【短編】マッドサイエンティストは女体化薬の夢を見るか

金屋かつひさ

マッドサイエンティストは女体化薬の夢を見るか

ひろし、ちょっと来い! ついに完成したぞ!」


 研究室からおやじが俺を呼んでいる。

 完成? またどうせろくなものじゃないだろうに。


「なんだよ。今部活終わって帰ったばかりで疲れてんだけど」


 あーあ、めんどくさい。でも無視するわけにもいかない。なので俺は高校の制服のままおやじの研究室(自称)に足を踏み入れた。


 あちこち焦げあとのある壁。あっちにはピカピカ光る機械群、こっちには怪しげな液体の入った三角フラスコがずらり。そんでもって向こうには得体えたいの知れない触手っぽい何かまで。正直、まともな人間が入るような所じゃない。


 そして部屋の真ん中で試験管を持ってうれしそうにしているボサボサ髪で瓶底めがねに白衣の男。どう見てもマッドサイエンティストにしか見えない。そいつが俺のおやじだ。


 いや、“マッドサイエンティストにしか見えない”じゃない。おやじは正真正銘マッドサイエンティストなんだ。家のことなんかほっぽり出して年中何か発明してる。どれも俺からしたらガラクタばかり。当然金は入ってこないし、挙げ句の果てにお袋は数年前に愛想あいそを尽かして出て行った。


「浩、見ろこれを。ついにすべての男性の夢が実現するのだ!」


 おやじは満面の笑み。不機嫌そうな俺の顔には目もくれない。で、手にした試験管を俺の前に突き出した。中にはピンクっぽい液体が。


「はあ? 『すべての男性の夢』? これが?」

「そうだ。これまでの研究はすべてこいつを作り出すためにあったと言っても過言かごんじゃない。どうだ、知りたいか」

「いや、別に」


 ばっさり切る。長居は無用。俺は興味なさげに右手をひらひらさせて体をくるっと反転。一直線に部屋のドアに向かって歩き出す。

 と、おやじが俺の手首をつかんで引き戻しやがった。


「いやいや、そう言うなよ。おまえだってこれが何なのか知れば『すげえ!』って言うに決まってる」


 あんたの発明を見て俺が「すげえ!」って言ったことなんか一度もないんですけど。


「はいはい、わかったわかった。で、今度は何?」

「いいか、聞いて驚くなよ。なんとこれは……」


 いちいち“ため”を入れるなよ。さっさと言えばいいのに。


「“にょたいかぐすり”だ!」


 はあ?


「ええっと、“にょたい”……。何だって?」

「“女体化薬”だ。文字通り男がこれを飲むと肉体が完全に女になる。しかも自分が一番好みな姿にな。どうだ、すごいだろ!」

「いや、別に」


 俺は再び体を反転させた。つき合ってられねえ。


「待て待て。興味ないはずないだろ」

「いや、興味ないね。俺に“そっち”のはないし。女になりたいなんて思ったことないし」


 キッパリ拒絶。サッサと退散。これ以上ここにいたら碌なことになりそうにない。


 ところがおやじは俺の耳先に顔をにゅうっと近づけやがったんだ。息が臭い。


「まあそう言うな。ところで浩、おまえ、リアル“なまちち”を見たことあるか?」

「えっ……」


 足がピタリと止まる。「なま乳」のひと言でだ、我ながら情けねえ。


「“なましり”でもいいぞ。どうだ。見たこと、触ったことあるか?」


 いったい何を言い出すつもりだ。


「な、ないけど……」

「だろうな。じゃあ、見たり触りたいと思ったことは?」

「そ、そりゃまあ……。男だからな」

「だろう? しかし実際に見たり触ったりするには女の子とおつき合いしなきゃならない。経験は?」

「な、ないけど……」

「だと思った。そして女の子とおつき合いせずに“なま乳”や“なま尻”を拝もうと思ったら、残る手段は“力ずく”だ。しかしそいつは犯罪。許されることじゃない」

「当然じゃねえか」

「つまりおまえのような非モテ野郎が合法的に“なま乳”や“なま尻”を拝むのは不可能なわけだ……。これまではな」


 実の息子に向かって「非モテ野郎」と言いやがったぞ。泣いていいですか。


 えっ、ちょっと待て。「これまでは」って言ったよな?


「どういうことだ」

「決まってるじゃないか。これからはこの“女体化薬”があるんだからな」


 ニヤリと笑うおやじ。目の前で揺れる試験管。ピンクの液体。その瞬間、俺はすべてを理解した。


「まさか……」

「そう、その『まさか』だ。この薬で自分が女になれば、乳でも尻でも見放題触り放題。もちろんもっと違う箇所も」


 思わず試験管を奪い取った。これを、これを飲みさえすれば雑誌やスマホでしか見たことがないものが手に入るんだ。もちろん合法。だれにも迷惑掛けない。


「これ、苦しくなったり元に戻れなくなったりしないだろうな」

「安心しろ。変身する時にちょっとドキドキするが苦痛はないはずだ。それに15分もすれば薬が切れて元に戻るはずだ」

「『はずだ』って……。試してないのかよ」

「当たり前だ。さっきできたばかりだからな」


 ふんぞり返って言うことかよ。不安しかねえ。


 しかしどんな不安も“なま乳”の魅力にはかなわない。ええい、大丈夫。なんたってこの薬のことを知り尽くしたおやじがそばにいるんだからな。何かあってもなんとかしてくれる、だろう。……多分。


 試験管に入った薬をじっと見つめた。そして目をつぶるとグイッと一気に飲み干した。


「あっ、全部飲みやがった」

「えっ、もしかしてヤバかった?」

「いや、量の問題じゃない。ただ……、薬はそれで全部だったからな」


 おやじは残念そうに試験管をのぞき込んでる。ケチケチすんなよ。また作ればいいだけだろ。


 しばらくは何も起こらなかった。だがそいつは突然やって来た。まるで体全体が心臓になったかのように“ドクン”という鼓動が全身を走った。2度、そして3度。間隔が次第に短くなる。視界がぼやける。体の中で何かが渦を巻いている。思わずその場にしゃがみ込んだ。


 やがて鼓動は小さくなり消えた。変身はどうなった? 成功したのか?


「浩、姿見を持ってきてやったぞ。顔を上げてみろ」


 おやじの声にうれしさがにじみ出てる。成功したようだ。しかしどんな姿だろう。確か「一番好みな姿に」って言ってたよな。

 恐る恐る顔を上げる。目の前の鏡の中には……。


 美少女がいた。


 亜麻色の髪は長く、ゆったりと背中へ流れている。両の目は大きく、やわらかな輪郭がほほを縁取っている。幼さの残る顔つき。スッと通った小さめの鼻。その下には同じく小さめのとんがった唇。思わず吸い寄せられそうだ。小さなあごに続く細い首の下には……、って、おっと残念。高校の制服着たままだった。もちろん男物。


「マジかよ……」


 思わず声が漏れる。男のではない。美少女にふさわしい、かわいい声だ。


 立ち上がってみる。制服がダブダブだ。体が小さくなったのか。体を左右にひねって横や後ろのほうも覗き込む。体が小さくなったはずなのに胸とお尻にだけ大きさを感じる。


 そこにおやじが後ろから音もなく近寄ってきた。そして耳元でこう言ったんだ。


「脱げ」


 ええっ、いきなり何を言い出すんだよ。


「いいからさっさと脱げ。でないとどんな体になったのか分かんねえだろ。それにおまえ自身、いろいろ確認したいんじゃないのか」


 にやついた顔、なめるような目つき。なんだよ、結局てめえが見たいんじゃねえかよ。


 でもまあ、おやじの言うことももっともだ。なんたって念願の“なま乳”を拝めるんだからな。俺は表情だけは不服そうに、内心ではワクワクしながらまずブレザーを脱いだ。


 肩から滑り落ちるブレザー。現れる白いシャツ。普段より輝いて見えるのは気のせいか。中央にネクタイ。そいつを持ち上げるはっきりとした“膨らみ”。

 他の女子で見慣れた光景なはずなのに、なぜかもう十分にエロい。


「ほほう……」


 感心したかのようなおやじの声を無視して、次を脱ごうとしてはたと手が止まる。

 シャツとスラックス、どっちを先に脱いだらいいのか分からない。


 少し考えてスラックスを脱ぎにかかった。ボクサーパンツの下に“なまあし”が現れた。白い肌。心なしかいい香り。思わず目をそらす。鏡に2本の太ももが映ってる。普段学校で見るのとは違う。そいつはスカートじゃなくパンツからじかに伸びているんだ。


 “恥ずかしい”


 予想外の感情が押し寄せてきた。目をつぶって一気にスラックスを脱ぐ。シャツのボタンに手をかける。1、2個外したところで薄目を開けて鏡を見た。


 上半身にシャツとネクタイだけの美少女が、体をくねらせて恥ずかしそうにシャツのボタンに手を掛けていた。


 “エロい”と“恥ずかしい”という感情が同時に来た。ボクサーパンツはシャツにうまく隠れてまるで“履いてない”かのよう。もうだめだ。こんな時間、一刻も早く終わらせたい。俺は鏡を見ないようにして大急ぎで残りのボタンを外すとシャツを脱ぎ、そのまま一気に上のインナーをも脱ぎ去った。


 パンツに手をかけたところでふと我に返る。鏡の中では上半身裸の美少女が前屈みでお尻を突き出しパンツを脱ごうとしていた。恥じらいのある上目がちな表情。胸にふたつの大きな膨らみ。思わず目線を下に向ける。念願の“なま乳”がそこにあった。


 思わず手が止まる。体が硬直する。初めて見る“なま乳”のためだけじゃない。なんだか急に“脱いではいけない”ような気がしたんだ。


「おい浩、どうした。なにモジモジしてんだ」


 おやじのゲスい言葉も耳に入らない。どうする? これを脱げばすべてが明らかになる。だから脱がなきゃ。でも脱ぎたくない。“恥ずかしい”とかじゃない。現実を突きつけられるのが怖い。


「いいからさっさと脱げ」


 後ろからおやじの2本の手が伸びた。そしてパンツを一気に引き下ろしやがった。


 見たくなかった現実が目の前にあった。いや、“あった”んじゃない。“なかった”んだ。俺の戦友。苦楽をともにした同士。大事な“息子”がそこにはいなかった。小さな“へそ”からやわらかな曲線が弧を描き、そのままさえぎる物なしに(*自主規制*)へと落ち込んでいた。


 脚の力が抜けた。へなへなとその場に座り込んだ。鏡の中には女の子座りして腰をひねり、片手を床についた物憂ものういそうな美少女の姿があった。


「どうだ。これでもまだ『すげえ!』とは言えないとでも?」


 おやじの声。もうたくさんだ。見るべき物は全部見た。早く元に戻りたい。薬はまだ切れないのか。時計はどこだ。


「おいおやじ、話が違うじゃねえか! 15分たったら元に戻んじゃなかったのか! とっくに過ぎてんじゃねえか! ちゃんと説明しろ!」


 思わず大声が出た。時計の針は15分どころか20分をも超えて、もうすぐ25分になることを示していた。


「あれえ、おっかしいなあ。配合間違えたかな」

「なんだよ、その“セリフ棒読み”みたいな言い方は」

「うーん。もしあれの量を間違えたとしたら、元に戻るのに15分どころか15日はかかるかもな」


 いかにもとぼけた口調。確信した。こいつ俺をめたな。いや、“ハメ”たわけじゃないけど。


 思わずカッとなった。おやじの元にすっ飛んでいって首を絞め上げた。


「何考えてんだ! 明日から学校とかどうすんだよ!」

「それなら心配ない。ちゃんと用意してある」


 おやじの指差す先。テーブルの上。女子の制服が置いてある。うちの高校のだ。


「てめえ、確信犯か」

「まあそう怒るな。学校には『父の実験のせいで女になりました』って言えばいい。みんな『あの父親の仕業しわざなら仕方ない』って受け入れてくれるさ。後は普通に女の子として暮らせばいい。問題ない」


 何が「問題ない」だ。大ありだよ。勘弁してくれよ。


「そんなことよりもな……」


 おやじの声。「そんなこと」だって? こっちにしたら大問題だぞ。

 いや待て。おやじの様子がちょっとおかしいんだが。


「そろそろワシにも触らせろ!」


 おやじが手を伸ばして突っ込んでくる。“おっぱい”にロックオン。目が血走ってる。口は半開き。ヨダレが垂れてる。俺はとっさに前を隠して体をひねり、おやじの突撃をかわす。スペインの闘牛士もビックリ。


 おやじが不格好につんのめった。急に目の前から目標おっぱいが消えたからな。支えを探すように両腕を空中で振り回す。その右腕が偶然俺の首に引っかかる。まさかのラリアット。とっさのことで支えきれない。俺たちはもつれ合って床へ倒れ込んだ。


 ふたりが重なり合った。俺が下で、おやじが上。


「うおおおお!」


 おやじがほえた。ひざ立ちで反り返ってほえた。

 いったい何が起こったんだ。


「もう我慢できん! 浩、一発ヤらせろ!」


 血走った目。荒い息。これがおやじか? まるで野獣だ。


「気は確かか。俺はあんたの息子だぞ」

「いいや、いまは“娘”だ。しかも正真正銘の“生娘きむすめ”。素っ裸のJKだ。ワシはそういうとヤるのが夢だったんだ!」


 そう叫ぶと両手でおっぱいをわしづかみにしようとしてきた。すんでの所でその手をつかんで防ぐ。ダメだこいつ。早く何とかしないと。でも女の子になったせいか普段より力が出ない。マズい、このままじゃ犯される。このクソおやじに“初めて”を散らされる……。


 その時、再びあの“鼓動”が全身を走った。おやじの動きが止まる。“鼓動”が走るたびに力が戻ってくる。俺はありったけの力でおやじを跳ね飛ばした。


 立ち上がってふと気がついた。目線の先に鏡が見えた。ひとりの素っ裸の男が映っていた。“息子”もいた。元に戻ったんだ。


「いてててて。あーあ、残念。もう少しだったんだけどな」


 声がする方へ振り向く。尻もちをついたおやじが後頭部をさすっていた。


「てめえ! 何考えてやがんだ!」

「まあそう怒るな。ちゃんと行為の前に元に戻れただろ?」


 悪びれた様子はどこにもない。口では「残念」と言いながら悔しがっているようにも見えない。まさかおやじのやつ、こうなることも全部承知の上だったのか?


 おやじは女体化薬の入っていた試験管を取り上げた。


「全部飲んでしまいやがったな。これじゃ頼まれてももう当分変身させてやれんぞ」

「だれが頼むか! もう二度と俺に変なもの飲ませるな! というか、二度とそんな薬作るな! もう金輪際こんりんざいてめえの発明は口にしないからな! 天地神明てんちしんめいに誓って絶対にだ!」


 一気に吐き捨てる。おやじに襲われるなんてのは二度とゴメンだ。“なま乳”よ、さようなら。でも俺の人生がむちゃくちゃになるよりマシだ。


 ところがおやじのやつ、俺の罵倒ばとうもどこ吹く風といったよう。


「まあ、そう怒るな。そのうちおまえはまたあの薬が欲しくなる」

「なんだって! まさか、あれには麻薬みたいな中毒性が……」

「安心しろ。そんなんじゃねえ。だが考えてもみろ。女の子になれるってのは思った以上にメリットがあるもんだぞ」

「メリットだと?」

「そうだ。女子トイレに入っても怒られない。女湯で幼女からロリばばあまで拝み放題。女の子の胸を男が触ったら犯罪だが、女が触るのは問題ない。それに……」

「それに?」


 ゴクンとつばを飲み込んで次の言葉を待つ。


「もう少ししたら夏だな」

「まあ、そうだな」

「夏と言えば水着だな」

「まあ、そうかな」

「夏が来ればおまえの高校でも水泳の授業があんだろ? 後は分かるな」


 思わずカッとなった。おやじの元にすっ飛んでいって首を絞め上げた。


「おい、おやじ!」

「なんだ?」

「今すぐ薬を作れ!」

「ちょっとくらい悩まんのか? いくらなんでも変わり身が早すぎだろ」

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【短編】マッドサイエンティストは女体化薬の夢を見るか 金屋かつひさ @kanaya9th

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