養子


 エーデム王がウーレンをあわただしく出発した朝、モアのもとに鎧に身を固めた女が飛び込んで来た。

「宰相! これはいったい、いかがなこと!」

 ひどい剣幕のリナ・ウーレンだった。


「王妃は、エーデム恋しさに兄と行動をともにしたのでありましょう。あなたが常日頃、言っていた通りになっただけのことでございます」

 落ち着き払ったモアの言葉が、終わるか終わらぬかのうちに、リナは、槍でモアの横にあった陶器壷を叩き割った。本当は、モアの頭を叩き割りたかったところだ。

「この古狸めが! 私に力を貸すふりをして、王妃を逃がしたわね!」

 ウーレンらしい特徴がないリナ姫だったが、この時ばかりは、怒りのせいで目が血走って赤かった。

「よいではないですか。戦わずして、このウーレンはあなたのものとなったのですから」

 モアは従者を呼ぶと、割れて粉々になった壷を始末させた。

「冗談ではない! 私のウーレンの血が収まらぬわ!」

 リナの怒鳴り声に、壷を片付けていた従者も震え上がり、そそくさと退室した。

「リナ様、国を治めるに個人的な感情は、むしろ邪魔になるものです」

 モアはしゃがみこむと、壷の破片を丁寧に拾った。

「あなた様は、感情のままに壷を粉々になさった。そして、感情のままに怒鳴り、従者をおびえさせた。その結果、壷の破片は散らばったままじゃ……。国の統治も同じ事」

「そなたの屁理屈など、聞く耳も持たぬわ!」

 リナは、槍の矛先をモアに向けた。

 モアは、真顔になってリナを睨んだ。

「では、これは独り言じゃ。ギルトラント様がお隠れあそばした今、第一リューマの紛争は、なんとする?」

「我国最強の騎馬軍団がおるであろう!」

「将を失ってあたふたしておるわ! では、統一リューマのいざこざはなんと?」

「他国のお家騒動ごときは、知らぬ!」

「このままでは、ウーレンに敵対する元・第二リューマ出身の族長が選出される。そこにフロル様幽閉となれば、エーデムリングの力を持つ、エーデムまでも敵に回すことになる」

 さすがのリナもたじろいだ。もともと権力欲は充分あるが、政治には疎い。

 ただ、贅沢と権威のみが、リナ姫の望みだったのだ。

「残念ながら、あなた様はウーレン・レッドの髪も、瞳も、飾り毛さえも持たぬ王族。その上、濃い血を持ちながら、子をなしておらぬ」

「私を侮辱するか!」

 リナの怒りは再び燃え上がった。

 最初の婚約者は亡くなり、次の婚約者は……ギルトラントだったが、折り合い悪く、一緒になることはなかった。

 今となっては、ふさわしい相手もなく、独身を通している。

「ウーレンド・ウーレンしかり、ジェスカ・ウーレンしかり、ギルトラント・ウーレンしかり……。ウーレンの民は、象徴的なウーレン・レッドの王をいただいてこそ、ひとつにまとまるのです。そして、他国もウーレン・レッドゆえに、ウーレンを恐れる。あなた様は、ウーレン・レッドを利用すればよいのです」

「……? 意味がわからぬ……」

 リナは、不機嫌そうに椅子にドカッと腰を下ろした。

「アルヴィラント様を拘束しております」

「アルヴィラントを?」

 リナは眉をひそめた。まったくモアの考えがわからない。

「アルヴィラント様は、ウーレン・レッドの皇子。国民はよろこんで王に迎えるでしょう。ギルトラント様の息子となれば、他国にも睨みが効く。それに、エーデムとの同盟も、母がエーデムの姫とあれば、ますます深まります」

「そして、私はどうなるのだ?」

 いらいらして、リナ姫は質問した。

「ウーレンには、王たるものが十五才になるまでは、親が摂政として王政をになう慣例があります。その場合、十五才になって王位についても、王母には強い権限が残ります。つまり……」

 リナの目が、見開かれた。やっと、モアの思惑が見えてきたのだ。

「私に、アルヴィラントを養子として迎えよと?」

 モアは大きくうなずいた。


 しばらく考えこんでいたリナ姫だったが、やがてくすっと笑った。

 そして椅子がひっくり返るかと思われるほど、カラカラと高笑いをした。

「それは、傑作だわ! あの子が私になつくかしら? でも、私は、あの子を結構気に入っているのよ。アハハハ……。あの子に私を母と呼ばせて、フロルの顔を見てみたいわ!」

 リナはやっぱり女だった。

 王という地位は捨てがたいが、それよりも何よりも、謀反はフロルに対する対抗心だった。

「いいわ……。今日から、アルヴィラントは私の息子です。五年後、あの子が王位につくのです。そのことを、内外に発表しなさい。とくにエーデムには大々的にね」

 宰相・モアは、一歩下がって胸に手を当て、王母に敬意を表した。


 そのような大人の話などまったく知らず、アルヴィは隣の部屋で眠っていた。

 悪夢がアルヴィを襲っていた。

 優しい母が、馬車で遠ざかって行く……。

 何度叫んでも、走っても、アルヴィは母に届かなかった。


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