暗殺者
また……めまいだ。
自分が走らせている馬に酔うとは……。
リューを目の前にして、セルディは馬を止めた。
それは、サラマンドの為にも正解だった。悲しみに囚われ、飛ばしすぎていた。
昨夜、イズーを出て大疾走し、夜半にコーネについた。うれしそうに出迎えたレサに対し、セルディはほとんど声もかけず、タカを困らせた。日が昇ると同時に出発し、今、まだ朝だった。
「一人乗りでも、こんなに早くは戻ってこられないよ。馬も馬だけど、おまえ、すごいなぁ」
タカがあきれていた。
セルディは、すっかり自分の世界に入っていた。
今更になって、母を傷つけた手が震える。自分の中に、エーデムの血も流れている。
そのエーデムと完全に決別したのだ。
もう、帰るところはリューマだけになった。
心で繋がる父レグラス・リューマのもとだけに……。
早く、レグラスに会いたい。レグラスは、やっぱり見ぬくのだろうか?
僕の今の悲しい気持ちを……。
見ぬいてほしい。僕には口には出せない。
そして、わかってほしい。
セルディは膝を抱えて、顔をうずめた。
蹄音が地に響き、セルディは重たい頭を上げた。
冬枯れの乾いた大地に砂埃を舞い上げて、立派なウーレン黒馬を引く商人たちが通りすぎた。
軍馬だ……。戦争が近い。
自分の心の傷のみに心がいっている場合ではなかった。
僕は、本当にいつからこんなに甘えっ子になってしまったのだろう? レグラスは今、それどころではないはずなのに。
セルディはたち上がると、ほっと息をついた。
「お? もういいのか……。そんじゃあ行くか」
タカも飛び起きた。
ゆっくりとリューの門をくぐる。市場がたっている。
ざわめく雑踏の音が、何故か遠く聞こえる。まだ頭が重かった。
最近、東の方からはしきりに物資が入る。ウーレン方面からの物資は滞っているが、不思議と武器だけは入ってくる。
おかしなことに、戦争で儲けたいやつはどこにでもいて、ウーレン製の武器・馬を売る商人がいるのだ。
そういえば……先ほどの軍馬は? どこへいったのだろう?
見覚えのある商人が、ちらりと横切った。先ほどの一行の一人だ。まるで逃げるようにセルディの前を通りすぎた。ちらりとすれ違った時、目が合った。
ギラリとした瞳の奥に、殺気が宿っていることを、エーデムの血が教えてくれた。
ゾクッと、凍りつくような感覚が、セルディを襲った。とたんにウーレンの熱い血が燃え上がった。
サラマンドがたち上がった。
「ウワワワッ???」
思わずタカが転げ落ちた。しかし、セルディは声もかけずに、そのまま馬に合図を送った。サラマンドは走り去った。
「おい? セルディーーーー!」
タカは背中をさすると、とぼとぼ後に続いた。
市場の細い路地を、人の迷惑を顧みずにサラマンドは疾走した。
赤い石畳の道に、火花が散るほどの勢いだった。
小さな露店に突っ込みそうになって、店主が一瞬目をつぶった上を飛び越えた。
「いやーーー。すんませーーーん」
かなり遅れて、ひいひい追いかけながら、セルディの無礼行為をタカは謝りまくるしかなかった。
いったい、セルディはどうしたんだろう? タカは汗を拭いた。
エーデムから戻ってくる時からおかしかったが……。
リュー城へ!
セルディは飛ばした。
ウーレン皇子として、十歳までかの地にいたセルディには、あの者たちの正体がわかっていた。
あいつらは、ウーレンでも特別に訓練された暗殺者たちだ。
僕がいないことを知って、ウーレンが放ったに違いない。なぜ、もっと早く気がつかなかったんだろう?
リュー城は堀に囲まれている。間者や暗殺者は忍び込むのは難しい。しかし、奇妙なハシゴが堀に架けてある。執務室の窓に、忍び込む黒髪の影が見えた。
ウーレン風に長い髪を結んでいた。
「レグラス!」
セルディは叫んだ。
こんな時に限って、跳ね橋が下りるのがおそい。セルディは、サラマンドを後退させると、気合を入れた。
赤馬は能力を充分に発揮して、まだ下りきらない橋の奥へと着地した。
セルディは執務室へと走った。
すべては、僕の見まちがいで、勘違いであってほしい。
扉を開けたら、レグラスがいて、いつものように伸びをして、足を組んで椅子に座っていてほしい……。
セルディの願いだった。
それは虚しい願いだった。
暗殺者は五人組だった。だが、実際に手を下すために忍び込んだのは三人、あとの二人は逃げる手はずを整えていた。
激しく開けられた扉の向こうでは、もうあとひとつ仕事を残すだけで、すべては終わっていた。
セルディの髪は逆立った。
頭の中が真っ白になった。
暗殺者の視線が、セルディを釘づけにした。
手際がよすぎた。
人間はその鈍感さゆえに、何が起こったのかも気がつかなかったかもしれない。椅子に座ったまま、血まみれになっていた。
ウーレン製の剣が、暗殺成功の証拠として、レグラスの首を切り落とそうとしていた。
許さない!
セルディの目が真赤に燃えた。
彼の中に眠るウーレンの血が、燃え上がっていた。
突然、首を落とそうとしている男に、小さな短剣をふるった。
相手は、ウーレンでも訓練を重ねた者だった。セルディには分が悪いと思われた。
攻撃は最大の隙を生む。別の暗殺者が、セルディの隙をつこうとしていた。
今回の任務は、リューマ族長の命を奪うことだ。
だが、セルディーン皇子の首もつけたら、リナ姫は喜んで報酬を三倍出すだろう。
しかし、セルディには、熱くなっても冷静にことをなせるウーレンの血が流れていた。なぜ、そのようになせるのか、セルディ本人にも答えられないに違いない。
攻撃はフェイントだった。鍛えられた者に勝とうと思えば、裏の裏まで計算し尽くして動かなければならないことを、セルディは知っていた。そう、攻撃は最大の隙だ。
相手はセルディに釣られて大きな隙をくれた。短剣は深く相手の腹に刺さり、剣がほろりと手から落ちた。
次の攻撃もすでに読んでいた。死んだ暗殺者の体を盾にして、身をかがめると、セルディは剣を拾った。
ウーレン製の剣の重みが、ますますセルディの血を燃えさせた。
体勢を整えるため、セルディは距離を置いて剣を構えた。
タカとトビが執務室に入ってきた時、セルディのふるった剣は、暗殺者の首を刎ねていた。
ウーレン製の剣とはいえ、非力なセルディが一太刀で首を刎ねるとは、信じられなかった。
残る一人との戦いも、リューマの二人は助太刀できなかった。そのような空気ではなかったのである。
セルディが強いのは、二人ともよく知っている。
リューマの不良少年は五人だったのに、武器も持たないセルディにのされてしまい、それが出会いだったのだ。でも、今ここにいる少年は……。そのセルディとは別人だった。
目の色が……? 赤い?
激しく刃がぶつかり合った。
力と力では勝てないことを、セルディはよく知っている。すばやく身をかわして距離をとりながら、次の攻撃を狙っている。相手も動きがすばやい。再び刃が音を立てた。
まるで鬼神のようだった。
戦闘に長けた二人の戦いは、やがて一瞬の隙を冷静についたセルディに軍配が上がった。
相手が決定的と思って振るった一撃を、わずかな差でかわしていた。セルディの首をねらった剣はかろうじてセルディの髪をかすり、まるで手応えあるかのような錯覚を敵に与えたのだ。
その隙に、セルディは相手の懐に入っていた。脇腹を深く切りつけ、後に抜けると、背後から留めをさした。
「……すげぇ……」
思わずタカがつぶやいた。
だが、トビは、その後のセルディの行為に、目を奪われていた。
「セルディ! もう止めろよ!!」
トビの叫ぶ声を聞いて、セルディは我にかえった。
そして、ぽとりと剣を落とした。
あたりが真赤に染まっている。
セルディの髪も顔も血にまみれていた。
戦闘にあって冷静だったセルディだが、それは戦闘に対する天性の才能だった。
戦い終わって、彼の理性は飛んでいた。
死んでしまった暗殺者たちを、これでもかといわんばかりに、セルディはめった刺しにしていた。まったく意味のない、勝敗を越えた感情的な行為だった。
血が飛び散り、辺りが赤く染まった。
この光景は、セルディを心地よくする。
そう……この色は、僕に足りなかった色。僕を補ってくれる色。
心が耐えきれなくなると……血にまみれる……。
満たされていくのだ。
そうすると、今、陥りそうな悲しみから解放される。
セルディは、椅子に横たわる人を横目でちらりと見た。
緑色に戻った瞳に涙さえも浮かばない。
また……僕の心を、僕の闇を見ぬいた?
ねぇ、レグラス?
レグラスの表情は、苦しんだ様子がない。
まったく見事な仕事だったのだ。
セルディはふらふらと椅子に近寄ると、そのままレグラスの膝を枕にした。
レグラスの心臓からあふれ出る血は、さらにセルディの髪を赤く染める。
いつも、いつも……。
大きな手が髪を引っ張る。豪快に笑う。それだけで心地よかった。
レグラス、何かおかしいんだ。僕は……。
めまいがする。
しかし、今、髪にふれる手はなく、話しかける声もない。血の海にのぼせていくようだった。
目の前に広がる黒い闇に覆われて、セルディは目を閉じた。
湯あたりしたのかも知れないよ……。
レグラス、気分が悪いんだ……。
セルディは、幸せだったあの時のように、レグラスの腕の中で気を失った。
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