泣き叫ぶ者たち



 つるりとした水晶の壁が続く。

 どのような仕組みなのだろう? 壁の向こうがほんのりと明るく、陽射しのない洞窟だというのに暗くはない。

 この回廊は永久に続くのではないのか?

 どのくらい時間がたったのか、感覚がなくなってしまった。

 先ほどの悪ふざけが、本当に危険な行為だった、と気がつくまでに、さほど時間がかからなかった。

 この迷宮は、選ばれない者には危険で、一歩踏み出すごとに世界が変わってしまう。アルヴィがもう一歩踏み出していれば、もう迷子になっていたはずだ。


 アルヴィはメルロイの後について歩いていた。

 周りの不思議さに囚われて、うっかりメルロイを見失いでもしたら、たぶん戻れなくなってしまうだろう。自分に眠る力が、自分の力量を教えてくれている。

 サリサもそれを充分把握しているらしく、腰巾着になってアルヴィにしがみついている。

 今回ばかりは、アルヴィもそれをバカにする気にはなれなかった。

 ムテの純粋な血がもたらす感覚は、混血で鈍感なアルヴィよりも、はるかに鋭いに違いない。部外者の侵入を快く思わない何かが、サリサを責め続けているのだ。


 いきなり水晶の回廊が終わった。

 アルヴィが頭を上げると、ここは、はるかな先から鍾乳洞でしたとでもいいたいような、風景に一変していた。振り返っても、もう水晶の回廊はない。

 エーデムリングが迷宮ともいわれる所以だった。


 深い水をたたえた地底湖のほとりで、メルロイは腰を下ろした。

「私たちは疲れている。ここで休もう……」

 夜、水晶門をくぐった。

 今は朝? それとも昼? メルロイ曰く、まだ夜らしい。

「僕……眠れそうにないよ。ここは不安な想いが充満しているよ……」

 サリサはまったくアルヴィから離れようとしない。

 馬に乗り続けていて、さすがにアルヴィは疲れていた。

 たしかに落ち着かない場所ではあるが、今休まないとあとがもたない。水晶門の前に、馬も置いてきた。明日からは、自分たちの足で歩かなければならない。

 メルロイも同じ考えだったようだ。

「サリサ……。氷竜たちはね、君だけを責めているわけではないんだよ。ここはね、滅んでいく世界でもあるんだ。少しずつ……時とともにね……。その苦しみを和らげてくれる友・エーデムの民たちも滅びの道を歩んでいる」

 メルロイはリュタンを取出すと、弦を指先ではじいた。

 鍾乳洞に澄んだ音が響いた。

「せめてこの歌が、氷竜たちの心を和ませ、あの悲しい鳴き声をあげさせないようにできたなら……」

 メルロイは歌いはじめた。


 音は振動となり、鏡のような地底湖の水面を揺らしながら渡っていく。

 鍾乳石にはね返される音は、メルロイを何人にもしたように増幅してゆく。

 ひとつの声が、ふたつになり、そしてみっつ……。

 それはやがて大合唱のように広がって、心の中にまでしみわたるようだった。

 どこかで……音に共鳴して……。共鳴……。


 氷竜たちが……鳴いている?


 さすがのアルヴィにも、今度は感じた。

 歌は氷竜たちの苦しみをとくものではない。だが、苦しみを柔らげることができる。

 サリサも、安心して眠ったようだ。でも、アルヴィの服を握って離さない。


 俺は……こいつらのために、何ができるんだろう?

 歌など、歌えない。根無し草だ。


 大事な人たちを守ろうと……自分の国を守ろうと……俺は何度も誓った。

 でも、その誓を果たしたことがあっただろうか?


 俺は……。

 俺はいったい、何をすればいいんだ?


 泣き叫んでいたのは、アルヴィの心の奥に眠る魔族の血でもあった。

 その傷を癒すような歌声に包まれて、やがてアルヴィの瞼も重くなり、やがて閉じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る