第225頁目 嘘は八つ?
「嘘を吐いたなァ!? 竜人種ゥゥ!!」
魂が凍りつきそうな叫びだった。腹が深く抉られているのだからきっと大した声は出ないはずなんだ。それでも、俺にとっては耳を塞ぎたくなる程大きい声に聞こえた。
「いや!? 俺は死なない? これでも……ぐっ……いや、死ぬ! 俺は死ぬんだ! お前等ァ! その竜人種は嘘吐きだ! こんな……! こんな事が許されて……!」
その余りにも恐ろしい最後の足掻きを目にして俺は全く動けずにいた。もしかしたら数歩後ろに退っていたかもしれない。それ程の恐怖を感じていたんだ。俺の友人であり恩人の角狼族に似たその顔を苦痛に歪ませ血を口の端から垂らしている。なんでこんな……。
「はぁ……はぁ……仕方ないんだ……。」
そいつ以外、誰も声を発しなかった。たった一人を除いて。
『えおー。』
無邪気且つ意味の無いカラスの声。それは想いが煮詰められ凝り固まった様な怨嗟の声と対象的に聞こえた。それが憎かったのかはわからない。だが、確実に引き金になったのだと思う。
「仕方ないんだよ……ぉ……お……おああああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!゛!゛」
そいつは俺のすぐ側にいるコブラの方を見た。正確にはコブラの抱えるカラスを。そして、速いとも言えない動作で両手を伸ばす。
……まるでスローモーションの様に感じた。
人殺しである彼奴がコブラやカラスに向けて腕を伸ばしたのが何を意味するのかわからない。しかし、何か起きてからでは遅い。だとしても俺に何が出来る? 水で吹き飛ばすか? それで彼奴の魔法が止まるのか?
さっきタックルした時は何も変わらなかった。言ってたじゃないか。”死ね”と。あれは格好つけた末の台詞じゃないんだ。彼奴には確たる意思があるんだよ。
つまり……。
――殺らなきゃ殺られる。
そこまで思った時、既に俺は行動していた。
ブシャッと勢いよく色々な物が飛散する音。透明な水に見慣れた
あぁ、間違いない。
俺は、人を殺したんだ。
「おい! 大丈夫か!」
数人の兵士達が飛んでくる。
「ちいっ! かなり殺られてる。」
「ウェダが此処に避難しているはずなんだ! 何処だ? ウェダ! ウェダー!」
「お、おい、落ち着け!」
「怪我人は集まってくれ!」
兵士達は自分達が出来る事をやる。
俺も……動かなきゃ……。
「悪いな。殺しきれたと思ったんだが。」
俺に話し掛けてくる兵士。返事をしなければ……。
「あぁ、でも俺が……。」
ヤッた。殺った。殺した。それだけの言葉が口から出てこない。
「しかし、助かったよ。まさか奥に逃げ込んだ奴がいるとはな。よくヤッた。」
いや、俺が殺した事を褒めてるんじゃない。この人は沢山の人を救った事を褒めてくれてるんだ。違う。勘違いするな。
「おーい! なんでも夜鳴族が暴れて敵はもう殆ど壁の染みになっちまったらしいぞ!」
「ははっ! 流石だな! アンタんとこの! 不変種に負けてられっか! 俺等も行くぞ! あぁ、アンタはやっと家族見つけたんだろ。ここで休んでくれていい。アンタまで出たら全員奪われちまいそうだからな。」
奪う? 何を? 命を?
「じゃ。おい、グレッソは置いていけ。今連れて行っても戦力にならない。」
「頼む……! 返事をしてくれ! ウェダ……! ウェダぁ……!」
グレッソという名前だと思われる兵士は一人の凍った嘴獣人種を抱え泣き叫んでいた。
「なんで……! クソぉ!」
人を殺したら何か変わるの? ミィは平然とそう言っていた。
人を殺すとな……。
人が悲しむんだよ。
「あぁぁああ! 嘘だ……! 嘘だぁ……!」
大切な人が”殺されて”泣く人に俺はなんて声を掛ければいいんだ。
「片付ける余裕がある奴は手伝え!」
「怪我の手当が未だな奴はあたいを呼びな!」
「薪を運ぶわよ! 魔法で温められる人は凍えてる人をお願い!」
「あぐうっ! 羽が皮膚ごと剥がれやがったァ!」
喧騒に遠慮が無くなっていく。泣くも笑うも怒りも喜びも、全て生きるという手段の上にある。彼等はもう”生”に目を向けているんだ。
「死体運ぶの手伝え! ……なんだコイツガリガリだな。一人で一人ずつ運べそうだ。此奴は俺がやる! お前等は入り口にあるのを運んでくれ!」
そんな声が聞こえた。運ばれようとしているのは俺が殺した相手、犬系の獣人種である。角狼族にそっくりな顔が額から真っ二つに分かれていた。なるべく見たくないとも思ったのだが、骨張って肋骨が浮いているくらいに痩せコケている姿が目の端に映りやけに記憶に残る。
そいつも兵士なんだよな……。でも、兵士ってもっと屈強な……。
「ソーゴさん……。」
「なんつう顔してんだよ……。」
「それは……。」
今にも泣きそうな、いや、泣いていた。マレフィムは泣いていたんだ。俺は何処にも怪我なんてしちゃいないのに。とても辛そうな顔をしている。安心してくれ。不安だったんだろう。もう大丈夫だ。敵は――。
「それは……貴方じゃないですか……!」
声を震わせ俺の涎にも満たない量の涙を止めどなく流す彼女。
俺はそんなにおかしな顔をしていただろうか。
それから間もなくだった。敵が全滅したという知らせが届いたのは。
*****
「只今ぁー!」
「ノックスさん。」
「いやぁ、町の皆が離してくれなくってね。直接的な益というのがここまで人の態度を変えさせるのだから恐ろしくもあり面白くもあり……ん? 何かあったのかな?」
夜、街明かりがよく差し込む様になった家の中で俺はただ
「悪いけど水を貰えるかい?」
『おー……。』
「君も無事だったんだねぇ。今死なれても食べたら少し
「その言葉だけでも充分ですよ。」
「そうかい?」
「えぇ、それはもう。」
「ありがとう。にしても、何で君等は宴に出なかったんだい? 活躍はしたそうじゃないか。アレは死者への弔いも兼ねているんだろう? 先逝く者達が寂しがってしまうよ。」
「……。」
「……。」
「なんだなんだ。今日はいつも以上に辛気臭いな。精霊様よ、今は近くに人が居ない。答えておくれ。」
「……クロロが人を人として殺した。それだけだよ。」
「ふぅん? よくわからないな。それがどうしてこんな事に?」
「それは私もわからない。でも私なりの解釈だと自分のルールが守れなかった悔しさって所かも。」
「なるほど。それならボクでもわかるよ。許されると決めた色のタイルが途切れ、致し方なく目的地に向かう為にそのルールを破っていつも通り歩く。その悔しさは思いの
「貴方はッ……!」
どうやら俺よりもマレフィムの癪に障った様だ。
「待てよ、マレフィム。ノックスの言う通りなんだ。きっと間違ってるのは俺達なんだよ。勝手にやって勝手に失敗して勝手に傷付いてる。」
「クロロさんまでっ!」
「君がどういう生活をしてきたかは知らないけどさ。確かに妖精族はボク等と比べたら命を奪われそうになる機会が多かったはず。だから臆病なのだろう? それはボクの想像も及ぶし何となく理解も出来る。でもソーゴくん。君はどうしてなんだ。ボクと同じ蹂躙する側だろう。」
蹂躙する側……そうだな。そうだよ。前世から俺は全体から見て上位に居続けている。だからじゃないか。だから、突き落とされる痛みと可能性に怯えてるんだ。
「君はこれからも人を殺す度にそうやって落ち込むのかい?」
「どうだろうな。」
「教えてあげようか。」
「何をだ?」
「ソーゴくんが今日以外に殺した人の数だよ。」
「……は?」
何を……言っているんだ? お前が何を知ってる?
「出鱈目な事を言わないで下さい! そうやってクロロさんを揺さぶって何になると――。」
「八人だよ。負傷者は別としてね。ボクが把握出来ているのはそれだけだ。」
「嘘だろ? 冗談だよな?」
「冗談なものか。六人は食料庫を爆散させた時だ。二人は拷問した捕虜。その内一人は失血死、もう一人は衰弱死。」
「……。」
「やめてくださいッ!」
「やめて何になるんだ。いつまで目を背ける。まさかボクに噛み付いているつもりかい? 君等が今噛みつこうとしているのは”現実”だよ。」
「……俺は……そうか。」
「精霊様、精霊様よ。何故こうなるまで放っておいたんだい。」
「私と比べて人は脆いからだよ。」
「人、ねぇ。ちょっと範囲が広すぎやしないかな。」
「私も今そうだったかもって思い始めてる。」
八人か……。しかも、あの襲撃の日の被害だけじゃないなんて……。
白々しい。
あれほど喉を鳴らし潤いを堪能しておいて死なないだなんて本気で思っていたのか。俺が殺したんだよ。間違いなく。”命だけは”と思い込んで全てを奪ったんだ。俺が。
「それとね。今回攻め入って来たのは君が兵糧庫を破壊したからだ。元々兵糧が足りていないのに、物資が届いたその日に破壊されたからね。自棄になったんだろう。」
「……俺の、所為?」
「な、何故そこまで詳しいのですか?」
「知っているからだよ。」
「クロロさんが殺したという人の数を知っているのだっておかしい!」
「此処でボクがそれについて嘘を吐けばどうなる? 得があるのかい?」
「それは……! クロロさんに人殺しを肯定させようという……。」
「それ以上にボクはソーゴくんに信用されたいんだよ。」
「それが本心かだなんて……!」
「あのねぇ。前提を覆したら何にも話し合いなんて出来ないじゃないか。」
「っ……ですが……。」
「い、いいんだ、マレフィム。そうだな。ははははっ!」
「クロロさん……?」
笑った気だった。でも、此れ程面白くない笑いは初めてだ。怒りの余りとか不快が一周して面白くなる感じじゃない。面白くないんだ。
俺は今、ははははって発音しただけ。大声で。笑いを知らないロボットが
「そう言えば確かに全員痩せてた気がする。確かに、そうだ。俺は人を殺したんだな。俺が……ッ!」
脳裏で火花が散る様に瞬間的な怒りが発火した。
バチッと弾けた力みが少しだけ声に表れる。だが、それ以上の事は無い。これ以上壊す物なんて無いんだから。
「そうそう、それは事実で真実だ。加えて君が多くの人の命を救った証でもある。これもあの遺跡のお陰……そうだ、そう言えばあの遺跡にいた奴等は不思議な紋章を刻んでたよ。見覚えは無いかい?」
そう平然と続けるノックスは俺に甲殻みたいな物を見せてくる。
そこに描かれていたのは|塗りつぶされた
イデ派の……? いや、違う。
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