遺言


 リューマ族長側近・パルマは、大人しい男だが、レグラスの第二リューマ時代からの友人でもあった。

 レグラス・リューマの突然の死によって、ウーレンに対する抵抗は危険であり、従うしかないという気運が民衆の中で高まっていた。

 レグラスの苦労も水のあわとなり、我々は苦渋をなめ続けるのだ。パルマは大きく深呼吸した。

 それだけは避けたい。レグラスの遺志まで葬り去るなどと。


 リューマを奴隷や家畜のような生活から救い出したのは、千五百年前、突然彗星のごとく現われた英雄だった。

 混血魔族で、そこらに転がっているような平凡な農夫が、突然大望を抱いてたち上がったのだ。

「我々、混血であっても命の重さに違いはない! 尊きは魔族の血のみならず!」

 リューマと名乗ったその男は、やがて魔の島全土を手中に収めるほどの勢いを見せた。

 純血種の前に敗れ去り命を落としたものの、混血魔族をリューマ族という種にまとめあげ、その地位を大いに高めたのである。

 レグラス・リューマは、その過程が英雄リューマにそっくりだった。リューマの人々が、夢を抱いて彼を族長としたのだ。


「さて、この手紙……。もう、セルディに見せてもいいものか?」



 誰ともあわない日々が、何日も続いていた。

 セルディは部屋にこもりきりで、誰もが遠慮して部屋を訪ねることが出来ないほどの空気が漂っていた。

 万が一のことがあったら、国境を封鎖しろ! と、レグラスは言っていたらしい。

 万が一があると彼は思っていた。

 僕に、勝ち目のない戦いに身を投じて祖国に葬られる道よりも、エーデムに幽閉されて戦いを傍観し、後にエーデム王族として生きる道を選ばせたかったのかもしれない。

 僕はそれに気がつかず、エーデムに行った。


 レグラスの側を離れるべきではなかった……。


 明日にでも、ウーレン本国から新しい族長が来る。ウーレン人だ。

 これで実質上、ここはウーレンだ。

 セルディは、何も深く考えることは出来ない。レグラスの命とともに、セルディの生気も抜けてしまった。

 指導者を失うと、人々の気持ちもここまで萎えるのか……。

 人気者だったレグラスの葬儀は、ウーレンに睨まれてさみしいものだった。そして、僕も……何もする気が起きない。


「セルディ、いいかな?」

 深呼吸とともに、セルディの返事を待たずして、声の主は部屋に入って来た。

 明日、新しい族長が来るまでの繋ぎ役のパルマだった。

 ウーレンの血を引く少年が閉じこもる闇の世界。足を踏み込むには、気持ちの小さなパルマには勇気が必要だった。

 三度目の深呼吸で、パルマは手紙を出した。

「レグラスが残した手紙だ。私にこうしろ、ああしろと、小うるさく書いてある。でな? ここのところが問題なんだけれど……」

 セルディは手紙を読んだ。たしかにレグラスの字だった。汚いし誤字・脱字が多い。でも、一生懸命書いていることが伝わってくる。

 ある文にセルディの目が止まった。

「これは……」

 パルマはうなずいた。

「いやぁ……あいつらしいアイデアだとは思うんですがねぇ……。これは、一種ウーレンに対しての反旗でもあるわけですから、悩みますし……。それにあなたの気持ちを確かめないことには……」

「そうだな……。いたずらに冒険するのはよくない」

 セルディは目を伏せた。

「まぁ、考えてみてはください。あ、そうだ……。これもあずかっています」

 そういうと、パルマはもうひとつ手紙を差し出した。

「遺言だ……。ほどいいところで渡してくれって……。まぁ、あいつの『ほど』ってなんなのかわからないんですが……」

 そういうと、パルマは出ていった。

 外から大きな溜息が聞こえてきた。パルマの緊張が解けた瞬間だった。


 セルディはベッドにひっくり返ったままだった。

 手紙をすかしてみた。あまり厚くはない。

 これを読んでしまったら、もうレグラスが死んだことを認めるしかなくなる。

 少し躊躇したが、レグラスが残した物という誘惑には勝てない。

 セルディは封を開けた。

 たった一枚だった。


「迷うな! おまえはリューマだ」


 それだけだった。

 それも思いっきり汚い字で、紙いっぱいに書かれていた。

 そのへたくそな字を見ているうちに、セルディの中に、レグラスとの思い出が、浮んではきえた。

 次から次へと……。涙とともに……。


 異邦人だったんだ。どこでも……。

 自分を自分と認めてくれるところに行きたかったんだ。いつでも……。

 レグラス・リューマだけが、こう言ってくれた。


 おまえはリューマだ……違うか? そうだろう?

 同じ心を持っている……違うか? そうだろう?


「迷うな! おまえはリューマだ」


 そうだ……。

 ここは、僕がやっと見つけた故郷だ。

 僕はもう迷わない。




 翌日、ウーレン人の新しい族長がリューに着任してきた。実質、これでリューマの自治は終わりを告げる。

 風もない、まるで空気さえも死んで動きを止めたかのような日だった。

 明るいはずのリューの街も今日ばかりは市もたたず、重苦しくよどんでいた。

 城門前広場にて、市民一同に新族長が所信表明することとなる。

 ざわつきながらも人々が集まってきた。

 英雄の死は、人々に抱かせた希望の分だけ余計に絶望を運んできた。誰もが死んだような眼差しで、ウーレンの小隊を従えた族長を迎えた。

 新しい族長は、ウーレン族にしては太った体格のいい男だった。ウーレンの平民に多い黒髪をウーレン風に結んでいる。

 もったいをつけて、咳払いすると族長は演説しようと演台に足をかけた。


「お待ちなさい。あなたの就任は、私が認めません」


 風が戻ってきた。

 突然の声に、族長の足が止まった。声の主はみあたらない。

「誰だ! 我輩は、ウーレン王母陛下リナ様の命により、この地を治めるものぞ!」

 風に乗って笑い声が響く。

「ぶ、無礼者! 姿を現さぬか!」

 人々がどよめきはじめた。リューマの民にとっては、聞き覚えのある声だった。

 ウーレン風に髪を結び、ウーレンの鎧に身をかためたセルディが、サラマンドに乗って現われた時、人々の声は驚きの声に変わった。

「馬上からとは! ますます失敬な!」

 真赤になって怒る族長の前、ウーレンの兵が槍を構えた。市民たちから悲鳴が上がった。

 しかし、セルディは不敵な笑みを浮かべて、ウーレン族の前まで馬を進めた。

「無礼者はどっちだ! 私は、ウーレン第一皇子セルディーン・ウーレンである。我あるうちは、ウーレン王位は本来、私のもの。私は、リナの養子にあらず。我が弟は、即位を前にして没している。よって、リナは王母にもあらず! 即刻、本国に帰って伝えるがよい!」

 ウーレン兵たちは槍を構えたまま、互いに顔を見合わせた。


 無血の謀反によりウーレンを去ったとはいえ、ウーレンの慣習法に従えば、第一皇子に継承権がある。王位継承を一週間前にして亡くなった第二皇子を王とみなしてこそ、リナの王権が認められているのだ。

 第一皇子がウーレンに戻れば、当然王権は第一皇子にある。

 セルディは剣を抜いて高らかに宣言した。

「私は、本日より、セルディーン・ウーレン・ド・リューマを名乗る! 我がリューマをウーレンとする時、それは私がウーレン王となる時である。リナに伝えよ! 私が戻るまでは、国政に励めと……」

 それでもウーレン兵は槍を下げなかった。

 やむを得ない……。

 セルディは演台に近寄ると、馬上から槍兵を跳び越して族長の後ろに飛び降りた。

「リナに土産を作らないといけないようだな」

 えらそうな族長の首は、あっという間に吹っ飛んだ。


 人々は一瞬ざわついたが、それはすぐに歓喜の声に変わった。

「ウーレン、出てゆけ! ウーレン、出てゆけ!」

 高らかな声が響き、兵隊長も無駄なことと悟り、槍を下げた。

「セルディーン様、確かにお言葉受け取りました。リナ様にお伝えいたします」

 兵たちは、族長の首を受け取ると、黒馬に乗ってリューをあとにした。

 後には万歳を叫ぶ市民たちの声が響いた。

 やがて市民たちはセルディを取り囲み、口々に喜びの言葉を伝えた。

 人々の目が輝いているのを見て、セルディは改めて自分の中のリューマを感じた。


 レグラス・リューマは死んだのではない。

 リューマの人々に希望が蘇ったように、僕の中で生き返ったのだ。そして、僕自身も……。



 数日後、ジェスカヤの王宮にある陶器壷がすベて粉々になるほど、リナが怒り狂ったことはいうまでもない。



=第五章・終わり=

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