中庭


 エーデムの首都・イズーは、エーデムリングの結界に守られた平和な都である。

 整然としたジェスカヤの、どこか冷たい雰囲気とはまったく正反対の、賑やかな街だった。

 通りを進む王の馬車も、街行く人たちには特に知らされていないらしく、市民はさっと道をよけて馬車を見送った。中には興味本位で、馬車の後をつける者さえ現われて、セルディは目を丸くした。

 エーデムの王族は、滅多に外に出ることはない。だから、人々は一目でも尊い王族を見たがるのだ。

 ウーレンの王族は逆だ。何かと人前に姿を現し、しかも無礼打ちまで許されているので、人々は無礼のないよう、気を遣う。恐れて隠れたり、一斉に歓声を上げたりと、とにかく一糸乱れぬ行動をとる。


 父上の凱旋パレードや、出兵のお見送りとは、なんと違うことなのだろう?

 これが、エーデムの民なのか? 


 息を切らしながら馬車を追いかけてきた少女が、どこかで摘んできた野花を必死で渡そうとしている。

 セルディが思わず手を伸ばして受け取ると、少女は紅潮した顔満面に微笑んで見せた。

 馬車は止まらず城を目指し、花を渡して安心し、道端にぺたりと座りこんだ少女の姿も、やがて見えなくなった。

 花を受け取ってきょとんとしているセルディに、エーデム王は微笑んだ。

「エーデムの民からの贈り物だ。受け取るがよかろう」


 扇型に広がるイズーの要の位置に、イズー城がある。

 平和なはずのエーデムに似合わない城塞だ。焼き固められた砂煉瓦で造られたジェスカヤの王宮とは、対象的でもあった。石造りで重々しい。セルディは息を呑んだ。

 昔、戦争があった。

 古代の力に守られているとはいえ、この地が常に平和でないことは明らかだ。

 この城を、エーデムがウーレンの手から取り戻したのは、わずか十五年前のことである。

 かつて、この城を支配していたのは、ウーレン第一皇子のシーアラントだった。彼の名にちなんで、この地はシーアと呼ばれていた時代もある。

 この城で行われた残虐行為のあとは、みじんもない。エーデム族が、清め尽くしたのだ。

 狂気の第一皇子を倒し、第二皇子である父が、王位に就いた。父は、この地をエーデム族に返還し、力による支配よりも同盟の道を選んだ。

 そして、同盟の証として、母との結婚を敢行したのだ。

 高い天井の回廊を歩きながら、セルディはきょろきょろとあたりを見渡していた。

 それに比べて、母のフロルは、故郷に帰ってきて安心したのか、少しだけ顔が緩んでいた。

 やはり母は、エーデムの姫なのだ。

 

 ここにきて、ウーレンの事が気になる。アルヴィが心配だ。今後の動向も……。

 アルヴィの、屈託のない笑顔が思い起こされる。

 底無しに明るい優しい弟。彼は今、どうしているのか?

 裏切り者とはいえ、ウーレンの国益を第一優先するモアのこと、ウーレン皇子にひどい扱いをすることはないだろう。だが、ウーレンにはリナ姫がいる。


 赤い砂の大地。渡る風。疾走する馬……。

 太陽が真っ赤に燃えながら沈む国……。


 セルディは、自分でも驚いていた。

 長い間、異国と思っていたウーレンが、ここに至ってはなつかしく思い出される。

 いつも僕は苦しかった。あの国で、異邦人だった。

 でも……。

 もしかしたら、アルヴィと過ごした毎日が、本当は幸せな日々といえたのではないか?

「俺はいつも味方だ」

 そう言い切ってはばからない者が、これから僕の前に現われることがあるのだろうか?

 イズー城の石の回廊は、セルディの足までも重くした。

 



 セリスが新しい家族を紹介するにあたって中庭を選んだのは、重苦しい城の空気にセルディが緊張していると感じたからか? それとも、数々の難しい外交を、この場所で成功させてきた実績のためか?

 いずれにしても、イズーの中庭が心安らかに談笑できる場所である事は、間違いない事実である。


 疲れ果てていたせいだろう。

 昨夜、セルディは死んだように寝て、寝返りも打たなかった。体が痛い。

 一夜明けても、相変わらずふさぎこんでいる母の姿に、夢であってほしかった事実が、真実であることを実感する。

 

 中庭には席が設けられていた。

 見事なまでに晴れ渡った、すばらしい朝である。

 朝食の香が花の香と一体となって、漂っていた。

 花・花・花の中、銀の衣装に身を包んだエーデム王・セリスが微笑んでいる。

「私の家族を紹介しよう。我が王妃・エレナ、王子・ラベルとリーズ、それと……」

 セリスの言葉が途切れた。

「エレナ、シリアはどうした?」

 王妃は申し訳なさそうに答えた。

「……あの子は……あの、夢見が悪かったと申しまして……」

 セリスの顔が曇った。エレナは、その表情を見て頭を下げた。

「よい。それはあなたのせいではない。あの子の強情さは、私も知るところだ」


 王子・ラベルとリーズは双子だった。

 本来、純血種の魔族は排卵期間が長いらしく、五年に一度ほどしか子をなさない。

 それでも、古代長命な時代は何の問題もなかったが、今のようにかなり寿命も短くなった時代、王族の血筋は危機的な状況にある。

 セリスが平民の妻を迎えた時、王族の血の危機を訴える者もたしかにいたが、エレナは短期間に三人もの子供を産むことで、その不満を払拭した。

 双子とはいえ、セルディとアルヴィがあまりに違う容姿なのに、ラベルとリーズはうりふたつだった。

 セルディににっこり微笑むと、軽く会釈をする。

 その行動、一つ一つまでもが鏡写しに一緒で、セルディには気持ちが悪いほどだった。

 そして、兄弟はセルディよりも一才年上ということだが、すでにエーデムリングに属する証・銀角が生えていた。

 王妃・エレナは、美しい金髪とすらりとした長身であるが、それ以外はこれといった印象に薄く、どこにでもいそうな女性に見えた。エーデム王が非常に印象的なので、余計に平凡に見える。

 どこか自信のなさそうな、はかなげな姿も、伯父上のイメージからすると物足りない。

 抜け目なさそうな伯父上が、わざわざ平民からこのような女性を選ぶとは、何か意味があるのだろうか?

 セルディは、不思議に思った。

 しかし、フロルはエレナと仲がよかったらしく、若干微笑みをもらすこともしばしばだった。相変わらず、兄・セリスの顔は、見ないようにしているようだが……。


 朝食は、美味しかった。

 だが、肉料理がない。セルディは、エーデム王族が肉を食べないという事を、本で読んだことがあった。

 エーデムは、もともと血を嫌う魔族だ。

 今のエーデム族は、あまりこだわらず食肉するが、古代からの血を引き継ぐ王族は、しきたりを守っているようだ。

「あなたは叔母様によく似ていますね。私たちは友人になれそうですね」

 ラベルのほうが積極的な性格なのだろうか? 先に話しかけてきた。

「友人よりも、私たちは兄弟になれそうですね。私たちを、兄のように思ってくださっていいのですよ」

 リーズが言葉を付け足した。

「ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします」

 セルディの言葉に、エーデム王も微笑み、お茶を傾けた。


 お茶は、ここ数年で魔族の間に広がった飲み物である。

 もともとは、放浪の王子・セラファン・エーデムが、人間の島より持ちかえった習慣である。

 ウーレンでも茶は飲むが、ここは本場なのだ。

 セルディもカップを空けてほっとする。

 ふっと、庭の美しい花々の中に、見覚えのある花を見つけた。

「あれは……あれは白カトラの花だ」

「そうです。この中庭には、魔の島のあらゆる花が植えられているのです」

 セリスが誇らしげに答えた。

 でも……白カトラは、朝しかその美しい姿を見せない。

 朝とはいえ、こんなに日が上がっているというのに……。

「エーデムの庭師たちは、研究熱心です。あの白カトラは品種改良されて、今は一日中咲いています」


 エーデムの重厚な城の中庭に、一日中咲き乱れる白カトラ。

 だが、本当の白カトラは、ウーレンの荒れた大地で風を避けるように寄り添いあい、日が昇りはじめたわずかな時間だけ一斉に咲く、はかない花なのだ。

 人に守られて咲く白カトラは、美しいけれども偽者だ。

 セルディは、なぜかそう感じた。

 あの日……朝が苦手なアルヴィが早起きして、駿馬を走らせ、摘んできた花。

 異国の血を持つ弟。真っ赤な髪を持つ弟。

 たとえ容姿は、新しい兄たちのほうが似ているとしても、それは偽者だ。

 僕の兄弟は、アルヴィラントだけだ……。

 セルディは、その気持ちを押し隠した。

 自分を家族として受け入れてくれようとしているエーデムの一家に、あまりにも失礼だと思った。


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