、その日は突然やってきた。

「マサ・メルが逝ってしまった。私はムテにいかなければならない」

 サリサが泣き出した。サリサにとっては、唯一の肉親だった。

「サリサ、君もムテに帰らなければならない。もう、最高神官の血は君にしかない」

 百三歳にして、少年は大人にならなければならなくなったのだ。

 レイラがリュタンを手渡そうとしたが、メルロイは受けとらなかった。

「……それは、すぐお帰りになるということですか? それとも……」

 メルロイは微笑んだだけだった。


 尊きエーデムリングの住人・セラファン・エーデムは、王位に何の関心も持たず、力に何の興味も示さず、ただ風のように生きるために、歌うたい・メルロイとして生きた。

 今回も、思い立ったが吉日とばかり出かけようとしている。

 だが、アルヴィは一抹の不安を感じた。

 もう、メルロイに会うことはない。そんな予感だった。


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