宰相の悪夢


「あなたは、最初からそのつもりだったのか」

 緑の瞳が、驚きの色に変わっていく。

 暗い地下牢の中、セルディン公の声は震えていた。

「ウーレンの為ゆえ……」

 モアは頭を下げた。

 独房で、アル・セルディンは自害した。

 想定外の出来事だった。

 エーデム族に自害する勇気があるとは思わなかったし、交渉は上手く行っていたかに思えた。

 セルディン公は、決して内容に満足ではなかったにしても、エーデムの民を守るために、ウーレンに協力して、エーデムリングの力を解放すると約束した。エーデムをウーレンの属国としながらも、自治を認め、彼の息子に王位を与える予定だった。

 彼にとって、死をもって拒むような、悪い話ではなかったはずなのに。

 ウーレンの衛兵が発見した時、アル・セルディンはかすかに息があったという。だが、意識を回復することはなく、苦しみながら死んでいった。

 尊きエーデム王族の血は、石の床を真っ赤に染め上げていた。豊かな銀の巻毛は、すでに血を吸っていた。王族の証の銀角に輝くような光はなく、緑の瞳は開くことがなかった。

 ナイフなど、いつの間に手に入れたのか? 

 エーデムの民は殺しを嫌う。死に方を知らないとはいえ、なんと汚い死に方なのだろう?

 急所を知らずして、何度も何度も自分を刺したらしい。

 貴公子といわれた男の不器用な死に様に、モアは憐れを感じた。 


「裏切り者!」


 突然、緑の瞳がモアを睨みつける。銀の髪が、風になびいた。

 朝靄の中、フロルが叫んだ。

 モアは今、まさに親子を引き裂こうとしていた。

「ウーレンの為ゆえ……」

 モアは頭を下げた。



 目がさめた。

 ウーレンの老獪な宰相は、夢の中でも常に冷静だった。

 だが、夢を見るということ事態、心に引っかかっていることの証だ。エーデムの心優しき者を、親子二代に渡って裏切ったのだから、やましくないほうがおかしいのだ。

 モアは従者を呼び、ベッドにお茶を運ばせる。

 ウーレンでも広がっているお茶は、モアの朝の日課となっていた。

 ウーレンの為ならば、どんな汚れ役でも引き受けてこそ、宰相といえる。それが、五十年以上もこの地位にいるモアの信念であった。


 かすかな蹄の音……。

 モアはおき上がると、窓から外を見た。そして微笑んだ。

 アルヴィラント皇子が、遠乗りに出かける。最近は、早起きして、赤沙地海岸までいくのだと聞く。それも、リラを伴にして……。

 汚れた血が混じっているとはいえ、リラは王族の血を引いている。

 アルヴィラントとは、歳も近い。皇子の持っているエーデムの血を抑え、ウーレン・レッドの子孫を作るにはちょうどいい娘だ。

 ウーレン王家は安泰するであろう。

 アルヴィラントが王位を継ぐことで、ウーレンの政局も落ち着き、旧第一リューマ地区の紛争も、小康状態に落ち着いている。そして、ウーレン主導のもと、魔の島の平和は保たれるだろう。

 モアは、希望に満ちたウーレンの未来予想に、目を細める。


 わしは……もう裏切るまい。

 アルヴィラント様の為に、残りわずかな命を捧げよう。



「なんだっていちいちあたしを誘うのさ! あたしゃ、リナに叱られるのはご免こうむりたいよ!」

「嘘をつけ! 本当は楽しいくせに……。それに、君は君、リナはリナじゃあないのかい?」

 アルヴィの言葉に、リラはカラカラと笑う。

「それはそうさ……。でも、わりに合わないお怒りは、買わないほうが利口ってもんだろ?」

 今度はアルヴィが笑った。

「心配ないよ! リナが恐れているのは、君が王妃になることだろ? 君がどんなに誘惑しても、俺は間違ったって、なびかないから……」

「へぇ? アルヴィはどんな女だったら、なびくんだい?」

 アルヴィは、ちょっとだけ考えこんだ。兄の横顔が浮かんだ。

「そうだな……。俺は、銀髪がいい。目は緑……」

「それじゃあ、エーデムだ」

「うん、エーデムの女がいい」

 リラは少し大人しくなった。

 なびかない……なんて、言い切ったから怒ったかな?

 アルヴィは少しだけ心配になり、リラの顔を覗きこんだ。

「それは……あたしを王妃にする以上に、リナもウーレンの国民も許さないだろうね。子供の血が、完全にエーデムに寄ってしまう」

 血筋がなんだといっていたわりに、リラは血を気にしているようだ。

 たぶん、血のことでかなり苦労してきたのに違いない。

 アルヴィがまじめな顔をしたので、再びリラは高笑いした。

「そうだ! 一番いいのはねぇ……あんた、リナ姫と結婚しな! あいつは王妃になりたがっているよ」

 あまりにきつい冗談に、アルヴィは落馬するところだった。



 母と引き裂かれたばかりの時は、さすがに反抗的で暗い顔をしていた皇子も、もともとの明るさを取り戻していた。あのリナ姫のことでさえ「義母上」と呼んでいる。時々「クソババァ!」と怒鳴っていることもあるが。

 かえって産みの母と離されたことが、アルヴィを成長させたのだろうか? 学問もまじめにするようになったと、先生たちも口々に言う。

 剣の腕も、弓も、かなり上達した。モアは遠目で見て、ギルトラントの姿をかいま見てしまうことがある。

 しかしながら、モアに気がつき、笑いかける笑顔は、母親のフロル似だった。

 いや……。

 エーデム王族の、あの男に似ている。モアは、血にまみれて横たわるアル・セルディンを思い出す。

 ウーレン王妃・フロルは、尊敬する父の名前から、アルヴィラントの名を付けた。

 セルディン公のおぞましい死に様に、アルヴィラントの姿が重なって、モアは、時々ぞくっとする。

 眠っている時に襲われる夢に比べ、モアにとっては、この空想のほうがはるかに悪夢だった。

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