2. 小さな使い魔

小さな使い魔

 エリザベスは夢の中にいた。燃える火を見ている。そう、今日の午後の出来事だ。使い魔を呼び出す魔術を試してみたのだ。馬鹿みたいなことだけど……。火は鎮まることもなく大きくなることもなく、ゆらゆらと揺れている。その中にふと、何か影のような物が見えた気がした。


 頬に何かが触れる。柔らかいものだ。柔らかく、温かいもの。もう一度そっと撫でるように触れる。なんだかくすぐったい。夢の中の、ではなく、自室のベッドに寝ているエリザベスは寝返りをうった。


 そうしてぱちりと目を覚ました。まだ真夜中のようで辺りは暗い。夢の記憶を反芻しながらエリザベスは辺りを見回した。暗いのではあるが、今夜は満月なのか、真っ暗ではない。薄く白い闇の中で、エリザベスはつかの間ぼんやりとしていた。と、そこに声が聞こえた。


「そなたが拙者を呼び出したのでござるな」


 エリザベスは大いに驚いた。そして、恐怖が胸を掴んだ。部屋に誰かがいる。おかしい、この部屋にいるのは私だけなのに……。固まっていると、再び声がした。


「さあ、起きられよ。拙者がそなたの願いを叶えてみせよう」


 その言葉に促されたわけではないが、エリザベスはがばりと跳び起きた。震える手でサイドボードの灯りを付ける。部屋には誰もいないようではあるが……。ますます恐怖にとらわれていると、さらに声がした。堂々とはしているがいささか小さく、そして優し気な声だった。


「拙者はここでござる。そなたが拙者を呼び出したのでござろう?」


 エリザベスは声のする方を見た。そこには一匹のネズミがちょこんといた。ネズミは――普通、四足歩行の生き物だと思うがそのネズミは後足で器用に立っていた。薄茶の毛が輝いている。


「――私……私が、呼び出したと……」


 ネズミの言葉を繰り返した。エリザベスは心の底から動揺していた。今まで喋るネズミなど見たことがなかったからだ。当たり前だが。これはきっと夢なのだ、とエリザベスは思った。そう、夢に違いない。私はきっとまだ眠っているのだわ。


 そう思って気持ちを落ち着けて、それからネズミの台詞をよく考えてみた。「呼び出した」と言っている。なんのことだろうと思い――それからはたと思い当たった。昼間、魔法を試してみたのだった。使い魔を呼び出す魔法。そのことを言っているのだろう。そして、出てきた使い魔というのが……このネズミなのだ!


 エリザベスはまじまじとネズミを見た。ネズミは胸を張っているが、しかし小さい。ネズミなだけに。本当に役に立つのかしら、とエリザベスは思った。でも願いを叶えてみせる、と言っている。多少は期待をしてみようか。


「そう、私はあなたに頼みたいことがあるの……」


 居住まいを正し、いささかもったいぶってエリザベスを言った。真剣な眼差しでじっとネズミを見つめる。ネズミのほうも黒くてつぶらな瞳でエリザベスを見ている。


「この屋敷にいるある女性を追い出してほしいの」

「ふむ。それは誰じゃ? そして何故じゃ?」


 ネズミの質問に対してエリザベスは答えた。アリシアのこと、彼女がどういう女かということ、そしてエリザベスが何故彼女に出ていってもらいたがっているのかということ。ネズミは黙って聞いていたが、エリザベスが語り終えると、手で髭をしごきながら躊躇う様子を見せた。


「……ふむ……事情はわかったでござる。――のではあるが、気が進まぬ依頼でござるな」

「どうして?」


 エリザベスは意外だった。そんな言葉が返ってくるとは思わなかったからだ。ネズミは顔をしかめ、尻尾を振った。


「ご婦人を害するのは気が進まぬ……。それにそなたの言い分にあまり頷けぬ。そのご婦人は本当に悪い人間なのであろうか?」

「悪いに決まってるでしょ! お金目当てでお兄様に近づいたの!」

「そう思ってるのはそなただけでは? 証拠がないでござる」

「証拠なんて……」


 証拠なんてなくても、こんなにも分かりやすいことなのに、とエリザベスは思った。考えてみれば、家族はみなアリシアに好意的だ。気づいてるのは私だけ。ひょっとして誰にも理解されないのかしら、と思った。しかも、今相手にしているのはネズミだ。ネズミは小さいし(それは脳みそも小さいので)あまり複雑な事柄はよくわからないのだろう。


 それとも――。意地悪な目でエリザベスはネズミを見た。


「それとも、あなたにはできないの?」


 こんな小さな存在だ。このような生き物に何ができるというのだろう。どうやって一匹のネズミがアリシアを追い出すというのだろう。エリザベスの言葉にネズミは怒りを露わにした。


「できるでござる! ただやりたくないだけでござる!」

「でもあなたは小さいし……」

「ネズミとしては十分な大きさでござる」


 そう言ってネズミは背伸びをするように身体を逸らした。けれどもやっぱり小さいものは小さいのだった。


「拙者はやるときはやるのでござるよ」唸るようにネズミは言った。「今までの依頼は全て見事にこなしたでござる。そう、約束はたがえぬでござる。この尻尾と髭にかけて!」


 ネズミの髭がぴんと張り、尻尾も存在を主張するように持ちあがった。


「己惚れているわけではござらぬが、拙者の尻尾と髭は我が一族の中でも特に見事なものとして知られているでござる。まあ……そなたには……」


 そう言って、ネズミはちらりとエリザベスを見た。「そなたには尻尾も髭もござらぬが、さほど気落ちすることはないでござるよ」


 尻尾と髭がなくて気落ちしたことは、エリザベスにはなかったので、ネズミの言葉は無視することにした。そしてため息をついた。魔法は見事に成就したけれど、出てきた使い魔はちっとも役に立たなそうなものだった。やっぱり材料を多少変えてしまったのがいけなかったのかもしれない。


「ごめんなさい。せっかく呼び出したのになんだけど、あなたに頼むことはないわ」


 エリザベスの言葉にネズミはやや動揺したようだった。気を引くように、エリザベスに声をかける。


「いや……そう言わずとも……。まあ、拙者にもどうしても苦手なものはある。例えば猫一族などな」そう言ってネズミは首を縮めた。「それ故、そなたがかのご婦人を嫌う気持ちもわからぬでもないが……」


「じゃあ、あの女を追っ払ってくれる?」

「それは無理でござる」

「それならやっぱり駄目ね。おやすみなさい。私はもう寝るわ」

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