悪魔を呼び出す

 夢の中で寝るなんて変だけど、とエリザベスは思った。しかしともかく、このネズミとこれ以上話し合うことはない。エリザベスは背を向けて、布団の中へ戻った。


「ならば致し方ない……」


 ため息のようなネズミの声が聞こえた。「そなたの力になれなんだことは残念でござる。またどこかで出会えるとよいがの」


 エリザベスは目をつぶった。次第に眠気がやってくる。眠っているのに眠気だなんてやっぱり変だけど……。そんなことをつらつらと考えているうちに、エリザベスは再び眠りに落ちていった。




――――




 次に目を開けたときは辺りがすっかり明るかった。もう朝だ。思わず周りを見てみたが、ネズミの姿は見えない。やっぱり夢だったんだわ。まあ当然といえば当然だけど。


 その日、エリザベスは昨夜の夢のことをあれこれと考えた。魔法なんてやっぱりなかった。奇妙な夢を見ただけだった。でも……。エリザベスの心には迷う気持ちがあった。でも他の魔法を試してみたらどうだろう。また変な夢を見るだけだろうか。


 本は返さずに、まだエリザベスの部屋にあった。エリザベスはページを繰り、ある項目で手を止めた。それは悪魔を呼び出す方法だった。悪魔……。さすがに恐ろしさを感じた。けれどもこれはただの迷信だし、ちょっと試してみるくらいならよいかもしれない。


 以前と同じように、集められるだけの材料を持って、また庭へと赴いた。そして同じ場所でそれらを燃やす。続けて呪文。前のとは違うが、同じように意味のわからない言葉の羅列だ。火を消して、エリザベスは立ち上がった。その瞬間、生暖かい風が吹いた。


 わずかな眩暈を、エリザベスは感じた。おそらくしゃがんだ状態から、急に立ち上がったせいだわ、とエリザベスは思った。両足を踏みしめて、眩暈が治まるのを待つ。いつの間にか風も止んでいた。


 エリザベスは早足で屋敷へと戻った。何故だか妙に落ち着かない。こんなに暑いのに、すごく天気も良いのに、どこか薄ら寒い気さえする。エリザベスは周囲の木に目をやり、そしてはっとした。木の葉の間に、ちょうど影になっているところに、何かの光を見たような気がしたからだ。それは二つ平行に並んでおり、生き物の目を思わせた。けれどもそれは一瞬だった。次の瞬間には見えなくなっており、エリザベスは、自分の見間違いなのだと思った。


 屋敷に入ると、少しは落ち着いたが、その日は一日中、どこか不安だった。早々にベッドに入る。変な夢を見なければよいけれど、と思いながら。もしまた夢を見たら……今度は悪魔が現れたら……それはあまり嬉しくない。




――――




 夢は何も見なかった。エリザベスは爽やかな気持ちで目が覚めた。昨日、怖がっていたのが嘘のようだった。エリザベスは笑いだしたくなった。なんて馬鹿馬鹿しい! 愚かな私! 非科学的な迷信に狼狽えちゃって……。


 何日か前から晴天が続いており、その日もそうだった。アーネストとアリシアは街に出かけるという。エリザベスは屋敷に残っている。何の変哲もない、平穏な夏の一日だった。今日もまた平穏なまま、一日が終わるのだとアリシアは思った。が、そうはいかなかった。


 それは午後のお茶を飲んでいるときに起こったのだった。エリザベスは母親と一緒に食堂にいた。他愛もない話に花を咲かせていると、慌ただしく使用人が入ってきた。母親に何やら小声で話す。声が小さくてエリザベスには聞き取れなかったが、母親の顔色がみるみる変わり、何かよろしくないことが起こったのが分かった。


 一体、何が起きたのだろう。エリザベスは持っていたカップをソーサーに下ろした。不安で心拍数が早くなる。よくないこと。こんな顔の母を見るのは滅多にないことだ。母は立ち上がった。玄関で物音と人の声が聞こえた。誰かがやってきたのだ。


 続けて、食堂の扉が開いた。そこにはアーネストが立っていた。エリザベスは兄を見てぎょっとした。こんなお兄様は知らない。こんな……まるで生命が抜けてしまったかのような……ただ茫然とした兄など知らない。


 アーネストはふらふらと室内に入り、その身体を母親が支えた。今にも倒れそうだったからだ。顔は蒼白で、目はまるで何も見えてないかのようだった。まるで機械のようにアーネストの口が動いた。


「――アリシアが……」

「ええ、聞きました。事故があったのね」


 事故? どういうこと? くらくらする頭でエリザベスは考えた。アリシアが事故にあったの? それで……それで、アリシアは一体どうなったの?


「……あなたは無事でそれは本当によかったわ」


 小さな声で母親がアーネストに言っている。アーネストをなだめるかのように。けれどもアーネストはそれを聞いていないようだった。また繰り返した。


「――アリシアが……」

「ええ、ええ、アリシアのことも聞きましたよ……」


 エリザベスは椅子から立ち上がった。一刻も早くこの場から逃げ出したかった。ここに居続けることなどできなかった。兄は、いつも堂々としていた兄はまるで子どものようだ。このまま崩れてしまいそうだ。もしくは感情が爆発して粉々になってしまうか。


 気づかぬうちにエリザベスは食堂を出ていた。そして階段を駆け上がり、一目散に自分の部屋に飛び込んだ。ベッドに倒れこむ。吐き気がして部屋が揺れていた。


 アリシアが事故に――。アリシアはどうなったの? 死んでしまったの? お兄様があんなに動揺しているから――そう、死んでしまったのかもしれない。


 私はアリシアがこの屋敷から出ていけばいいと願った。それが叶えられたということなのだろうか。エリザベスは固く目をつぶった。嫌! 嫌だ! 何も考えたくない、何も何も……。吐き気がさらに強くなってきた。エリザベスはいつの間にか意識を失っていた――。

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