砂漠を越えて
たしかに心安らぐ歌声だ……。
でも、俺は今、メチャクチャ気が急いている。
こんな時に、こんな眠くなるような歌は、かえってイライラしてくる。
しかも、まったく金にもならない貧民に歌ってやるなんて……。
人がよすぎるんだよ、メルロイは。
サリサまで、うっとりと聞いていやがる。俺は聞かないぞ!
終わったか?
あぁ、やっと出かける気になってくれたか?
「さあ、出かけようか?」
ニコニコしながら、聖人面してメルロイが戻ってきた。
「リューは、搾取されている農民たちがたまらず逃げこんで来たりするから、荒れているんだよ。これで、みんなの気持ちが少しでもほぐれてくれたらいいのだけれど」
たしかに、この街は賑やかな反面、貧民も多く荒れている。
ここ数年、ウーレンの搾取に苦しむ農民が仕事を求めて大都市に集まるも、そうそう仕事がたくさんあるわけでもない。
この細い路地の入り組んだ薄暗い場所は、仕事にあぶれた人たちが死んだような瞳で暮している場所なのだ。治安も悪そうだ。
セルディは、きっと苦労するに違いない。
「メルロイ、国境はそっちじゃない。西門はあっちだ」
やっと出発だというのに、馬を進める方向が違う。アルヴィは叫んだ。
「いや、南門から出る。砂漠を越えていくよ」
砂漠? それじゃあまったく方向が違うじゃないか!
「コーネに向かうのに、なんで遠回りして砂漠に行くんだ?」
「あぁ……いうの忘れていた。関所を越えるのはやめたよ」
「なんだって? バカいうな! それじゃあエーデムにいけないじゃないか! 俺は関所に向かうからな!」
馬の方向を変えようとしているアルヴィに、メルロイがいった。
「あぁ、もうひとついい忘れていた。許可書ないから」
アルヴィの手綱を持つ手が震えてきて、腕の中でサリサは、恐れをなしていた。
「なんでセルディがくれた許可書がないんだよ!」
「母親思いの優しい少年がいたので、心打たれて譲ってしまったよ」
あぁ! もう!
俺は我慢がならない!
いったい何のためにリューに来たっていうんだ?
何が母親思いだ! 俺だって、母に会いたい。
そのための許可書なのに!
「まぁ……万が一の時は、水晶門を越えるつもりだった。うまく抜けられるか、やってみないとわからないけれど……。うまくいけば、時間的にはそのほうが早くエーデムにつくよ」
頭から湯気が出るほど苛立っているアルヴィに、涼しい顔でメルロイは言った。
「じゃあ、何のために、あんなに許可書にこだわったんだよ! おい!」
矢継ぎ早に出てくるアルヴィの文句は、すべて無視された。
馬で行くと、あっという間に風景は砂漠になり、所々に幽霊のような岩が乱立している。
その奇岩が死者のように見えることから『死族街道』と呼ばれる道で、時々、本当に死人になってしまう旅人がいる。だが、この死人のように見える奇岩の陰で日差しを避けて、命を留めた旅人も多い。
ありがたい岩でもあるのだが、サリサは、その姿が怖いといって、アルヴィにしがみついていた。
寒い季節とはいえ、砂漠は日中いつも暑い。
しがみつくなよ、熱いじゃないか!
アルヴィのイライラはますます募っていった。
「……だいたい、あなたはセルディを全然信じていないよ! あいつは出来たやつだ。なのに、なんだよ! 俺たちを会わせないようにしたり、会話の邪魔したり……。あげくの果て、せっかくくれた許可書まで……」
アルヴィは延々と怒鳴り続けていた。回転よく次から次へと、悪態が続いた。
これにはさすがのメルロイも気分を害したようだった。
「あまり口を開けると、喉が乾くよ。それに……」
メルロイは視線を落とした。
「それに? なんだよ」
「ギルティは寡黙だった。君のおしゃべり好きは、お母さん似だ……」
父親と比べられて、アルヴィは言葉を失った。
大人しくなってしまったアルヴィの変わりに、今度はメルロイが話し始めた。
馬上で喉を潤して、すっきりした顔をして……。
「この道は、君の父上と私が、友情を確認しあった道でもある。私たちは、今の君と同じくらいの年齢だった。彼は……いつも悩み、苦しんでいた」
「父上が? まさか?」
悩み苦しむ父の姿は、アルヴィには思いつかない。
アルヴィには、父はいつも偉大な英雄であった。
いつも自信に満ち溢れていた。
「彼はいつも孤高だったから。いつも自分の血と心の葛藤に苦しんでいたから。……そうだね。セルディは、たぶんその点、ギルティに似ている」
軽いはずの腰の剣が重い。
メルロイの言う通りだった。
父に似ていたのは、セルディのほうだった。
剣筋も、セルディは父にそっくりで、むしろこの剣はセルディにふさわしい。
サラマンドだって……。セルディによく似合う。
ウーレンの民は愚かだ。
髪や瞳の色だけで、英雄にふさわしい男を見捨ててしまった。
そして俺は……いったい、いずこへいくのだろう?
「とりあえずは……エーデムだ」
まるで心を読んだかのように、メルロイが答えた。
「ほら、もう水晶門だ。馬があると、本当に楽だ」
砂丘を越えた向こう、ガラルの山々が連なっている。
陽射しが当たって山脈は、色を変えて行く。自分の悩みを拭い去るような、荘厳な景色だった。アルヴィは、些細なことで悩む自分の小ささに、あきれていた。
ガキくさくて……バカみたいだ。
その光景は、メルロイとギルティが若き少年時代に旅した時と、何ら変わっていない。
「私は、ギルティのことなら、本当に小さいことまでおぼえているよ。こけて二人で砂丘を転げ落ちたことも。この光景に二人で感動したことも。そして、彼はこう言った」
メルロイは緑の瞳を輝かせたかと思うと、突然、馬を走らせた。
「さあ、陽が沈まないうちに、あそこまで行こう!」
景色に見入っていたアルヴィは、慌てて後について走り出した。
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