運命の夜・1
ウーレンの大地を駆け抜ける早馬のように、五年の月日が流れた。
アルヴィラントは十五才になり、ますます父親に似てくるようだった。
相変わらず、リラを伴に走りまわっていたが、赤沙地海岸だけではない。領地をあちらこちら見に回るようになっていた。
一歳年上のリラより背も高くなり、乗馬の腕前も追い越した。
本来、王族は、気分次第で民を殺めてもよいことになっており、視察は恐怖を持って迎え入れられたが、アルヴィは、残忍な行為をすることはなかった。
それどころか、笑顔さえ振りまき、常に礼儀正しかった。
おのずと民の間では、このウーレン・レッドを持つ皇子の人気は高まっていき、誰もがウーレン王継承の儀を楽しみに待つようになった。
この五年間を、アルヴィは振りかえってみる。
母がエーデムに逃げかえった時のこと。あの時は運命を呪い、誓を守れなかった自分を責めた。
しかし、時がたって思い返してみれば、モアの判断は正しかったのだ。
紛争が勃発する中、母上とリナ姫が内戦を起こせば、そこにつけこんでくる者がいたはずだ。
俺がこの国に残されたことで、すべてはまるく収まったのだ。
それに、エーデムに逃げて、はたしてウーレン・レッドの俺が、受け入れられたかどうかも疑問だ。
セルディが十年間味わった苦しみを、俺はエーデムから受けることとなっただろう。
「そう思えるようになるのに、時間がかかった。すまない。おまえには感謝している」
アルヴィラント皇子の言葉に、さすがのモアも目頭を抑えた。
第一皇子に比べて幼いところが多く、あまえっ子で、感情を素直に出してしまう第二皇子が、ずいぶんと大人になったものだ。
その上、なんと心優しい人柄なのだろう。
この王ならば、誰もがついていけるだろう。
これで、ウーレンも安泰だ。
リナ姫も、時々喧嘩はするものの、アルヴィを憎からず思っているようだった。リナは気をつけているようだったが、たまに母性本能丸出しの眼差しを、アルヴィに向けていることもある。
リナ姫が少し穏やかになったのも、アルヴィラント様のおかげだよと、お付の者たちは噂している。
「王の母たる者、恥ずかしい服装などできぬ。ムテの絹地を取り寄せて仕立てさせているが、まだでき上がらないらしい。エエイ! いらいらするわ!」
王位継承の儀に向けて、リナ姫は自分のことのように、興奮していた。
この儀は、ウーレンではギルトラント王の葬儀以来の、大きな儀になるであろう。
王宮図書館の出窓で、かつてセルディーン第一皇子がしていたように、アルヴィラントは読書していた。
第一皇子がエーデムに逃げ、もうすぐ残された第二皇子が王位につくのだ。
「ウゥ……」
突然、アルヴィは頭痛に襲われた。
最近、時々頭が病む。
さすがに、緊張しているのだろうか? 王位につくことに……。
アルヴィはこめかみを抑えた。
兄を差し置いて、髪の色のせいだけで自分が王になることに、納得しているわけではない。
しかし、それが一番正しい選択であり、この運命を乗り越えて立派な王になることが、母や兄に対しても、敬意を示すことになるのだ。
そして、ウーレンとエーデムの絆を深めていけば、おのずと母や兄とも再会できるであろう。
あの日の誓いは、決して潰えたわけでない。形を変えて、実現するのだ。
そのために……立派な王となるために、この五年間、俺は準備してきた。
再び強い頭痛がアルヴィを襲った。
キィーーーンと頭の奥がなるようだ。アルヴィは両腕で頭を抑えた。
何かが……頭の中で、大騒ぎしているようだ。頭蓋骨が内側から圧迫される。
堪えられなくなり、アルヴィは部屋に戻ろうとハシゴに足を掛けた。
とたんに、バランスを崩した。
「キャアアアアアーーーーー!」
静かな図書館に、図書係の女の悲鳴が響いた。
なんだ? その声は……。
アルヴィには何が起こったのかわからなかった。
強く打たれた背中の痛みなど、頭病みのせいで何も感じなかった。
ドヤドヤと駈け寄る足音も、図書館には似つかわしくない。
ハシゴから落ちたアルヴィは、大勢の従者に抱きかかえられて、部屋に戻された。
ケガらしきものは打ち身くらいだったが、アルヴィの意識は戻らず、お抱えの医者が呼ばれた。
頭が痛い……。
封印されていたものが、耐えきれなくなって外へ出ようともがいている。
頭が痛い……。
ダメだ……。
おまえたちは俺ではない。俺はおまえたちなど知らない。
銀の竜が、アルヴィの頭の中で暴れていた。
いや……確かに、私はあなたのもの。
あなたは私のもの。
私を解き放つ時がきたのだ。
銀竜は、さらに暴れた。そして……アルヴィを貫いた。
「ハシゴから落ちたくらいで……頭でも強く打ったのか?」
リナ姫がイライラしながら医者に聞く。
アルヴィが倒れたと聞いて、部屋まですっ飛んできたのだ。
一週間後に儀が迫っているというのに、皇子に大事があってはと、リナも気が気ではない。
「いや……どうも私にはわからぬ……。もっと重い病かも知れぬ……」
リナは頼りにならない医者を怒鳴り散らした。
「おまえは本当に医者なのか! どうにかするのが医者だろう!」
「リナ様、アルヴィラント様に響きます。お声を低く……」
宰相・モアが穏やかに言った。気は穏やかではなかったが……。
「明日、ムテより医師を呼びましょう。彼らならば、この病がわかるかも知れません」
医者は、これ以上怒鳴られてはとばかり、退室した。
部屋には三人だけになった。
「あぁ、もう本当にこんなに苦しそう……。私が代ってあげたいくらい」
リナは目を潤ませるほど心配して、ベッドの横から離れなかった。
この五年間、本当に子供のように可愛がってきたのだ。リナはそっとアルヴィの頭を撫でた。
そのとたん、リナは飛び上がって後ずさりした。
その顔は恐怖に引きつって、蒼白だった。
「モ、モア!! これはいったいどういうことなの!!!!」
モアもいったい何事が起きたのかわからなかった。
リナの指先が、震えながらもアルヴィを指している。モアは皇子の顔を見た。
そして、一瞬呼吸ができなくなるほど、驚いた。
アルヴィラント皇子の耳の横から、小さな銀の角が頭を出していた。
それは間違いなくエーデム族、しかもエーデムリングに選ばれた者の証であった。
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