3. 池のほとりの影
再会
――エリザベスは目を開けた。自分がどこにいるのか、最初は全く分からなかった。暗い。どうも知らない場所のような気がする。私は確か自室にいたはずなのに。そう、自室にいた。午後のお茶を飲んでいたら、使用人がお母さまに何かを知らせて、そしてお兄様が入ってきて、それで、それで……。
「目を覚まされたようでござるな」
いきなり声がして、エリザベスは文字通り跳び起きた。薄暗さの中に、何かの生き物がいる。黒い瞳がこちらを見つめている。そしてふさふさとした毛。毛が全身を覆って、とても人間とは思えない。何か別の生き物だ。尖った鼻、丸い耳、小さな手。エリザベスはそれが何か分かった。ネズミだ。ネズミは立ったままこちらを見ている。以前夢で会った、あのネズミだ。
エリザべスは混乱してネズミを見つめた。あの時のネズミは小さかった。常識的なネズミの大きさだった。しかし、ここにいるネズミは馬鹿でかい。エリザベスと同じくらいの大きさがあるのだ。エリザベスは圧倒されたまま、今度は自分がいる場所を見渡した。薄暗いここは……ネズミの穴なのだろうか。エリザベスが座っているのは、藁やおがくずで出来た、ベッドのような物の上だった。
「――私……、私はどうなったの……」
この状況は驚きであったが、エリザベスの心はすぐに、兄のこと、アリシアのことに引き戻された。アリシアが……あの快活で生命力に溢れたアリシアが……。そしてお兄様もあんなにショックを受けて……。
涙がこぼれた。頭も痛い。エリザベスは再び身を横にした。丸くなって、幼子のように泣きじゃくる。全て私が悪いのだ。私があんな願いを抱いたから。悪魔を呼び出そうとしたから。そう、悪魔は実際に呼び出されたのかもしれない。そしてエリザベスの願いに応えてアリシアを屋敷から追い出す、いや、この世から追い出してしまったのかもしれない。
「泣くでない、泣くでないぞ、娘ごよ」
困ったような、ネズミの声がした。エリザベスはただ首を横に振った。泣かないでいるなんて無理だ。それに泣いていたほうがいい。そうでないと、この気持ちの持っていき場所がない。
「――娘よ……そなたの願いは叶えられたのか?」
ネズミが尋ねる。エリザベスは泣きじゃくりながら、今度は頷いた。涙の間に声を絞り出す。
「……そうよ。全部私が望んだことなの。――あの女がいなくなればいいなって、アリシアが……でも……まさか、死……死ぬなんて――」
なんて恐ろしいことをしてしまったのだろう。もう家には帰りたくない。お兄様の前に立つことなんてできない。アリシアがさらに身体を丸めると、穏やかな、ネズミの声が降ってきた。
「アリシアというご婦人は死んではおらぬよ」
エリザベスはその言葉に驚いた。そして顔を覆っていた手を離してネズミを見た。そしてさらに驚いた。ネズミが大きくなっていたからだ。アリシアと同じくらいの大きさだと思っていたのが、それよりもさらに巨大になっている。濡れた鼻が目につき、口は裂けてエリザベスを飲み込みそうにも思えた。エリザベスはわけがわからぬまま、声を出した。
「あなた……どうして、すごく大きくなって……」
「拙者が大きくなったわけではござらぬ。そなたが小さくなったのだ」
「……何故、私が……?」
「気持ちの現れよ。今のそなたは自信をなくし希望をなくし罪悪感に苛まれ、気持ちが内側へ内側へとむかっておる」
「私は――」
このまま小さくなってもいい、とエリザベスは思った。このまま小さくなって、いっそ消えてなくなってしまいたい。エリザベスがそう考えていると、ネズミの重たい声が聞こえた。
「娘ごよ! 悲観的な事を考えてはならぬ。さらに小さくなるぞ」
「――いいの。それでいいのよ……」
「何を言っておるのでござるか。拙者が先に言うたであろう。あのご婦人は死んではおらぬ、と」
エリザベスは今度はしっかりと顔を上げて、じっとネズミを見た。巨大なネズミが視界に広がっている。毛の一本一本がやたら大きく見え、そしてその黒く光る二つの眼はエリザベスを真剣に見返していた。エリザベスは上半身を少しずつ起こし、ゆっくりと口を開いた。
「死んで……死んではいないと……」
「そうでござる。悪魔はご婦人の魂をいまだ手元に留めたままよ」
「――助けられるの?」
「さよう。可能性がないわけではござらぬ」
「私……」エリザベスは震える声で言った。「私、あの人を助けたい。助けなきゃ!」
「拙者も助太刀するでござる」
ネズミは再び小さくなっていた。というよりも、エリザベスが大きくなっていたのだ。
――――
大きくなった、とはいっても、まだネズミと同程度の大きさであることには変わりないエリザベスは、ネズミに先導され外に出た。今までエリザベスたちがいたところは、どうやらエリザベスの家の内部だったようで、外には見慣れた庭が広がっていた。そこは夜の庭だった。いつの間にか、夜になっていたのだ。ひんやりとした風が吹き、空にはやたらに大きな月が出ていた。月の光で周りは明るい。
「悪魔は池のほとりにおるでござる」
ネズミは言った。エリザベスは尋ねた。
「池、というと、森の中にある?」
「さよう」
「……遠いわね」
いつものエリザベスの足ならそんなに遠くはないが、今はネズミ程の大きさしかないのだ。道のりはかなりかかるだろう。元の大きさに戻れればよいのだが、果たしてそれができるか……。考えながら、エリザベスははたとあることに思い至った。大きさが変わるのならば、見た目も変わらないだろうか。例えば小さくとも早く走れる生き物にはなれないだろうか。エリザベスはそういう生き物を思い浮かべようとした。
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