地下牢
メルロイの足が止まった。
「ここから出ると、もうイズー城の中だ」
その言葉に、アルヴィは驚きを隠せない。
まったく時間の感覚はなくなってしまったが、一泊して……そう、少ししか歩いていない。さらに驚くことをメルロイは言った。
「時間は、水晶門をくぐってから、一時間しかたっていない」
「そんな……バカな?」
「エーデムリングは迷宮なんだよ。迷宮というのはね、道はまったくないように見せて、実は無数の出口があるものなのさ。でも、本当にその出口が正しかったのかは……神のみぞ知る……。いや、神とて知らないかも」
暗い黒曜の壁。
よく見ると、扉になっている。重厚なレリーフが浮き上がる。光がゆらゆらと影を作る。
なぜ灯りが灯っているのだろうか? どういう仕組みなのだろうか? 魔力としか思えない。
灯篭が照らし出す重々しい門。
この向こうは、もう母のいるエーデム・イズー城なのだ。
アルヴィは緊張した。
母上……はじめに何を言えばよいのか?
どんな顔をして会えばよいのか?
いやその前に……。
はたしてすんなり会えるものだろうか?
伯父上が会わせてくれるとは、思いがたい。
メルロイがいるとはいえ、伯父上は俺の命を狙ってくるかもしれない。
アルヴィに、見捨てられた苦い思い出が蘇ってきた。
冷たい眼差し。冷たい仕打ち。
父の葬儀の時の結界の痛み、そして、朝霧の中の母との別離。
それらは事情が事情ゆえに仕方がないとしても、ウーレンから命がけで逃げてきた際の砂漠での拒絶は、明らかに死ねと言われたようなものだった。
俺は砂漠で行き倒れたことを忘れていない。
アルヴィの目が赤く光ったのを見て、メルロイが声をかけた。
「また、抱いてあげようか?」
「ああ……お願いする」
それを聞いて、またメルロイがくすくす笑う。アルヴィは、赤面して怒鳴った。
「こ、今度はなんだって言うんだ!」
腰巾着のサリサまでもが、アルヴィの腰にへばりついたまま笑いを堪え切れないでいる。
「黒曜門は、みかけによらず寛容な門なんだ。私が扉を開けている間に、簡単に出ていくことができるよ」
ちくしょう!
こいつら、なんでそんなに俺をからかうんだ!
こいつらと一緒になってから、俺はペースが狂いっぱなしだ。
頬を紅潮させたまま、アルヴィは黒曜門を抜けた。
そして、そこに待っていた人物を見て、今度は瞳をますます赤く燃えたぎらせた。
エーデム王セリス。
きついウーレンの瞳を投げかけると、さっと腰の剣に手を掛けた。
その様子を、長身のエーデム王は、凍りついたように黙ってみていた。しかし、メルロイが門をくぐって出てきて、アルヴィの後に立つと、長身を折って挨拶した。
「おひさしゅうございます。我が君」
「やめてよ、セリス。もうその呼び方は……」
照れくさそうなメルロイの言葉が、背後から響いたが、アルヴィの手は、剣にかかったままだった。
じめりとした地下だった。
イズー城の地下牢の通路の端に、エーデムリングへの道・黒曜門があるとは、あまり知られていないことだった。
魔族の間では、四つの門のうち水晶門のみが場所を知られている門で、あとの門はエーデム族のみが知る隠された門なのである。
セリスは、まったくアルヴィを見ていないかのような扱いだった。
剣に手をかけ、殺気を隠そうともしていないのに、アルヴィの存在を完全に無視した。
出方次第では本気で剣を振るうことを、エーデム族が持っている心話の能力で察しているだろうに。
腹が立つ男だ。
もちろん騒がれて捕まるよりはましだったが、葬り去られた甥っ子など、幽霊程度にしか思っていないのかと思うと、怒りに任せて斬り捨てたい気分になった。
だが、そのようなことをしては、母に会えなくなる。
自分のもっている血は、憎まれても仕方がないものでもある。その事実は、事実として受け止める。否定しても始まらないのだ。
セリスが自分に危害を加える意思がないと知って、アルヴィは初めて手を下ろした。
アルヴィはすっかり忘れていた。
エーデム王族の持つ角には、刃をも砕く結界の力が備わっていることを。
万が一、アルヴィがセリスを斬ろうとしたら、その結界にふれて父の形見の剣を失う羽目になったであろう。
セリスのゆとりは、その能力故だった。
「歌が聞こえましたゆえ、お待ちしておりました。でも、私にはセラファン様とはいえ、その願いを聞きいれる事はできません。妹は……アルヴィラントと再会したら、二度と離さないというでしょう。セルディがリューマ族長となり、ウーレンの王位も狙っているとなれば、リナ姫はアルヴィラントを取り返すと言ってくるのは必至です。エーデムのため、ウーレンとの争いは避けなければなりません」
メルロイはだまってセリスの話を聞いていた。
「つまり、あんたは俺をウーレンに売るというのか? エーデムのために?」
耐えきれずに、アルヴィが口をはさんだ。
「そうです」
セリスの言葉は簡潔だった。
ウーレンの規律は厳しい。
あのギルトラントの母ジェスカでさえも、王位を取ってからも皇女を名乗っていた。
リナがセルディよりも王位の正統性を持つためには、アルヴィをまず王位につけて王母の立場をはっきりと示したうえ、血の濃さを人民に訴えるしかない。
今、ウーレンがリューマに攻め入り、完全に占領してしまったらば、ウーレン王を名乗るにふさわしいセルディがウーレン国内にいることとなり、リナの王位は脅かされるのだ。
角があろうがなかろうが、とりあえずはアルヴィに王位を継承させないと、リナはリューマを自由にはできない奇妙な状態……これがレグラス・リューマの思惑だった。
「でも……リナは俺を殺そうとしたんだぞ!」
「殺そうとしたんじゃないよ。君を、ウーレンだけのものにしたかったんだ」
メルロイの言う通りだったが、それは殺すことに他ならない。
「俺は、ウーレンでもあり、エーデムでもある! それを切り離して俺だとすることはできない!」
エーデム王は、小さな溜息を漏らした。
「アルヴィラントをウーレンに渡すという事は、今の時点では殺すと同意です。甥を殺すことは、私もさすがに気が咎める。私はアルヴィラントを知らないほうがいいのです。彼はエーデムにはこなかった。セラファン・エーデムとも出会わなかった。砂漠で死んだのかも知れませんし、どこかで生きているのかも知れません。今、彼は私の目の前には存在しないのです」
エーデム王は、まったくアルヴィの赤い瞳を見つめることはなかった。
そうだったのか……。
こいつは、やっぱり俺が生きていたことを知っていたのか? おかしいとは思っていた。
サラにあんなに長い間いたのに、気が付かないとは……。
単に無視していたんだな? 性格悪いやつだ。
知らぬ、存ぜぬを通しきって、自分の手は汚さないってわけだ。
エーデムを絵に書いたような男だな。
でも、それじゃあ俺は墓場から出てこれないじゃないか!
いつまでもどこかで根無し草のように、とりあえず生きていろというのか?
それが、エーデムのためで、母上のためで、俺のためだというのか!
ふざけるな!
アルヴィは突然セリスの襟首を捕まえようと、飛びかかっていった。
エーデムの結界は、刃には無意識でも働くが、素手には防御の意識が必要だ。
結界が一瞬、宙を舞って留めようとしたが、アルヴィのほうがスピードで勝っていた。
「俺はここにいる! よく見ろ! この目もこの髪もこの角も全部含めて、俺は、アルヴィラント・ウーレンだ!」
鋭い赤い瞳がセリスを射て、さすがのエーデム王も動揺し、声が出なかった。
その狼狽ぶりに、アルヴィは口元で笑った。
その表情は赤い悪魔にそっくりで、セリスは思わず目をそむけた。
その様子を見て、アルヴィはセリスを突き放した。もともと乱暴するつもりはない。ちゃんとまともな話がしたかっただけだ。
「俺のこと、少しでもわかってくれたら、母に会わせてくれ! 母恋しさに、墓場から抜け出してきたんだ。そうしたら、あんたの仕打ちは水に流す」
一瞬、セリスの瞳が煌いた。
ガシャーーーーン!
大音響とともに、鉄の格子が落ちてきて、セリスとアルヴィの間を仕切った。
しまった! ここは地下牢だったのだ。
話をしながらも、セリスは微妙に立つ位置を変えていた。
このタイミングを見計らっていたのに違いない。しっかりと、サリサとアルヴィを牢に、自分とメルロイをその外にとよりわけることに成功した。
「ちくしょう! バカ、アホ、石頭!」
怒鳴り続けるアルヴィを、セリスはまったく存在しないかのように無視しつづけた。
「セラファン様、あなたはこちらに……どうぞ、フロルに会ってあげてください」
乱れた襟元を正しながら、セリスが出口を指し示した。
しかし、メルロイは牢の方に歩みより、アルヴィとサリサを格子越しに見つめていた。
「セリス。私も友情という牢に閉じ込められています。ここから出ることはできません」
「セラファン様……」
振向いて見つめる緑の瞳に、有無をいわせない光があった。
エーデム王とはいえ、セラファン・エーデムを『我が君』と呼ぶセリスには、命令を拒絶することは出来ない。
「フロルを連れてきなさい。私はここで彼女とお話がしたい」
苦い顔をして立ち去るセリスの後姿に、メルロイの言葉が追いかけてきた。
「……あ、そうそう……お茶も飲みたい。エレナの焼いた焼き菓子もあったら最高なんだけれど……」
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