血を分ける者・2


 セルディは気がついていないのだろうか?

 恐ろしい変化が、東から襲ってきていることに……。

 それは、セルディが治めようとしているこのリューマ内で、すでに進行している病なのに。


 人間が……力なき者たちの血が、音もなく忍び寄って来ている。


「セルディ、でも実は……」

 アルヴィは、その事実を伝えかけて言葉に詰まった。

『言うな!』

 短く鋭い言葉が、有角の者のみに届く言葉で、耳の奥に響いたからである。

「……でも、実は……笑うなよ。俺、母上に会いたい。まず、エーデムに行って母に会う。それからどうするか決めたいんだ」

 耳が痛い。苦痛でアルヴィはうつむき、話をすりかえた。


 メルロイの……バカ……。


 セルディは、弟の純真さをよく知っている。その言葉を額面通りに受け止めた。

 無理もない。十歳の時に母と生き別れてそのままだ。

「恥かしがるなよ。僕も、母上には会ってほしいよ」


 自分が傷つけた母。


 母に会って、お詫びして、もう一度慰めたいのは自分のほうだ。それは、自分の正体を見極めたことで、出来ないこととなってしまった。

 血の優位性を否定し、魔族の血を否定し、血に縛られない自由な世界を作ること。

 とはいえ、さすがに、血の繋がりさえも否定することは、セルディにとって辛いことだった。


 弟が……アルヴィが、せめていつでもそばにいてくれたら。

 母に会ってほしい。

 でも、必ず戻ってきてほしい。


 母の首に残っているだろう傷を思うと、セルディの気持ちは揺れた。

 アルヴィは、僕を許さないかも知れない。

 言葉とは裏腹の複雑な思いに翻弄され、セルディはうつむいた。


「セルディ、アルヴィラント様の連れだっていう人が、来ているんだけどどうしよう?」

 話が一段落したところを見計らって、トビが告げた。

 二人の世界が、一瞬にして現実の世界に戻った。

「あ、メルロイとサリサだな……」

 アルヴィがつぶやいた。先ほどの声もあって、きっと近くにはいるのだろうと思ってはいた。

「入ってもらいなさい。弟の友人は、僕にも友だ」

 セルディはにこやかに返事をした。




 エーデムとムテの純血種は、リューマ族の少年に連れられて現われた。

 メルロイは胸に手を当て、頭を下げて、新しいリューマ族長に敬意を示した。

 セルディは、メルロイの前で膝まずき、さらなる敬意を示した。

「お久しゅうございます。メルロイ様……ですね? ジェスカヤでお会いして以来ですね」

 その挨拶を聞いて、アルヴィは恥かしくなった。

 俺はメルロイのことをちっとも覚えていなかったのに、セルディは、ちゃんと父上の親友を覚えていた。

 その様子を、おかしそうにサリサが見ているのに気がついて、アルヴィはげんこつでコツンと、ムテの少年の頭を叩いた。

「昔のように、セルディと呼ばせてもらっていいかい?」

 メルロイはうれしそうに微笑んだ。堅苦しい挨拶は終わりだった。

「もちろんです。……あぁ、そうだ。国境を越える許可書をご用意いたします。アルヴィに、早く母上にあってほしい。そして、早く……。あなたが一緒だったら、きっとすぐ叶うでしょう」

 セルディの声が、やや上ずっている。何か不安を押しのけるように。

「……それでも…アルヴィは、きっと戻ってきてくれる……」

 つぶやいた言葉をメルロイの耳はとらえたが、アルヴィの耳には届かなかった。



 城を去ろうとする三人に、セルディはいつまでも名残惜しそうだった。

 一旦、お別れをいって離れたのに、再びセルディはアルヴィを呼びとめた。

 アルヴィは跳ね橋の中央で立ち止まり、振りかえった。

 セルディは走り寄ると、弟の両手を握り締めてキスした。

「アルヴィ……。君は、僕の味方だよね? 何があっても味方だよね?」

 これから起こるであろう困難に、一人で立ち向かうのは心細い。もう、レグラスはいないのだ。

 弟に側にいてほしい。何があっても側にいてほしい。

 セルディの瞳に、かつての不安で心許ない色が広がっていく。


 何をそんなに恐れている?


 不思議に思いながらも、アルヴィの兄を思う気持ちに何の曇りもなかった。

 握られた手を握り返して微笑んだ。

「セルディ、俺を信じろよ。俺はいつだって君の味方に決まっているだろ? ほら、これを見てごらん……」

 アルヴィは、腰から月光の剣を抜いてみせた。

「それは……その剣は!」

 兄の顔に、驚きの表情が広がっていく。アルヴィはいとしげに兄を見た。

 俺が惹かれてやまない銀の髪・緑の瞳。セルディは変わっていない。俺も変わらない。


 守ってあげたい。

 その気持ちも変わらない。


 西日がリューの街並みを赤く染めていた。

 リュー城の跳ね橋の上で、赤い同じ血を分けた兄弟が、陽光を受けていた。

 アルヴィは剣を高々とあげ、下ろしたかと思うと、輝ける刀身にくちづけした。

「この、曇りのない刃のように、俺の気持ちに迷いはない」

 そして、その剣を、セルディの肩先に置いた。


「俺は、この剣に誓う。俺たちは、同じ血を分けている。俺はいつでも君の味方だ」


 まだ結ぶことの出来ないウーレン・レッドが、夕日に絡まって翻った。

 去っていく弟の姿は、それでも偉大な父に似ていた。

 肩に置かれた剣の重みをたしかめるように、セルディは自分の肩に手を当てた。

 兄の視線に後ろ髪を引かれながらも、アルヴィは先に橋を渡りきっていた二人に駈け寄った。

 サリサの瞳もメルロイの瞳も、少し潤んでいるように見えた。

 兄弟に先立たれているサリサには、思い入るところがあったらしい。照れくさそうにうつむいている。

 メルロイは、まったく正反対だった。

「その剣に……誓ったの?」

「あぁ……悪いか?」

 メルロイもうつむいた。


 もちろん、アルヴィの誓に迷いも曇りもあるはずはなかった。

 セルディの心も、濁りなく澄んでいた。

 血を分けた兄弟は、純粋に愛し合っているといえるだろう。

 しかし、メルロイの心は晴れない。


 この剣が、やがて二人の運命を決する。


 メルロイ――セラファン・エーデムの血が、黄昏の予感にゆれた。

 メルロイの憂鬱そうな顔がどうしても気に入らないとでもいうように、アルヴィは歩き出していた。

 アルヴィに黄昏時は似合わない……。似合うのは、朝の陽光かもしれない。

 メルロイは、ぼんやりと考えた。

 思えば、それもひとつの予感だったかもしれない。

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