馬丁の娘・1
ウーレンの大地に朝日が昇る。
こんなに早起きしたのは、セルディのために白カトラを摘みに行って以来だった。
いらいらして眠れなかった。
「ふざけるな! 俺が母と呼べる人はこの世に一人だけだ!」
アルヴィの怒りを、リナは高笑いで受け止めた。
「まぁ、いいでしょう……。あなたの意思なんて、どうでもいいことよ」
悔しいが、その通りだった。
あのババァは、王の母であればそれでいいのだ。むしろ、俺が怒り狂う姿を喜んでいる。
それでも、そうとわかってはいても、アルヴィは怒り狂うしかなかった。
サラマンドで遠乗りに行こう。赤沙地海岸にでも……。
そういえば、セルディも感情を押さえられない時は、遠乗りに出かけていった。
セルディ……どうしているのかな? 母上は……。
俺、家族を守るつもりだったのに、みんなでがんばるつもりだったのに……。
アルヴィは暗い気持ちになった。
誓ったのに……誓は果たせなかった。俺だけが取り残された。
まだ薄暗い中、アルヴィは厩舎に向かった。飼葉を食む音が響いている。
セルディの馬が、さみしそうにアルヴィを見ていた。こいつも置いていかれたんだ。
アルヴィはさらに暗い気持ちになって、自分の赤馬の馬房前まできた。
そこにサラマンドはいなかった。
「???」
アルヴィは慌てて馬場の方に回った。
朝靄の中、一頭の馬が運動していた。
誰かがサラマンドに乗っている? あれは俺の馬だぞ!
最近、ずっといらいらしていた。そのせいもあって、腹が立った。
「オイ!」
アルヴィは、馬の乗り手に、短くきつい声をかけた。
馬は軽快な速歩で巻乗りし、やがてこちらに向かってきた。
制止がぴったりと決まった。
鮮やかな手綱さばきに、一瞬、アルヴィは怒りを忘れるところだった。
「オイ! それは俺の馬だ! 誰の許可あって乗っているんだ!」
「誰の許可ぁ????」
馬上の人は、とぼけた声を上げた。思いのほか、可憐な声……女の子だ。
少女は、ヨシヨシと馬に愛撫すると、下馬した。
「持ち主がふて寝していて見向きもしない日が続いているから、あたしが運動させていたのさ。ちょいと、あんた! この馬を馬房で腐らせるつもりだったのかい? ガキにしては馬の扱いを心得ていると父が言っていたけれど、あたしにしてみりゃまだまだだね」
馬をひきながら近づいてきた少女は、赤褐色の髪と瞳、そして飾り毛を持っている。風で折れてしまいそうなほど、痩せてはいるが、身のこなしが機敏で鍛えられている。
どう見ても、王族の血をひいているらしい。しかし、アルヴィの知っている貴族に、この少女はいなかった。
「あんたは誰だ」
ふてくされた声で、アルヴィは聞いた。少女はアルヴィよりも若干背が高く、年上らしい。
「あたし? あたしは馬丁・ウィードの娘、リラ。あんたの馬の世話役さ」
ウィードの娘? そんなはずないだろう? ウィードは平民だし、妻も平民だ。
怪訝そうなアルヴィの顔を見て、リラはカラカラと笑った。
「あたしが、いかにもウーレン王族っぽいんで、驚いたんだろ? バカだな……。血なんて、時々はこんないたずらをするもんだよ」
血のいたずら……。血のいたずらなのか?
セルディが銀髪だったばかりに、いつも苦しんでいたのも、血のせい。
俺がウーレン・レッドの髪だったばかりに、置いてきぼりを食らったのも、血のせい。
再び沈みかけた気分をもてあまし気味のアルヴィに、リラは近づくと、いきなり鼻をつまんだ。
「!!! おい! 何するんだよ!」
真っ赤になって、アルヴィがその手を振り払うと、リラはさらにカラカラと笑う。
「あまりに坊ちゃんだから、おっかしくってさぁ! あたしゃ、やっぱりセルディーン様のほうが好きだったな」
「セルディを知っているの?」
「ああ……。だって、あんたたちが馬に乗る時、あたしがいつも馬を出していたんだよ。あんたったら、馬丁の顔なんざおぼえちゃいないだろうけれど、セルディーン様はいつも挨拶してくださった」
「ご、ごめん……」
アルヴィは恥ずかしさで真っ赤になった。
みんなが自分のためにしてくれることは、すべて当たり前に思っていた。それに比べて、セルディは、下々の者にまで感謝の気持ちを忘れていない。
セルディは、本当によくできた生粋の皇子だった。
なのに、どうして……?
「みんな、君みたいにセルディのこと、好きになってくれたらよかったのに……」
突然、リラは不思議そうな顔をした。
そして、馬を洗い場までひきながら、ぽつりといった。
「それは無理というもんだ」
アルヴィは驚いて、リラの後をついて行った。
「なぜ?」
「だって、セルディーン様はエーデム族だ」
「でも、母だってエーデム族だった。なぜ?」
サラマンドを洗い場に繋いで、リラは鞍の下にうっすらと浮かんだ汗を拭いた。
「だって……セルディーン様は第一皇子だ……」
「それが、何!」
リラは溜息をつくと、仕事を中断してアルヴィの顔を見た。
「あのね……。みんな……セルディーン様を嫌っていたわけではないんだよ。次期ウーレン王に、エーデム族がなることを嫌っていたのさ」
銀の髪・緑の瞳……。柔らかな眼差し。
そのようなよそ者を、王として認めるウーレン人がいるだろうか? いるわけがない。
ウーレンの王は、ウーレン・レッドの印を持つ者こそ、ふさわしいのだ。
アルヴィは、頭を殴られたような衝撃を覚えた。
セルディを好きだといってくれたリラでさえ、セルディを認めてはくれない。
運命はなんて残酷なんだろう?
もしも、セルディがウーレン・レッドで、俺が銀髪であったなら、すべてはうまくいっていたのに。
セルディのことを、誰もが、父上を継ぐ者として認めただろう。
運命を変えられなくても、俺たちを取り上げた産婆が、少しだけ、機転を利かせればよかったのだ。
セルディよりも、わずか三十分遅く生まれた俺を、第一皇子と偽ればよかったのだ。そうすれば、出来のいい第二皇子として、たとえ銀髪でも、セルディは愛されただろうに。
「嫌だな……。何暗くなっているのさ! あたしゃ、本当のことを言っただけだよ。あ、本当のことだから落ちこんでいるのか?」
肩に手を掛けられて、アルヴィは頭を上げた。リラがじっとアルヴィの瞳を覗いている。
燃える炎の、ウーレンの瞳。リラの瞳は、澄みきっていて、強い意思が感じられた。
馬丁の娘とは思えない堂々とした眼差しに、アルヴィは圧倒される。
「なぁ、あんた、遠乗りに行こうと思ったんだろ? あたしも行っていいかな? セルディーン様の馬、乗り足りていないから、少し走らせたいんだ……」
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