初恋


 その日からアルヴィはふぬけてしまった。

 虚脱症の元・二人が、あきれはてるほどの虚脱ぶりだった。

 欠かしたことのない剣の練習もしなければ、食事もままならない。気がつけば溜息ばかりついている。


「あれは、恋の病だね。気にしたってはじまらないよ」

 メルロイの言葉にレイラはうつむく。

「シリア様……ですか? それじゃあ、あまりにもアルヴィがかわいそう。シリア様が石女だって、アルヴィは知らないのですよね?」



 川辺の草原で、川に浮かぶ砦の頂点を眺めては、溜息をつく。そしてごろんと寝転がる。


 シリア……。何て美しい響き。

 おびえきった緑の瞳。銀糸のような細やかな髪。

 あぁ……俺ってバカだ。彼女は怖いって言ったのに……。

 エーデムの巫女にとっては、この髪も目も怖い色なんだろうな……。でも、彼女はそのことを責めなかった。彼女にとっては、俺もサリサも同様に怖かったんだよな?

 あぁ……俺って……。


 恋は突然、それもたったひとめで、アルヴィに訪れた。

 それも、かなり叶いそうもない片思い。


「アルヴィ、君らしくないよ。好きなら告白あるのみだよ」

 突然、サリサが顔をのぞきこんだ。

 慌ててアルヴィは跳ね起きた。

「な、な、な、なんだ? その好きっていうのは!」

 否定するだけ笑われるだけだったが、アルヴィは否定した。顔面真赤だ。サリサは笑った。

「ほら、たとえば……面と言えない時は、恋文とか、あるじゃないか」

「誰がそんなもの書くか!」


 その夜、珍しくアルヴィは机に向かっていた。

 こんなことになるなら……真面目にエーデム文字も覚えておくんだった。でも、まさかウーレン文字で手紙を書くわけにもいかない。

 えーーーと。はじめに無礼を詫びておいたほうがいいのかな? うぅ…だめだ!

 貴重品の紙をまた無駄にしてしまった。

 投げ捨てられた手紙を、サリサが拾った。

「シリア様、先日は……あ、誤字ひとつ! お詫びが遊びになっている……」

 ウーレン族の動きは速い。あっという間にサリサが読んだ手紙は、取り上げられて紙ふぶきになった。

 真赤になったアルヴィの顔を、銀色の瞳がいたずらっぽく笑う。

「僕は、君の恋を応援したいんだよ」


 シリアは人に会うのが怖いのだ。

 巫女姫としてお高くとまってるわけでもないし、気難しいわけでもなかった。

 もって生まれてしまった力に翻弄されているだけだった。

 たった一度、あの瞳を見ただけで、アルヴィにはそれがわかってしまった。


 セルディの瞳の色によく似ていたから。


 砦の上空・ムンク鳥が飛んでいる。

 あいつらはいいよな……。

 言葉にしなくても心で話せるのだから。やっぱり手紙を書くしかないのか? 




 セルディがエーデムと決別した日から、シリアはますます人に会うのを恐れるようになっていた。

 セルディはシリアの世界を破壊する運命なのだ。

 運命に縛りつけられているという意味では、セルディとシリアは同族だった。

 人間たちが、火をまとった王を抱いて攻めてくる。エーデムリングに眠るすべてのものを破壊し、自らの王国を打ち立てるために。

 この急激な死の予感に、魔の血を濃く持つシリアは震える。自分がこんなに怖がっていては、エーデムリングの竜たちもさらに心を乱すであろう。


 わかっている……。

 わかっているけれど、怖くて仕方がない。

 そして、今夜も泣くしかない。



「……シリア様へ……」


 かすかな声が聞こえてきた。どうやら、この上の砦頂上からのようだ。

 シリアは耳をすませた。


 先日は無礼なことをいたしまして、心から遊び……今のは誤字! お詫びいたします。

 けして、あなたを怯えさせようとしたことではありません。むしろその逆で、私はあなたの力になれたらと思っています。

 あなたにお会いしたその日から、あなたのことばかり想っています。もう一度、あなたとお会いして話したい。その機会を下さることを心から望みます。

 アルヴィラント・ウーレン……以上!


 声は途絶えた。

 シリアが窓からのぞくと、真赤な髪を振り乱して砦を駆け下りていく人影が見えた。



 アルヴィは体が熱かった。

 手紙を書いたものの、字が汚くて読めたものではない。

 それならいっそのこと、自分で読んであげればいいのだ。そう思って出かけたはいいが、なかなか照れくさいもので、文面通りしか読めなかった。


 川辺までくると、メルロイが立っていた。

 少し話そうと、合図している。アルヴィは熱った頬のまま、川辺に腰を下ろして膝を抱えた。


「なかなかいい手紙だった」

「き、聞いていたのか!」

 おもわず立ち上がったアルヴィの腕を引っ張り、メルロイは再び座らせた。

 メルロイの耳で聞くなというほうが間違いだった。きっと……角有りの中には、同じように聞いたものもいるに違いなかった。


 俺って……バカだ……。


「シリア様にはいい迷惑だったよな……」

 赤毛の異邦人が、エーデム巫女姫に告白するととは……。

 メルロイが角に触れる。


 よせよ……。

 俺、自己嫌悪中だ。


「シリア様は、いやがってはいないよ。君の気持ちをうれしく思っている」

「慰めてなんかいらないよ」

「いや、慰めているわけじゃなく、むしろ忠告だよ。君とシリアがもしも恋仲になったとしたら、結構問題があるからね」

 そんなうまくいくとは思えないから、聞いたって仕方がない。アルヴィはうつむいた。

「もちろん、君がウーレン族だということも問題かもしれない。でも、何よりも、シリアは女とはいえない。それをおぼえていなければ、君はシリアを傷つけるよ」

 アルヴィは驚いてメルロイの顔を見た。

「石女……って、聞いたことがあるかい? 子供をなせない女のことだ。シリアは石女だ。君がもしも自分の子孫を残そうと思うなら、シリアを選ばないか、側室を置くか……それしかないということを、忘れてはいけない」


 それは、血を重んじる魔族にとって、求婚が無駄なことを意味していた。

 シリアは、恋愛することも結婚することも女であることも許されない。

 エーデムの巫女姫……それだけがシリアに定められた唯一の道だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る