運命の夜・2
リナは、その場にへなへなと崩れた。
モアも言葉を失っていた。
この後に及んで、何という運命のいたずらか!
「き、切り落しましょう! モア。ウーレン王にエーデムリングの証など、いりません!」
リナは完全に気が動転していた。
「お、お持ちください! これがもしもエーデムリングの証であれば、角を落とすと、アルヴィラント様の命も落とすこととなります! それは……それだけは……」
モアも動揺が隠せない。
「ええい! そのようなことはどうでもよいわ! エーデム族の命など、惜しくはない。私が惜しむのは、ウーレン・レッドのアルヴィラントじゃ!」
エーデム族がウーレンの王となることは、許されることではない。
ここまで手塩にかけてきたのは、エーデムの王族などではない。あってはならないのだ。
リナはナイフを取出した。
モアが慌てて、その手を抑えつけた。
「お待ちください! リナ様!! ほ、方法は他にもございます!」
リナの力が、ふっと抜けた。
「方法?」
方法などあるはずもない。
しかし、そうでも言わなければ、非力な老人をねじ伏せて、リナは角を切り落とし、アルヴィの命は失われる。モアは、ふっと息をついた。何か言わねばなるまい。
「皇子は病に倒れた。死ぬかも知れぬ病です。そして明日、ムテから医者を呼びます。ムテは古代から、癒しの魔力を持つ一族。角を切っても皇子の命を助けることができましょう」
リナは不信の目を向けた。
「だがそれでは、ムテに皇子がエーデム族だと暴露することになるではないか?」
「ムテの医者が、口を開かねばいいのです。方法はあるでしょう」
モアの顔に、一瞬ウーレン族らしい冷酷な表情が浮かんだ。
「……なるほど……。万が一ダメならば、アルヴィラントは病死とし、助かれば、角のことは二人だけの秘密ということか。掛ける価値はありそうだな」
「すべては明日です。運命がウーレンに味方するよう、祈りましょう」
苦しみ続けるアルヴィのもとを、二人のウーレン人は立ち去った。
この夜、エーデム族のアルヴィが、痛みに堪えかね死んでしまっても、それは仕方がないことだった。
モアは自室に戻ると、紙とペンを出し、サラサラと手紙を書いた。
モアは、手紙に推敲を重ねるタイプだったが、この手紙は一気に書き上げ、一度読み返しただけですぐに封筒に入れ、ウーレン宰相の蝋印を押した。
そして、王宮のベランダから上空に向けて、手紙を投げた。
モアの思考を盗んでいたムンク鳥が一羽、さっと滑空して手紙を受け取ると、エーデムに向けて飛んでいった。
モアに、この返事を待つゆとりはなかった。
「皇子……皇子……起きてください」
アルヴィはまだ、激しい頭痛にさいなまれていた。
「うぅぅ……」
苦しそうなアルヴィを起こして痛みに堪えさせるのは、さすがにモアも気が引けていた。
しかし、これは命にかかわることである。
角を切り落として助かるなどということは、ありえないことなのだ。ムテの魔力を過信するリナの単純さに掛けた、いわば思いつきのウソだった。
なんという運命なのだろう?
わしは、やっぱりこの親子三代に渡って、災いをもたらす者なのだ。しかも、三人とも、わしの心の中では魅力的な者達だった。
好感を持ちながらも、ウーレンの為にこうするしか方法がなかった。
モアは、宰相になってから初めて、自分の立場を怨みに思った。
頭を突き破って、どんどん伸びてくる角を撫でながら、モアは感慨に浸っていた。
あの時、フロル様を逃がした時……。
ウーレンにはウーレン・レッドの王が必要だと言って、親子を切り裂いた。それなのに、こうしてエーデムの者だと判明した今、我々はこの皇子を殺そうとしている。
なんと勝手なことだろう?
こればかりは……わしには許されないことなのだ。
「皇子……お願いです。目を醒ましてください」
アルヴィはうっすらと目を開けた。
今まで見たこともないような悲しい顔で、モアがじっと見ていた。
「モア……。俺はいったい……」
ズキズキまだ頭病みがする。
「皇子、お気を確かに保っていてください」
モアは皇子に鏡を見せた。真っ赤なウーレン・レッドの髪の少年が写った。
しかし……。
「!!!!!」
アルヴィは、その姿に驚いて頭に手をやつた。
間違いなく、そのものはそこにあった。
悲鳴をあげそうになったが、すばやくモアが口を抑え、そのままアルヴィを抱きしめた。
「アルヴィラント様、これは運命です。ですが、運命に立ち向かってください。生きのびてください。ここにいると、明日にもあなたは殺されてしまうでしょう。もうすぐ朝になります。充分な準備はできませんでしたが、可能性にかけてお逃げください」
モアが泣いているのを、アルヴィは初めて見た。
母を裏切った時でさえ、あんなに冷静だったモアが……。
頭痛がする。
動くとますます病む。
だが、そんなことをいっている場合ではない。
モアが持ってきたロープを窓枠に縛り、そこから外へ逃げる。
サラマンドを使えば、リナが追手を差し向けても、追いつかれない。
「エーデムのセリス様に、手紙を書いております。返事をまつ時間はありませんが、フロル様もセルディーン様もいる。おそらくあなたを助けてくださるでしょう」
アルヴィが着替えている間、モアは話しつづけた。
「……あの時……フロル様と一緒に行かせてあげたならば……」
「モア、それは過ぎたことだ。気にするな」
アルヴィは着替え終わると、ロープに手を掛けた。
「アルヴィラント様!! これを……」
アルヴィは振りかえると、モアが出した剣を受け取った。
「これは?」
「月光の剣です」
月光の剣? それは、父上の葬儀の時、父の代りに燃やされたのではなかったのか?
「ギルトラント様は、私の養子でもありました。せめて形見になるものと……燃やすのが惜しくなってしまったのです」
アルヴィは剣を鞘から出してみた。
あの日のように、妖しく刀身が光った。
「たとえ、エーデムリングに属するとしても、あなたはウーレン王・ギルトラント様の血を引く者。それを……それを忘れずに……」
アルヴィは大きくうなずくと、身を躍らせて窓から降りた。
窓の下には、リラがサラマンドを連れてきていた。
寝ぼけ眼のお使いの小姓が、馬を連れて来いとだけ伝えにきた。リラもあくびを三度ほどしていた。
しかし、そのあくびは大口を開けたところで止まってしまった。
窓から降りてきたアルヴィの変わり果てた姿に、顎が外れそうになっていた。
「しっ、静かに……。朝早くありがとう。君にお別れを言う機会があってよかった」
アルヴィは、リラが声を出すと思い、リラの大口を手でふさいだ。
しかし、リラはその手を払うと、ウーレン族らしいきつい目でアルヴィを睨んだ。
「バカにするんじゃないよ! こんなことだって、血のいたずらであるかも知れないとは思っていた。負けるなよ……。絶対に死ぬんじゃないよ!」
きりりとしまった目の奥に潤んでいるものを見て、アルヴィは笑顔を見せた。
頭痛で笑える状態ではなかったが、安心させるためには笑うのが一番だと、なぜか思った。
突然、リラは背伸びしてアルヴィの唇にキスすると、そのまま走って十mほど離れて、振りかえった。
面食らったアルヴィに、リラは手を振った。
「早く! 早く行けよ! 見つかるぞ!」
押し殺した声でリラが叫んでいる。
聞こえるはずない距離なのに、アルヴィにはリラの声が聞こえた。
アルヴィは、意を決すると、馬に飛び乗り、全力疾走で走り去った。
リラがその後、ぐちゃぐちゃになるまで泣いたことは、さすがに気がつかなかった。
アルヴィは、ウーレンの赤い大地を走りぬけた。
頭痛は、まだ完全に収まっていない。
しかし、走らないと死に追いつかれてしまう。
運命のいたずらを責めている場合ではない。落ちこんでしまう前に、まず生きよと……。
とにかく、走る。ひたすら、走る。
生きるために……。
運命に押しつぶされないように……。
=第二章・終わり=
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