馬丁の娘・2
赤沙地海岸は、馬で走ると気持ちがいい……。
父上は、よくそう言っていた。
だが、俺とセルディは、いつも嫌なことがあると、この海岸を走る。
だから、楽しかった思い出がない。
リラの乗馬は見事だった。
軽量のせいもあるだろうが、赤馬のサラマンドと並んで走っても、ひけをとらない。
「さすが、赤馬だね! でも、あんたもさすがだよ! まだガキなのにさぁ……」
しかし、口が悪すぎる。
「おい、俺をアンタ呼ばわりするな! 俺はガキでも皇子なんだぞ!」
リラはカラカラ笑った。よく笑う女だ。
「じゃあ、アルヴィラント様」
「アルヴィだ」
さらにリラは高らかに笑う。
「アルヴィ! あたしは運命なんざ、信じないよ! 運命なんてものは、自分で切り開いていくものさ! 血筋がなんだってんだ! あんたはあんた、あたしはあたしさぁ!」
軽快に走るリラの髪に、朝日が絡みついた。
まるで、ウーレン・レッドのように、赤く赤く燃え立って見えた。
何だか……こいつ、いいやつだな……。
アルヴィの心も、明るく燃え立つように、高揚した。
二人はすっかり時のたつのも忘れて、乗馬を楽しんだ。
さすがに、リラの馬が限界に近くなった。これ以上、走らせたらかわいそうだ。
二人は馬を並べて、にこやかに帰路についた。
厩舎にもうすぐというところで、思いがけない人影があった。
アルヴィは、目を疑った。
リナ姫が、仁王立ちで待ち伏せしていた。明らかに怒りをこらえきれない様子だ。
リラの顔がこわばった。
「なんだよ……。何かあるのか?」
リラの堅い表情に、思わずアルヴィは声をかけた。
何で、俺のことなんか気にしていないはずのババァが、こんなところにいるんだ?
まぁ、いいか……怒らしておけ……。
しかし、ことはそれでは終わらなかった。
突然、リナ姫は調教用の長鞭を取出すと、激しくリラを打ちつけた。
あまりの迫力に、リラの馬は直立にたち上がり、耐えきれずに横転した。
危うくリラは、馬の下敷きになるところだったが、さすがに機敏な少女はさらりと身をかわした。
「この淫売女め! よくも、よくも!」
リナの鞭は、さらにリラを打ちつけた。リラは腕をかざして、それに堪えた。
「このバ……、リナ様!」
慌てて、アルヴィは馬を下りると、リラとリナの間に割って入った。
厳しい鞭がアルヴィをも打って、あまりの痛さにアルヴィは声を上げそうだった。
「おどきなさい! アルヴィラント! この淫乱が、もうおまえに近づかないように教えこむんだ!」
なぜ、たかが馬丁と遠乗りに出かけたくらいで……。たしかに身分不相応かも知れないが。
「リナ様、俺が遠乗りに伴するように命令しただけだ! リラは命令に従っただけだ!」
アルヴィは、両手を広げてリラをかばった。
「おどきっていうのが、聞こえないのかい!」
「クッ、クッ、クッ……」
突拍子もない含み笑いを、リラがもらした。
アルヴィとリナが、呆気にとられているうちに、リラの笑い声は高くなり、やがてカラカラと笑った。
「所詮は、あんたの考えそうなことだ。あたしが皇子を誘惑して、王妃の座にでもつくとでも思っているんだろ? 残念だねぇ……。あたしゃ、ガキには興味がないから安心しな! あ・ね・う・え・様」
姉上様? リナとリラは姉妹? まさか!
アルヴィは思わずリナの顔を見た。
みるみるうちに、リナ姫の顔が、怒りのために真っ赤になった。
「ウィードは首だ! ウィードは首だ! おまえたち親子は追放だ!」
リラは、腕からにじんだ血をペロリとなめると、二頭の馬を持った。
そして、にやりと笑って、捨て台詞を残した。
「あんたができることなんざ、所詮はそんなところだろうさ」
リラが心配だった。
でも、それよりもリナ姫をどうにかなだめないと、本当にウィード親子を追放してしまいそうだった。
こんな時、セルディだったらどうするだろう?
「……
「だって、あの淫乱……、今、なんと言った?」
「
アルヴィは、顎が浮きそうなところを、必死にこらえた。
突然、リナ姫は上機嫌になった。
「おや、私を母と呼んでくれるなんて……。やっぱりおまえはいい子だねぇ」
リナの目がとろけそうになる。アルヴィは引きつった。
まさか、こんなに効果テキメンとは……。
リナは、俺に嫌われても気にしていないはずだったのでは?
「叩いて痛かったでしょう? ごめんねぇ……」
ぞくぞくと背筋に冷たいものが走った。
そう思いながらも、アルヴィは少しリナの気持ちもわかったような気がする。
本当はこの人、子供がほしかったんだなぁ……と。
「リラは、ウィードの娘だけど、それは建前。実際は、リナ姫の父・ベルラント・ウーレンの最後の子だと、誰もが知っています」
おしゃべり好きな召使いが、ベラベラと教えてくれる。
「ベルラント様は、ウーレンきっての遊び人でしたから、いろいろな女に子供を産ませています。晩年、うら若き平民の娘に手をつけて、認知する間もなく亡くなられた。ウィードはお人好しだから、幼馴染だったその女を、お腹の子供ごと引き取ったのです。まぁ、女の方は、産後が悪くて、すぐに亡くなりましたけれど……。リナ様とリラは、異母姉妹ということですが、まぁ……ひどい仲ですわ」
「なんで? 目の敵にして争うほど、リラは出しゃばっていないじゃないか」
アルヴィだって、リラの存在を知らなかった。
別に誰もが、リラを王族として扱っていないし、本人だってまるでその気がないようだ。
「……だってねぇ、リナ様に比べてリラのほうが王族っぽいでしょ? それに、恋敵で裏切り者だった別の異母妹にそっくりだし……」
召使いは、さらにペラペラ教えてくれた。
「今がどうだってことなら、誰だって気にしませんがね。誰もが、リラは何かやらかすと思っていますもの。なんせ、この世界は血筋が大事。どこで、立場が逆転することやら」
厩舎を再び訪れたのは、夕方だった。
洗い場に、セルディの馬を繋いで、リラがいた。
桶にいっぱいの水を張り、馬の脚を冷やしていた。
「エヘヘ……。やっぱり、無理させてしまったよ」
アルヴィに気がついて、リラは笑った。でも、元気のない笑い声だった。
「大丈夫、今朝の首切りの話なら、リナは忘れている」
「そんなこと……」
馬の脚をさすりながら、リラは涙ぐんでいた。
「泣くなよ……」
「泣いてなんかいない」
言葉とは裏腹に、リラは膝を抱えて顔を埋めた。
「行けよ。義母上に怒られるぞ」
アルヴィは、仕方がなく立ち去った。
翌日、セルディの黒馬が処分されたことを知った。
転倒した時に腰を打ち、脚にきてしまった。もう、走ることができなくなったのだ。
だから、リラは泣いていたのか……。
リラは、いったいいつからああやって、馬の脚を冷やしていたのだろう?
最後の最後まで、希望を捨てずに……。
アルヴィは、いつまでも馬の脚を冷やし続けるリラの姿を思い出していた。
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