ガラル


 三人はまた迷宮に足を踏み入れていた。

「てっきり、君はお母さんのもとに戻るのかと思っていたよ」

 再び腰巾着になりながら、サリサがつぶやいた。

「おまえが困るだろ? すがるものがなくなってさぁ……て、いうのは冗談だけど、後ろ髪は引かれている」


 腹立たしいが……。

 セリスの言うことは正しい。


 エーデムに残って迷惑をかけた末に、政治的思惑でウーレンに引き渡されでもしたら、何もならない。

 それよりも、自分の意思で自由に歩けたほうがいい。

 今ごろ、セリスはほっとしていることだろう。厄介者は自分の意思で出ていった。

 母上も納得したうえでのことだ。


「とりあえず、ガラルに行こう。レイラが……きっと怒っているだろうなぁ……」

 メルロイは肩をすくめた。

 アルヴィは笑った。

 レイラをなだめすかすメルロイの姿は、とても偉大なるエーデムの血を引く王族セラファン・エーデムとは思いがたい。

「女ごときを恐れるなんて……。あなたもおかしな弱点があるんだなぁ」

「アルヴィ、君は恋をしたことがないんだね? 女性はねぇ……うーーーん、何ていうか……説明できないんだけど、あーーー。そうだ、君も恋をしたらいい」

 まったく短絡的だな。

 バカだなぁ。俺は恋をしたって、女になんか振りまわされないし、怖くなんかないし。だいたい女なんて、子供さえ作れればそれでいいんだ。魔族の濃い血を残したら、それでいい。

「メルロイ、説明になっていないぞ」

 アルヴィは鼻で笑った。



 白亜門を出ると、もうそこはガラルといわれる古い土地だった。

 まっすぐに続く通路は、途中橋になっていて、川の中州にそびえる巨大な砦に繋がっている。下方に階段を下ると、人々が細々と生活しているエーデム村がある。

 エーデムをウーレンの手から奪還して以来、この村の人口は少なくなり、さびしい限りだったが、平和でのどかなのは、純血種しかいないからだった。

 リューマ族やウーレン族、ムテさえもここにはいない。

 エーデム巫女姫の結界が、部外者を受け入れないのだ。

 サラにいたことを思い出して、アルヴィは緊張した。赤い目や髪は、それだけでいやがられるだろう。

「大丈夫、巫女姫さえ認めてくれたら、君はエーデムとして認めてもらえるよ」

「その巫女姫とやらが認めないと、俺はウーレンだ」

 メルロイは笑った。アルヴィが、サラで寝込んだ事を思い出したのだ。

「巫女姫は、みかけでは人を判断しないよ。彼女は類まれなるエーデムの血をあらわしている。魂の色が見えるからね。本当にもったいない。男であればよかったのに」


 エーデム村の小さな家に、レイラはいた。

 怒っているかと思えばさにあらず、メルロイの姿を見るなり、走りよってきて抱きついた。サリサもアルヴィもすっかり無視して泣き出す有様。

「ごめん、ごめん、ちょっと遅くなってしまったね。もう一人にしないから、ね、ね」

 あぁ……もう、聞いていられない。

 アルヴィはサリサを引っ張って、その場を離れた。


 広場を見つけてベンチに腰を下ろすと、アルヴィは溜息をついた。

「おい、サリサ。おまえ。百三歳だったよな? おまえは女がいたことがあるのか?」

「な、何いっているんですか? 僕はまだ子供です!」

 真赤になっている少年を見て、アルヴィは笑い出した。

「都合のいい時だけ、子供になるな!」


 両親は、お互い愛し合って一緒になった。だから、俺とセルディがいる。

 それはとってもいいことだ。

 でも、魔族の世界では、異質であまり認められない結婚だった。

 マサ・メルの言う通り、同族で結婚してくれていたら、俺もセルディももっと楽だったかな? いや、言っても仕方がないことだ。事実は事実だ。

 いつも苦しんでいた兄の姿が目に浮かぶ。


 でも、俺はやっぱり、相手を選ぼう……。

 ……生まれてくる子供に罪はない。


 遠くで声がする。

 メルロイとレイラの感動の再会は、一応の幕を引いたらしい。

 二人は腰をあげるとレイラの家に向かった。



「あなたは運がいいわ。巫女姫様は、このところふさぎがちで……いえ、実はずっとそうだったのですが、最近はひどくて、一歩も部屋から出ない日もあるのよ。でも、今回はメルロイにぜひとも会いたいって」

 レイラが出す食事は、あまりうまいとはいえない。そのうえ、肉は抜きだ。

 だが、嫌な顔はできない。

「それは随分と手ごわそうだな。俺はお目通りしてもらいそうにないな」

 しかめっ面は、料理のせいではない……といいたかったが、横でサリサが、うぇっと声を漏らしている。すばやい足蹴りをアルヴィは入れた。

「いや、大丈夫。でも早いほうがいいなぁ。明日の朝一番で砦に行くよ」

 メルロイは全然味を気にしていないようだったが、最後に一言付け足した。

「明日は、アルヴィとサリサが、はれてガラル住人なったことを祝して、私が腕をふるうよ」




 翌日、晴れ渡る空の下、三人は砦に向かった。

 母が父とはじめてあったとも聞くガラルは、まるで外からの刺激を受け付けていないかのような、静かな場所だった。両親にどんな恋物語があったのかは聞いたことがない。

 岩を刳りぬいて作られている砦は、上にいくほど尊い血筋の者が住むという。

 砦の一番上層に、巫女姫は住んでいるという。しかし、メルロイに会いたいということで、今日は謁見の間まで下りてくるという。

 めったに人に会いたがらない気難しい人だから……。レイラの言葉が引っかかる。


 部屋はさほど広くないというのに、巫女姫はさらに仕切りを立てて、その奥にいた。

「セラファン様。先日は歌をありがとうございます。おかげさまで少しばかり、気持ちが楽になりました」

 鈴を震わすようなかわいらしい声だ。意外に若いらしい。

「それは歌ったかいがありました。シリア様、今日はお願いと相談があってきたのです」

 メルロイが話している間も、仕切り越しにかすかに見える姿が気になって、アルヴィはちらりちらりとのぞこうとしていた。今度は、サリサがアルヴィの膝をつねった。

「レディに対して、失礼だよ……」

 小声の叱咤に、アルヴィはむくれていた。


 だいたいお礼をいうのに、隠れてっていうのはウーレンじゃ許されないぞ!

 巫女だかデコだか知らないけれど、礼儀くらいわきまえろよ!


「お二人、ガラルに身を置くことを許しましょう。ですが、セラファン様。その方はウーレンの血を引く方。さらにその方の運命は、かの地にございます。少しでも早く、ウーレンに戻られるほうがその方のためでございます」


 その方……とは、俺のことか?

 それなら、俺がここにいるんだから、俺に言えばいいじゃないか!


 まどろっこしい会話に、アルヴィは疲れてきた。

 しかも、地下牢でエーデム王セリスに無視されたばかり。思い出せば、また腹が立つ。


「セラファン様、何かほかにお聞きになりたいことは……」


 またセラファン様か? 

 巫女の言葉に、アルヴィは堪えられなくなっていた。


「お言葉に甘えさせていただく。俺は聞きたいことがあるぞ!」


 一瞬、仕切りの向こうの影がピクリとした。


「まずは……俺はアルヴィラント・ウーレンだ。俺を無視した話し方をするのは、俺の混血を嫌ってか? それともこれが巫女姫の礼儀なのか?」


 おいおいとサリサが袖を引っ張った。

 アルヴィは面倒臭そうに、その手を払った。


 そう、マサの霊山の時もだ。俺は無視された。

 でもその時でさえ……あのきれいだったが、かわいくないマサ・メルだって、ちゃんとその理由は教えてくれた。だから納得したんだ。

 今の俺は、確かに根無し草だけれど、幽霊みたいな者だけど、それでも存在しているんだ!


 メルロイは、アルヴィの態度を面白そうに見ていた。

「シリア様、アルヴィの質問に答えていただいてもいいですか?」

 シリアはうつむいたようだった。

「……私は……怖いのです……」

 意外な答えに、アルヴィは神妙な気持ちになった。

 エーデムの民は、血の色を嫌う。嫌いなものを我慢しろとは、強制できない。

「怖いって……俺、いや、私の瞳とか、髪の色とか……ですか?」

「……」


 巫女姫はうなずいたのか? それとも首を振ったのか?

 あぁ、煩わしい!


「シリアはね、エーデムリングに繋がらない人と会うのが怖い……って、言ったんだよ。君が、どうこうってわけじゃないって言っている」

 角有りの能力で、シリアの声を聞き取ったメルロイが、代弁した。


 理解不能だ。

 エーデムリングに属する者なんて、いったいこの世に何人いると思っている?

 それじゃあ、誰とも話もできないじゃないか! 俺は怖くないぞ!

 だいたい、人を避けているから人に会うのが怖くなるんだ!


 アルヴィはいきなり立ち上がると、仕切りを払った。

「巫女姫様、人に会うということは顔を合わせて話をするという事だ。無礼は詫びるから、ちゃんとまともに話をしてくれ!」

 突然の行為に、すっかりおびえきった巫女姫が、ヴェールに包まれた顔を上げた。

 ヴェールが半分落ちて、震える瞳がアルヴィを捉えた。

「……あ……」

 アルヴィは小さな声を上げて、凍りついた。


 緑の瞳だった。

 銀の髪だった。


 何も言葉を発することなく、巫女姫はおびえるように這いずって、壁伝いに立ち上がると、走り去ってしまった。

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