迷宮へ


 水晶門は巨大な水晶で作られた門であり、古代エーデム人の手によるものと言われている。

 古の歴史のほとんどは伝説となり、どこまでが真実か確かめるすべはないが、この門より、大いなる力の眠る場所・エーデムリングに入れるのは真実だ。

 ただし、その門を通れるのは、おそらくエーデム王と、目の前にいる歌うたいだけだろう。

 月明かりに輝く水晶の門は、青白く透き通っていて泉のようだった。ふれるとひんやりとする。アルヴィは、結界の冷たさを思い出し、ブルッと震えた。


「おいで、抱いてあげるよ」

 いきなりのメルロイの言葉に、アルヴィはカーッと熱くなった。

「バ、バ、バカ言うな! あなたは変態か?」

 一般的に、魔族は抱き合ったりキスしたり、ふれあうことが大好きだ。しかし、人間ほど好色ではない。

 メルロイは人間の中で成長したせいか、そういうこともわりと平気なのかも知れない。

「アルヴィ? 君は何を勘違いしている? 水晶門は、君には越えられないだろうから、抱いて中に入ろうと思っただけだよ」

 メルロイがクスクス笑っている。


 俺の勘違いか?

 いや、メルロイは絶対に俺をからかおうとして、言葉を選んだぞ。

 サリサまでうけている。ちくしょう!

 母のせい? いや、セルディのせいだ。

 俺は、昔から銀の髪と緑の瞳に弱いんだ。


 ウーレンの地にエーデムの容姿で生まれてしまったばかりに、苦しんできた双子の兄。

 幼い日、ずっと彼の側にいて、誰もが彼の敵になっても、自分だけは常に味方でいようと誓った。

 アルヴィにとって、エーデムの容姿は孤高の象徴、赤い大地に咲く白いカトラの花のように、守るべき大事な存在の象徴だった。

 メルロイの月の光に輝く銀の髪が、一瞬、セルディと重なって見えた。



 メルロイが手を添える。

 水晶門がゆらゆらと揺れている。まるでメルロイの指先で波紋を広げる水面のように。

「離れたらだめだよ。閉じ込められてしまうから」

 メルロイの言葉に、アルヴィはうなずくだけだった。からかわれたせいで、無口になっていた。

 角有りでありながら、これはまったくのお飾りで、自力ではエーデムリングには入れない。まるで、アルヴィをそれこそからかうために、酷な運命にさらすために、突き抜けた角だった。

 悔しいが、メルロイ……いや、エーデムリングに属するセラファン・エーデムの力に頼らなければ、母に会うことも出来ないのだ。

 アルヴィは、メルロイの腕にすっぽりと包まれるようにして、抱きしめられていた。

 本当に水のようだった。

 何の抵抗もなく、すんなりと二人は水晶門をくぐりぬけていた。


「まだ動いちゃいけないよ。サリサを迎えにいってくるから」

 透き通った向こうに、不安げなサリサの姿が見える。向こうからもこちらが見えているに違いない。

 メルロイが再び門の向こうへと消えると、アルヴィは突然不安になった。


 静かだ……。

 静か過ぎる。

 ここは、まるで死んでいる世界だ。


 寒くはないが、温かさもない。風もない。

 自分ではもう越えることの出来ない壁の向こうに、本当の世界がある。

 このまま二人がさようなら……なんてことになったら、閉じ込められたまま。ありえないことではあるが、心細さが襲ってくる。

 何やらサリサが駄々をこねて、メルロイが戸惑っている。


 あいつ、何しているんだ?

 俺を一人でここに置いていく気か? 


 アルヴィは、不安に襲われてたち上がると、水晶門にふれてみた。何の変化もない。

 やはり、エーデムリングの力とは無縁らしい。角はお飾りなのだ。


 突然、からかった二人に仕返しがしたくなった。

 アルヴィはにやりと笑うと、サリサに向かって手を振った。サリサがそれに気がつくと、お先にとばかり、アルヴィはくるりと背を向けてエーデムリングの迷宮ヘと足を進めた。

 お先に行くぜ! とでも言うかのように。

 とたん、慌てふためいて、無理やりサリサを担いだメルロイが飛び込んできた。

 そして、アルヴィの腕をとった。


「あははは……冗談だよ。俺が一人で行くわけないだろう?」


 仕返しは思った以上に効果的だった。

 アルヴィは笑ったが、メルロイは笑ってはいなかった。

 抱きかかえていたサリサが、急に離されたので床に転がった。サリサは半べその顔でむくれていたが、メルロイは無視してアルヴィを不安そうな目で見つめたまま、固まっていた。

 アルヴィもさすがに笑えなくなった。緑の瞳の直視には堪えられない。

「……悪かったよ。そんな……ちょっとふざけただけだよ」

 効きすぎだった。

 メルロイの唇が震えている。

「……本当に……行ってしまうのかと思った……。ギルティ……」


 名前を……? 間違った?


 アルヴィが驚くよりも早く、メルロイは自分の口に手を当てている。自分でも驚いているようだった。

 この迷宮が、過去の思い出を運んでくるのに違いなかった。

 どこかで……ズーン、ズーンと低く響く音がする。心を揺さぶる音だった。

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