祝福

 堂々と駆け落ち……。


 硬直した村人たちの中で、メルロイが突然くすくすと笑い出した。

 若かりし頃、ギルティがフロルをさらっていった夜のことを思い出したのだ。

 アルヴィのかわりに蜂蜜飴をサリサにプレゼントしながらも、何故か笑いがこみ上げてくる。

 レイラが不思議そうに見つめている。

「だって、血は争えないなぁと……。まぁ、それだけで笑っているわけではないんだけれど」

 メルロイはたち上がると玄関のドアを勢いよく開けた。

 とたんに、村長がつんのめって家の中に入ってきた。数人の村人たちが背後で不安そうな瞳で待機していた。

「巫女姫はガラルを抜けたみたいだね。シリア様の結界がまったく感じられなくなった」

 メルロイはにっこりと微笑んだ。

 失わないとわからないありがたさというものが、恵まれすぎた者には時としてわからないことがあるものだ。

「そんな……私たちはどうしたらいいのでしょう? なにとぞお力を……」

 村長の情けない声に、メルロイはくすくすと笑った。

「この村のことですよ。私に何が出来ましょう……。せいぜい、お茶を入れることぐらいですね。そのようなところで私を見つめていても、巫女姫が帰るわけでもなし……」




 春の陽気が、草原に小さな白い花を咲かせていた。

 まだ慣れない馬だったが、心を感じ取ってくれたのか、素直にまっすぐに走ってくれた。

 シリアは馬がはじめてなのか、怖がって震えてしがみついている。

「大丈夫だよ。目を開けられるかい? きれいな景色だ」

 目を開けたほうが怖くはないはずだ。

 目を閉じると、あたりは暗闇で何も見えない。だから怖いんだ。

 近くのものはそれなりの早さで去っていくけれど、遠くの景色は止まっている時と変わらずに、そこにある。俺は、シリアにこの風景を見せたい。

 でも、シリアは震えている。アルヴィには辛いことだった。


 しばらく走ると丘の上に出た。

 眼下にはまた草原が続く。アルヴィは馬を止めた。

 シリアはへなへなと座りこんでしまった。馬がよっぽど怖かったらしい。

「悪かった。俺はいつも考えが足りないな」

 シリアに俺の好きなことを好きになれなんて、強制できない。


 住む世界が違う……。

 だから、俺が歩み寄ってやらないとな……。


「この先は……イズーに繋がっているのですね」

 シリアがポツリという。

 馬を繋いでそそくさと戻ると、アルヴィはシリアの横に腰をおろした。

「イズーにいたことがあるのか?」

 シリアはこくりとうなずくと、涙を流した。

「イズーには美しい中庭があって……。そこは閉ざされた空間だから、とても心が落ち着くの。きれいなお花がいつでも咲いていて……。いつも忍び込んで、お父様に叱られてばかりだった。お父様も言っていた。竜のことは忘れなさいって……」

「その気持ちはわかるような……え? 君のお父さんって?」

 アルヴィは突然いやな予感に襲われた。

「エーデム王セリス・セルディンです」

「うわっ! まじめにか!」


 よりによって……俺がもっともいやなやつと思っている伯父上が……。


 もろに嫌な顔をしてしまった。

 慌てるアルヴィを見て、シリアは笑った。


 笑った? 笑ったのは初めて見たぞ。


 アルヴィはかえって緊張した。

「……ごめんなさい。あなたとお父様の確執は、ムンクも氷竜たちも教えてくれるから、存じています。だから、あなたがお父様を嫌っても仕方がないことだわ」

「いや、俺は努力する。シリアのためなら、俺、何でもできる」

 またシリアが笑った。

「無理をなさらなくても……。あなたとお父様は、いずれ、同志になる運命なのです。いつかかならず心通わせる日がきますわ」


 俺が、あのいけ好かない野郎と? 信じがたいな……。


「……シリアは、いろいろなことがわかり過ぎてしまうのです。私……もう知りたくない。運命の糸が絡み合っていて、その結び目がいつもとけない。とけないと知りつつ、夢や希望を持ってしまうの。だから、苦しいの……」


 メルロイがいっていた。魔族はゆっくりと滅んでいると……。

 その絶望に震えながら、シリアは生きているのか?


「シリア、夢や希望は生きる糧だ。たとえいずれは死んでしまう命だって、生きている時は輝くだろ? 夢や希望なくしては、誰も生きることができない」


 だめだ、俺……。

 我慢できない。

 シリアを絶対に守ってやりたい。


「俺と出会って、君の運命だって変わったかもしれない」

 アルヴィは、シリアの瞳を見つめた。緑の瞳に不安そうな影が漂う。唇が震えている。


 怒らないでくれ……怖がらないでくれ……。


 アルヴィは、そっとキスをした。

 この丘で父と母が愛を語りあったことなど、アルヴィは知らない。


「シリア、エーデムリングの力の及ばないところへ行こう。そこで、二人で暮らそう」

 そこでは、きっとシリアは普通の少女に戻って、竜の悲しみなど感じずに微笑むことができるだろう。

「アルヴィ……。うれしい。でもね……私、お父様を置いては行けない」

「どういうことだ?」

 シリアがアルヴィの胸に身を寄せる。

「私……砦の人たちの言葉……聞こえていました。ムンクが教えてくれるの。みんなが私のことをどう思っているのかも……」

「いまいましい鳥だな! だから君は人と接するのが怖くなる」

「そうかもしれない……。でも、うれしいこともあります。あなたが、私をかばってくださった。シリアは、あなたと一緒に別の世界へ行きたいと思った」

「だからそうしようと、俺は言っている」

「……これから訪れる魔族の危機に……父だけを残して……シリアは行けません」


 魔族の危機?


 アルヴィの脳裏に、オタールの街が蘇った。

 一見、穏やかで平和な街……。しかし、そこに住む人々は……。

 すでに、我々はかの地を追いたてられていたのだ。

 その変革が迫ってくる。それも急速に……。

 アルヴィは恐ろしい予感に震えた。


「人間たちか?」

「そうです。その者たちは魔族たちを駆逐して、やがてエーデムリングさえも破壊し尽くすのです」

 シリアは、そのことを知っていて……その小さな体で、弱い心で……戦おうとしているのか? 恐れおののきながらも……。

 それなのに、俺ときたら自分のことしか考えていなかった。

「わかった……シリア。俺も戦う。俺が、君の氷竜たちを、心弱い魔族たちを守ってあげる。約束する」




 二人は再びガラルへと戻った。

 心なしか、帰りはシリアも馬に慣れて、一緒に同じ景色を見たような気がした。

 また、陰口叩かれるのだろうな……。

 エーデムの村に入り、馬を置いて砦に向かう道、アルヴィはシリアの手をきつく握った。

 何を言われても気にするな! 俺がついているから……。そんな気持ちをこめていた。

 しかし、そのような心配は無用だった。


「あ! 帰ってきた! アルヴィ、こっち、こっち!」

 サリサだ。

 あいつ、もう元気になったのか? 何をあんなにはしゃいでいるのか……。

 とりあえずは、シリアを砦に送ってからだ。だが、サリサが追いかけてきて、袖を引っ張る。

「だめだよ! 君たち二人がそろわなければ意味ないんだから」

「おい? なんだよ。それは……」

 銀目を輝かせる少年に、アルヴィは怪訝そうに質問した。


 春を祝う祭りだろうか?

 広場いっぱいに花が飾られている。

 テーブル一杯に料理が盛られ、お酒まで用意されている。もうすでに開けられていて、陽気になっている人もいるようだ。


「本当に帰ってこないんじゃないかって、心配した人もいたよ。僕もその一人だけど。セラファン様はね、絶対帰ってくるって確信していたけれどね、レイラはね、帰らなくてもどこかで幸せだったら、それでもいいとか言っていたよ」

 サリサは興奮気味だ。

 実は酒が入っているな? 都合のいい時だけ大人になる。

 メルロイがリュタンを持っている。目があうとにっこり笑って、爪弾いた。

 村長が前に出て挨拶した。

「みなさん、お二人が戻られました。再び乾杯しましょう! アルヴィラント様、シリア様、どうぞ末永くお幸せに! 乾杯!」

 人々がグラスを掲げている。


 いったいこれは??? 

 驚いてシリアがすがりつく。


「ガラルの民は、巫女姫の今までの献身をたたえ、そしてこれからの幸せを祈ることを決めました。ささやかではありますが、お二人の結婚を祝してお祝いの宴を開いていたのでございます」

 メルロイがもったいぶった言い方をした。そして、にっこりと笑った。


 人々は皆、楽しそうだった。

 メルロイが歌をうたい出した。サリサも一緒にうたい出す。

 半ばあきれながらも、アルヴィは村人たちの会話を聞いていた。

「私はねぇ、本当はあの馬をどうにかしてくれた時から、アルヴィラント様を気に入っていたんだよ。でもさぁ……みんなが嫌がっているようだからつい」

「なんだい! 今更。あの時、巫女姫様の取り乱しようを、はしたないって騒いでいたのはあなたでしょ? 私はねぇ、巫女様にも、ちょっとかわいいところもあったんだなぁと思っていたわよ」

「……そうだよ。だいたいねぇ、巫女姫様が幸せにならないと、竜たちも幸せな気持ちになれないんだよ」

「それに、アルヴィラント様は、フロル様のお子だよ。ちょっとウーレン風だがねぇ」


 届く言葉は優しかった。シリアが泣き出した。


 泣くなよ、シリア。

 俺たち、みんなに認められて夫婦になったんだぞ。


 そう思いつつ、アルヴィも目頭が熱くなった。

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