運命


 満月の夜から、アルヴィの病はさらに度を増していた。

 ヴェールを広げて高々とあげてみたと思うと、手を離してひらひらと舞う姿に、うすら笑いを浮かべている。抱きしめて回転したかと思うと、頬を寄せてうっとりとしている。


「何だか……怖いですね。あんなに人は壊れるものなんでしょうかね?」

「サリサ、君も経験をつめばわかると思うけれど……」

「セラファン様、僕はあと何百年経験をつめば一人前なんでしょうか?」


 二人の会話は、恋狂いのアルヴィには届かない。



 アルヴィは軽やかに砦の階段を上って行く。

 今日は手紙を持ってこなかった。自分の言葉で、シリアの目を見て話すことにしよう。そう思っていた。

 だが、シリアは現われない。

 アルヴィは不安になってきた。


 俺の……思い違いだったかな?  


 夜は静かに更けていく。

 かすかに……すすり泣く声? 有角ゆえに聞こえるかすかな音。

 アルヴィは耐えきれず外壁伝いにするすると下りていって、巫女姫の部屋を窓からのぞいた。

 何も見えないが、そこから声が聞こえてくる。アルヴィは窓辺のわずかな隙間に身を寄せた。そして窓を叩いた。

 反応はなかった。しばらく時間を置いてまた叩いた。やっぱり反応はない。

 冷たい風が頬を撫でていく。もうあきらめて行こうとした時に窓が開いた。

 窓から外を見るシリアの横顔に、ついうっとりとして寒さも忘れる。

「アルヴィラント様?」

 やっと気がついてくれたようだ。


 シリアがいれてくれるお茶は、温かい。毛布を被って暖を取る。幸せな気分だ。

「あ、俺、のぞきをしようとしたわけじゃない。あの……えっと……」

 堅い表情のシリアに、慌ててアルヴィは言い訳した。

「落ちたら命のない高さです。あなたは無謀です」

 シリアはぷいと横を向いた。

 心配してくれたのか? アルヴィはほっとした。

「大丈夫、俺は死なないから」

「温まりましたら、お帰りください」

 つれない言葉だ。アルヴィはたち上がった。でも、帰るためではなかった。

「俺、君が泣くのに我慢できない……。帰れない」

「私、泣いてなどいません!」

 声は泣き声だった。

「シリア、俺、君が好きだ。君が辛い時は側にいたいんだ。あの……」

 アルヴィは自分の手を見た。岩にしがみついていたので、少し汚れていた。

 それを上衣の横でゴシゴシ落とすと、思いきって聞いた。


「君の髪にふれたい……」


 しばらくの沈黙を、アルヴィは拒絶と受け取った。

 俺は、まったくどうして気がきいたことのひとつも言えないんだろう? 

 仕方がない……。帰るしかない。

「ありがとう、温まったよ。そうだ……これ……」

 アルヴィはヴェールを取出した。

 小さく折りたたんでしまったから、少しシワになっている。それをパラリとアルヴィは広げた。

 シリアが頭を下げた。


 これって……俺がヴェールをかけてあげてもいいってことかな?


 アルヴィは、ちょっと躊躇したが、両手を伸ばすとシリアにヴェールをかけた。

 銀の髪に手がふれた。

 シリアが顔を上げた。潤んだ瞳は緑で、アルヴィの心をときめかす色だった。

 手が……止まらない。アルヴィはシリアの髪を撫でていた。

 怒ってはいないようだ。アルヴィは、手を髪から頬に、そして肩にふれていた。

 いつのまにか抱きしめていた。


 いとしくてたまらない。

 俺、こんな気持ち初めてだ……。

 

「アルヴィラント様……。気持ちうれしゅうございます。でも……」

「でも? どうした」

「シリアは、きっとこれ以上優しくされたらお別れが辛くなってしまいます」

「なんだよ、それ?」

 アルヴィはびっくりして、シリアの顔をのぞきこんだ。

「アルヴィラント様は、ウーレンの地に運命がございます。シリアの元にはございません」

 シリアの瞳は涙で潤んでいる。


 まさか、俺のせいで泣いていたのか?


「俺がウーレンに帰る運命だったら、君を連れていくだけだよ」

「でも……シリアは人の中では生きられない……。それに私は……」


 石女……。


 アルヴィの頭に、メルロイの言葉が浮かんできた。

 万が一、ウーレンに戻ったら、王族として子供を期待されるであろう。妻がエーデムであることは望ましくない。ましてや子をなせない女など、許されるはずがない。


 シリアを傷つける……それはこういうことか……。

 俺は、シリアかウーレンか、どちらかを選ばなければならない。


 アルヴィは笑った。

 俺は……俺の運命を見た。

「シリア、俺の運命がウーレンにあったのは過去だ。君に会って変わる運命だったんだ。俺は君をもう泣かせないよ」

 シリアは驚いてアルヴィを見つめた。

「でも……アルヴィラント様……」

「アルヴィだ」

 真赤な瞳に迷いはなかった。柔らかな温かい色が、シリアを見つめた。

 心和ませるエーデムの微笑を持って、アルヴィはシリアに誓った。


「運命は、自分で変えていくものなんだ。俺も、君も……。俺は、君のために生きる。君の瞳に誓う」



 その夜、エーデムリングの氷竜たちはおとなしかった。

 歌うたいが、白亜門の向こうで歌を贈ったからだったが、当の歌うたい自身の心は、安らかではなかった。

 時々、リュタンを奏でる指先が止まったりして、逆に竜たちに励まされる有様だった。

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