何処へ


 夕暮れが近づいた頃、砂漠の果てにたどり着いた。

 アルヴィは、馬を励ましながら、地平に広がる緑豊かな地を目指した。

 馬も人も、喉はカラカラでお腹が空いていた。容赦ない陽射しが体力を吸い取り、もう走ることはできなかった。

 しかし、その苦しみももう終わりだ。

 そこには水もある。豊かな草もある。サラマンドは元気を取り戻して、一気にイズーまで走ってくれるだろう。

 そして、イズーには母と兄が待っている。


 アルヴィは、母の顔を思い出し、気力を振り絞った。

 母は、どんな顔をするだろう? 抱きしめてくれるだろうか?

 兄は……? セルディは、どうだろう? 

 変わったかな? もしかしたら、兄にも角が生えているかもしれない。

 エーデム王族らしい風貌の兄を想像して、アルヴィは笑った。

 あと……もう少しがんばったならば、俺たちはまた、家族に戻れるのだ。

 限界を超えたアルヴィは、その思いだけを胸に前進した。


 突然、雷にうたれたように、馬がたち上がった。

 疲労しきったアルヴィに、こらえる力はなく、あっという間に赤い大地に叩きつけられた。ハシゴから落ちた時と同じ場所を打ち、アルヴィは一瞬息ができなかった。

 ぜいぜいしながらもおき上がり、馬を引いて前に行こうとして、再びアルヴィは大地に投げ出された。

 何かがそこにあった。


 この感覚……。


 アルヴィはどこかで経験している。

 それは……あの時。

 父の葬儀の時、アルヴィはエーデム王・セリスと握手しようとした。しかし、王の手にまとわりついた銀の粒子がアルヴィを刺し、アルヴィは思わず手を引っ込めてしまった。

 あの時の、伯父上の結界……。


 まさか?


 わずか数歩行ったところに、緑地がある。さらに、かすかな水音が聞こえる。

 あと数歩……あと数歩なのに……。まさか?

「伯父上、私です。アルヴィラントです! 結界を開けてください」

 アルヴィは、砂にまみれた顔を上げ、豊かな大地に向かって叫んだ。

「おまえをエーデムに入れるわけにはいかぬ」

 突然、心の中に声が響いた。

 初めて経験する心話だった。見上げると、数羽のムンク達が上空を舞っていた。

「おまえは、エーデムに災いをもたらす。早々に立ち去るがよい!」

 ムンク達の言葉は、アルヴィには死の宣告だった。


 ここまでやっと来て……いったい、いずこへ行けというのだ?

 エーデム以外、行けるところは残されていない。


 アルヴィはよろよろとたち上がり、再び銀の結界を突き進もうとした。

 ムンク達は、その姿を見て下降し、激しい攻撃をしかけてきた。

 鋭い爪とくちばしが間断なく襲いかかり、アルヴィは砂の大地に伏せった。すでに、顔といい、手といい、血だらけになっていた。

「母上は……! 母上は、知っているのか? 兄上は……」

 ムンク達はそれに答えず、アルヴィが起きあがらなくなるまで、執拗な攻撃を仕掛けた。


 激しい雨がやってきた。


 ムンクの攻撃に、気を失っていたアルヴィは、傷口を容赦なく叩く雨で目を醒ました。

 カラカラに乾いた喉には、恵みの雨だった。

 痛いくらいの激しい降りに、アルヴィは仰向けになると口を開けて、水分を補給した。

 涙が出てきた。希望は何もない。

 このまま雨にあたっていては、砂漠の夜を堪えるだけの体温が保てない。

 激しい雨の中、銀の粒子はキラキラと輝き、この世のものとは思えない美しい姿を見せた。

 冷酷な……。

 アルヴィは起き上がると、馬を引きながらよろよろと、銀の壁伝いに歩き出した。

 もう、夜を徹して砂漠を越えることはできない。


 いずこへ行けばいいのだ?

 いずこも行く場所はない……。


 あきらめるな。必ず道はある。


 自分の中の、誰かがそうささやいた。

 俺は、誓った。生きると……。

 アルヴィは、雨に吸い取られていく気力と体力を振り絞った。この結界にも、きっとどこかに隙間がある。今は、それに賭けるしかない。


 しかし、エーデム王の結界に、やすやすと破れる隙などなかった。

 ぬかった道に足を滑らせ、アルヴィは何度も転び、泥まみれになった。そして、五回目に転んだ時、もう立ち上がることはできなかった。

 サラマンドが、鼻でアルヴィを突ついたが、アルヴィは起きることができなかった。意識がどんどん遠のいた。


 俺は……ウーレンに見捨てられ、そしてエーデムに見捨てられた。

 俺は……生きる……。

 でも、何の為? なぜ、そうしてまで生きなければならない?

 バカバカしくはないか?


 アルヴィは、完全に意識を失った。

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