第六章

血を分ける者・1


「あなたは知っていたんだ! 黙っているなんて、あんまりだ!」

 メルロイの襟首を持ち上げて怒鳴るアルヴィの瞳は、血走ってさらに赤くなっていて、はたから見ているサリサを震えあがらせていた。

「知らないほうがいいだろうと思っていたから。君のことだから、会いにいくとかいいそうで……」

「当たり前だ!」

 思いっきり突き飛ばされて、メルロイは床に転げて、コホコホと咳をした。

「やっぱり……会わないほうがいいんじゃないかなぁ……」


 何を言っているんだ!

 たとえ、何故かわからないけれどリューマ族長となっても、セルディはセルディだ。

 俺たちは同じ血を分けた兄弟だ!


 アルヴィは、メルロイの言葉をまったく無視して、きつい瞳のまま部屋を出ていった。

 おそらく、リュー城に行くつもりなのだ。

「はぁ……仕方ないなぁ。サリサ、あとをつけるよ」

 メルロイは乱れた服を整えて、リュタンを背に担いだ。

「あの……あの……セラファン様?」

 もじもじしながら、サリサが話を切り出した。

「あの……。僕、今回だけは、アルヴィの味方です。長い間、生き別れになっていたお兄さんに会いたいのは当然です。それを黙っているなんて、あなたらしくもない。それに、相手がリューマ族長ならば、アルヴィの口利きで、もっと早くに国境を抜ける許可もおりると思うし……」

 メルロイはうつむいた。

「そうだね。サリサの言う通りだね。でもね、知りたくないことまで聞こえてしまうとね、臆病になってしまうものなんだよ」




 メルロイの考えがわからないまま、ズンズン歩き続けたアルヴィの目の前で、ぎっしりと続いていた街並みが突然開け、石で組み上げられた建物が現われた。

 これはどう見てもお城だと思われる大きな建物である。掘りに取り囲まれ、角に物見の円錐形の塔があり、街とは違う重苦しい空気が漂う。

「さて、どうとしたものか……?」

 アルヴィは腕を組んで仁王立ちしていた。

 まっすぐいっても取り次いでくれそうにないし、忍び込むには難しい。セルディには迷惑をかけるかもしれないし……。

 そのような中、背後から蹄の音がして、アルヴィは道をよけた。

 何頭か馬が行く。跳ね橋が下り、城内に入っていく。


 真赤な馬だ。サラマンド?

 そして、乗っている者は……。


 咲き誇る白カトラのような……。

 あぁ……。

 銀白色の巻毛は、ひとつに纏めただけの簡素な髪型だが、豊かで美しい。

 そして、俺を魅了してやまないエメラルドの瞳。


「セルディ!」


 思わず声をかけてしまった。

 馬上の人は、その声に反応して、道脇に目を落とした。

 目が合った。

 緑の瞳が大きく見開かれた。

 驚いた表情を向けたまま、しかし、馬は止まることなく……。


 あぁ……。

 行っちまった。


 アルヴィは溜息をついた。

 俺、変わってしまったしな……。

 ウーレン・レッドの髪は、まだ肩に届いたばかりだし、こんな奇妙な角もある。

 俺のこと、わからなくても当然だよな。

 それに俺……今は根無し草だ。事情はどうあれ、リューマ族長に収まっているセルディと対等なはずはない。


 メルロイは、このことを知っていて、俺に言わなかったのかな?


 アルヴィは、トボトボと歩き始めた。

「おい! おまえ、止まれ!」

 突然の声に、アルヴィは振向いた。

 黒髪でちんちくりんなリューマの少年が、小生意気そうに立っている。

「おまえに、セルディーン・リューマ様が、話があるそうだ」

 その名を聞いて、アルヴィの胸がちくりと痛んだ。

 でも……セルディは……俺に気がついてくれたんだ。

 アルヴィはうれしかった。



 建物に入るとすぐだった。

 銀色の影が飛び出してきた。あっというまに、アルヴィに抱きついていた。

 アルヴィが、何も考え付く前に……である。

「アルヴィ! アルヴィ! 会いたかったよ!」

 幼い頃に、兄がこんなに素直に自分の感情を表わしたことはない。

 アルヴィはすっかり面くらっていた。

 人前でみせたことのない涙さえ、エメラルドの瞳に浮んでいた。


 別れて約六年……。


 二人は、魔族では成人と認められる年齢に達していた。

 美しいエーデムの姿を持つ兄に、エーデムの証はなかった。

「その角のせいか? 辛い思いをしただろう?」

 リュー城の一室でお茶を飲みながら、兄弟は話をしていた。

「……辛いなんて、そんな……。でも、おかしい姿だろ? 中途半端に生えていて、何の力も待たないみたいなんだ。まいったよ」

 容姿にすっかり劣等感を持つようになってしまった弟に、セルディは机越しに手を伸ばした。そっと角に触れてみて微笑んだ。

「いや、きれいだよ。まだ眠っているだけで、力を感じるよ」

 角に触れられると、相手を感じる力が強くなるのだ。

 今まで、この角のせいでいい思いはしてこなかったのだが、セルディは心から角を認めてくれている。今の俺を認めてくれている。

 アルヴィは、胸が熱くなってきた。もともと、兄よりも涙もろいのである。

「まいったな……」

 アルヴィは両手で顔をおおった。


 二人の話は尽きなかった。

 どちらかというと、一方的にアルヴィが聞きまくっていた。

 アルヴィは母のことを知りたかったし、なぜ、セルディがリューマ族長になったかも知りたかった。

 その質問は、両方ともセルディに辛い思い出を運んできたが、彼は出きるだけ明るい話題を選んで答えた。


 母を斬りつけて、エーデムと決別したこと。レグラスの話をすること。

 さすがにセルディには出来なかった。


「ウーレンに啖呵を切ってしまった手前、戦いは避けられないかも知れない。でも、このままじゃあ、リューマの人々は皆、飢えて死んでしまうよ。だから、君の義母とはいえ、リナを許さない。ごめんね……」

 心を揺さぶる緑の瞳は、昔のままだった。

「そんなこと……。俺、リナの養子だったって、もう忘れていた」


 リューマのことを語る時、セルディの瞳は輝いた。

 その瞳の奥に、かつて眠っていた不安げな色はなかった。

 若干のさみしさを感じながらも、セルディが幸せそうなことを知って、アルヴィはうれしく思った。

 きめ細かな色白の頬を桃色に染めて、自分の理想を語るセルディは、水を得た魚のように生き生きとしていた。いや、水を得た花というべきか……。

 本当に、溜息がでる。


 ウーレンでは、荒地の岩陰に風を避けて人知れず咲いていた花。

 たぶん、俺だけが知っていた花。


 ここではみんなが見つめている。しぐさひとつ印象に残る。人々を魅了してやまない。

 アルヴィは、目線を落とした。

 俺が……守ってやらなくても、セルディは自分で生きていける。

 それに比べて……俺はまだ、根無し草だ。

 俺は、葬られたままなのだから。

 その状況を知ってだろうか? 今度はセルディが聞いてきた。


「君はこれからどこへ行くの? これから何をするの?」


 どこへ行こう? 何をすればいい?

 アルヴィには答えられない。

 困った顔をするアルヴィの手を握り締めて、セルディは真赤な瞳をのぞきこんだ。

「アルヴィ、おぼえているかい? 赤沙地海岸を走ったこと。僕は、リナの言葉に傷ついていた。君は追いかけてきてくれて……言ってくれた」


 セルディ、俺と君は双子の兄弟なんだ。同じ血を分けているんだよ。

 たしかに見掛けは違うけれど、血は一緒だよ。

 だから、君がエーデム族だったら俺もエーデム。俺がウーレン族なら君もウーレンだ。


 アルヴィは窓から遠くを見た。

 なつかしい……。

「あぁ、おぼえているよ。今だって同じだ。俺たちは同じ血を分けている。俺はいつだって、君の味方だ」

 セルディは、それを聞いてはにかんだように笑った。

 アルヴィはその笑顔を見てほっとする。

 兄は元々社交的ではない。はにかみやなところは、まったく変わっていない。

「それを聞いて安心した。ねぇ、アルヴィ。ずっとリューにいてくれないかな? きっと、そのほうが君のためにもなる。君に、リナの手からウーレンを返してあげるよ」


 セルディは本気だ。アルヴィは感じた。

 でも、その申し出にすぐに返事は出なかった。


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