第二十六話 天女とは?
気がつくと、僕とエディルは別世界にいた。
どうやらそこは小さな港のようだ。エメラルドグリーンの海が茫洋と広がり、白い帆を張った黒緑色のフリゲート艦のような船が何隻か浮かんでいる。港は白いコンクリートのような素材でできており、浜辺の白い砂浜とつながっている。その光景はどことなく天磐船の発着場を思い起こさせた。
――ここは、どこかの孤島だろうか? どうやら僕たちは港の上空に、浮かんでいるようだけど……。
隣にいるエディルに目配せする。エディルはちょっと肩をすくめ、「私にもわからない」というような仕草をした。
仕方ない。とりあえず、港の様子を見てみよう。
僕は港の様子をじっと見つめる。すると、ポートエリアの白いコンクリートの上に、一人の人間の少女が横たわっているのが見えた。――髪の毛は短めで、その顔は異国を思わせるような、堀の深い美しい顔立ちをしている。
……気絶しているのだろうか?
僕が、「おい、あれ……」とつぶやいた瞬間、少女のそばに、一匹のネコ――のような、真っ白な生き物が近づいてきた。
その動物は、少女のすぐそばまで来ると、ミャアウ、と一声鳴いた。すると、少女の身体が淡く輝き出し、宙に浮きあがった。小さな生き物は、何本も生えている尻尾を、どうやったのかゴムのようにグーンと伸ばし、尾を少女の体に巻きつけ、その全身を覆った。
すると、その巻きついた尻尾のすきまから虹色の光が漏れ出てきた。それと同時に、中にいる少女の甲高い悲鳴が周囲に響き渡る。それから数十秒後、尾は少女の身体から外れ、その中から、全身に黄金のリボンが植物の根のようにからみついた美しい少女が出てきた。
――その緑色の目。深緑色の髪。肌の色こそ違うものの、覚醒したエディルとうり二つの少女だ。少女は地上に降りたつと、不気味にほほ笑み、胸元に浮きあがった金色の宝玉をそっと手でなでた。すると、少女の目の前の小さな生き物も、薄っすらと笑った。
「体の具合はどうですか? ソァレル」
――共通語だ。動物が、共通語を話している。
僕が唖然としていると、ソァレル、と呼ばれた少女は、「ええ、問題ありません。ヘレネ様」と答え、うやうやしく
――ヘレネ……ヘレネって確か――センパイたちやミグシャが言っていた秩序神のことだっけ……?
僕は必死に記憶をたぐり寄せながら、ヘレネと呼ばれたネコの方を見た。ネコは美しい微笑をたたえて話し出す。
「あなたの遺伝子を組み替えた上で、私の『マナ』を、あなたの子宮に植え付けました。……つまりあなたは私の子供、というわけです。最初の『天女』、ソァレルよ」
僕はその瞬間、思わずあっと声を上げそうになった。
最初の『天女』ソァレルだって⁉ しかもあの子の体の中に、秩序神ヘレネの『マナ』……ってやつが――⁉
少女ソァレルは垂れていた頭をゆっくりと上にあげると、白い歯を見せてニヤリと笑った。
「今はヘレネ様の植物型細胞がこの身に息づいているのを感じます。この肉体は、非常に私になじんでいる。……しかし完全に私のものではないようですね。まだいけにえの少女ソァレルの意識が残っている」
「私はただ、『私』という魂を注入してあなたの中に『
猫ヘレネは優しくソァレルをたしなめる。ソァレルは薄目でヘレネを見据えると、「つまり、ヘレネ様は私を生かして利用したいのですね?」と言って怪しく目を輝かせ、口の端を吊り上げた。
「話が早くて助かります。そう、私はあなたといういけにえをブリエ星の氷鬼たちの手で献上させた。この『狂夢宇宙』に、召喚できる肉の器が欲しかったのです。それがソァレル、あなたでした。私があなたの肉体を改良したのは、私の『分身』を増やしてほしいからです。それも、屈強な戦士を」
ヘレネがそう言ってほくそ笑むと、ソァレルはふふ、と邪悪に笑った。
「要は私に、この宇宙じゅうの優秀な遺伝子を集めて、子供を産めと仰せなのですね」
「……その通りです。そのための準備は、もうできています。あなたの子宮内にある『羽衣』は、あなたと交わったオスの生殖細胞内の遺伝子を操作し、子供の性別まで自由に産み分けることができる」
「性別を……? 自由に?」とソァレルが不思議そうな顔をすると、ヘレネは軽くうなずいた。
「……とは言え、この羽衣はメスだけに受け継がれる特殊エナジーです。ですから子供を産むときは女の子を産むことを勧めます」
ソァレルはしばらく考える仕草をしていたが、やがてゆっくりとかぶりを振ると、ヘレネの顔をじっと見つめた。
「何です?」
「なぜ産み分けを私に任せるのです? いっそのこと女だけを生むよう『設定』なさればいいでしょう?」
ソァレルの言葉に、ヘレネは少し心外そうな顔で、「そんなことをするわけがないでしょう」と答える。
「……なぜです?」
「私は原則として、私に従うもルシファーに従うも、あなたたちの自由意思に任せています。私は強制的な秩序は求めない。秩序とは縛るものではないからです。あなたが私を助けたいと思うか、そうでないか。命を懸けたいか、懸けたくないか。つまり、最終的な選択をするのは――あなた自身なのです」
ヘレネの言葉に、少女ソァレルはしばらくあっけにとられた顔をしていたが、やがてけらけらと笑い始めた。ヘレネは怪訝そうに顔をしかめる。
「何がおかしいのです?」
「あっははははは……! ほとんどの選択肢を封じておいて、自由意思ですって⁉ 縛るのはいや? じゅうぶん縛ってるじゃない!」
「……」
ヘレネは暗い顔で沈黙する。ソァレルは続けた。
「あなたがそうなるように仕組んだんでしょう? この世界を『秩序』という名のくさびで縛って、宇宙をあなたの
ソァレルはひとしきり笑い転げたが、ヘレネは無表情のまま、彼女の様子をじっと静観していた。僕は若干はらはらしながらその光景を見つめる。
――な、なんだかソァレルの様子が変だぞ。さっきまでヘレネに服従してたっぽいのに……。
「――うふふ」
ヘレネが、口を歪める。ソァレルの笑いが止まる。
「よかったわあ。あなたがまともで」
「? なにを――」
開きかけたソァレルの口が、次の言葉を発する前に、少女の身体がふっ飛んだ。今、何が起こったのか僕には全く分からないが、ヘレネの尻尾がかすかに揺れているところを見ると、ソァレルの顔を尾でたたいたようだ。猫ヘレネは平然と笑っている。
「私の分身だからもうちょっと悪い子かと思っていましたが、あなたはなかなかかしこそうでなによりです。私は頭の良い子は好きですよ? 誰が一番強くて偉いのかちゃんとわかっていますものね」
ヘレネはそう言うと、尻尾を再びゴムのように伸ばし、それでソァレルの割れた額をなでた。ヘレネの尻尾は額から流れ出る血をふきとるように、その血をきれいに吸い取った。すると、額の傷口がきれいに癒え、あっと言う間に、ソァレルの白い額に戻る。
「ああ、よかった。あなたのような優秀な子ができて。私に似ていないか少し心配だったけど、あなたなら私の気持ちをわかってくれますね」
ヘレネは言いながら、ソァレルの身体にぐるぐると尾をまきつけた。ソァレルは逆らえないようで、無言のまま嫌悪の表情でヘレネを見つめている。
「ああ、愛しい子……。愛しくて愛しくて壊したくなるくらい」
ソァレルにまきついたヘレネの尾に力が加わる。その力のあまりの凄まじさに、ソァレルの身体の骨がぼきぼきと鳴っている。彼女の顔色はどんどんどす黒くなり、ついに口から泡をふきだして、舌が出た。ごきごきと、全身の骨がつぶされていく。口が、パクパクと、苦しそうに動く。
……なんだ? こいつは――! このままじゃあの子が……!
全身が総毛立ったまま、僕は「やめろ……!」とつぶやいた。
「やめろ! ヘレネ、やめてくれ!」
僕は自分でも知らないうちに、手足を掻いて必死にヘレネに近付こうとした。
早く助けないと……!
しかし、エディルは後ろから僕の腕に手を回し、耳元で叫ぶ。
「ケイ、落ち着け! これは記憶だ! 見聞録の『記憶』なんだ!」
「でも……!」
僕はとっさに反論しようとしたが、エディルの、「見ろ……!」という声に、思わず足元の光景を見つめた。
ヘレネはソァレルに尻尾を巻きつけたまま、「あら、いけない。内臓をつぶしてしまったわ」とつぶやき、何やらぼそぼそと呪文のような言葉を唱えた。すると、ソァレルの骨が再びごきごきと音を立てて、元の位置に戻る音がした。どうやら、ヘレネはまたもやあっと言う間に怪我を完治させたようだ。ソァレルの顔色も回復している。ソァレルは地面から起き上がり、よろよろと立ち上がると、相当痛かったのか、涙目でヘレネをにらみつけた。
「さあ、おいきなさい。ソァレル。私があなたにできるのはここまでです。あとは、あなたの意志のまま、なすべきことをしなさい」
ヘレネはソァレルの怯えた表情にも顔色一つ変えずに、何本もの尻尾で、空中に円を描いた。すると、空中にぽっかりと真っ黒な『穴』が開き、そこに風が吹き込んでいくのがわかった。
これが――ひょっとしてミグシャの言っていた、『神の目』ってやつか……?
「ああ、そこから出た先はちょうど、惑星ブリエとエリュシオンの周辺宇宙のようですね。では、気を付けて。私の可愛い、子猫ちゃん」
ヘレネがそうつぶやくと、刹那、ものすごい突風があたりを襲い、ソァレルと一緒に、僕らは『神の目』の中に吸い込まれてしまった――。
女神の騎士~キング・ラギニの冒険〜 古座とも @huruzatomo
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