第219頁目 臭いって顔見て言う?

 叫ぶ事も出来ないと気付いた頃には全てが遅すぎた。


「クロロ! どうしたの!? 飛んで! 飛んでってば!!」


 ミィが幾ら叫ぼうと泥々呑蛇ツァキィビには関係無い。まぶただけは辛うじて動かせる。だから俺には選択権があった。


 自分が食われる様を見るか見ないかだ。


 獲物の動きに違和感を覚えたらしい。未だ俺の味を知らない方の頭が口を開けて迫る。好機にしか思えないだろうさ。


「……ッ。」


 悪態も声に出来ない。なんで……身体が痺れて……。


「あっ!!」


 ミィの声色が変わった。何か思いついた所で俺は何も……!?


「お待たせ。」


 鱗に触れる柔らかな熱。切り替わる景色。そして、変則的な浮遊感と風圧。


「ノックス!!」


 嬉しそうにミィが叫んだ。


「あはは、泥々呑蛇ツァキィビの麻痺毒にしてやられたみたいだね。」

「……。」


 返事は返せないが、瞳に映る景色で文字通り”瞬く間に”遠くまで移動しているのがわかる。お荷物扱いだが、助かった。


「麻痺毒、だからクロロは……。」

「うん。涎の毒で獲物を麻痺させてそのまま溶かしちゃうんだよね。吹きかけて来たのにでも当たったのかな? 何にせよ、無事でよかったよ。」

「……君がその”よかった”をどういう意味で言っているかは敢えて追求しないけど、助けてくれた事は本当に感謝してる。」

「精霊様からの感謝なんて光栄だね。ボクは全く見返りなんか気にしてないんだけど、精霊様がどうしてもって言うならその感謝を形として頂きたくはあるかもしれない。」

「はぁ…………厄介。」


 借りを作ってはいけない相手に借りを……悪い、ミィ。


「よっと。」


 ある程度離れた事が確認出来たのか、ノックスは俺を両手で抱え込むと縦に回転し……。


 ってそれじゃあプロレス技みたいな――。


「ガフッ!?」

「ちょっと! もう少し丁寧に降ろしてよ!」

「充分に丁寧だよ。地面に投げ捨ててない。」


 ノックスは仰向けになった俺の腹に片手を当てて着地した。


 こ、腰が痛い。自重を利用した技は素直に地面へ叩きつけられるより効く場合がある。だが、抗議をする自由は持ち合わせていなかった。そして、死んだ様に動かない俺を一瞥するとノックスは何処かへ消えて数分後また戻ってくる。


 何だ? 片手に苔の塊みたいなのを持ってるな。それをノックスは無表情で自分の口に入れた。そしてモグモグと咀嚼しているが……。


「ノックス? 何してるの?」

「んんー。」


 嘘だろ? なんかもうこれから何が起きるか想像出来るんだけどよ。


 ……嘘だろ?


 その疑い虚しくノックスはガッと俺の頭をゴツい両手で掴み口をこじ開ける。勿論抵抗は出来ない。俺だって流石にベスの胃や腸はよく洗って食べる。臭すぎる時は捨てる時だってあるんだ。それなのにお前……嘘だろ!?


「うえ……。」


 ノックスが幾ら美少年とは言え俺にそんな趣味はねえ。されど避ける術も無し。彼の口から吐き出された濃くドロッとした緑のソレは自然の摂理に従って俺の喉奥へと落ちていった。そして、それを躊躇せず硬い指で押し込んで口を閉じる。


 苦い。喉ちんこに生暖かい感触が……。


 忘れたいが為に俺は素早く飲み込む努力をした。さっきの泥々呑蛇ツァキィビもこうやって早く飲み込みゃあよかったんだ。……あぁ、涎に絡ませる為か。してやられたんだな。


「これで少し立てば痺れが引いてくるよ。」

「その毒は痺れるだけなの?」

「うん。他の効能は知らないかな。噂によると微かに依存性があるとだけ聞いてるけど……まぁ、問題ないよ。」

「涎に依存性? 恐ろしいね……。」

「彼等の生きる知恵だよ。それにしてもソーゴ君。君口臭いねぇ。」

「……んぐぐがが!」

「何? 怒んないでよ。こまめに口を水で濯ぐといいって聞くけどね。種族性ならどうしようもないかな。あはは。」


 違うんだよ! それは俺がアレを吐いたからで俺の口臭じゃ……! あぁクソッ! マトモに喋れねえ!


 そんな悶々とした思いを秘め身体が動きようになるまで待った……。


「もう大丈夫かい?」

「……あぁ。」

「それなら戻ろうか。」

「俺を連れて戻らなかったのは――。」

「君が泥々呑蛇ツァキィビを倒せるという信用性が下がるからだよ。」

「……恥はかかなくて済んだ。」

「でも、マレフィムはきっと凄く心配してる。」


 ……そうだな。ミィの言う通りだ。


「ん? そう言えばなんでお前が知ってるんだ。泥々呑蛇ツァキィビを倒さなきゃいけないって。マレフィム……アメリから聞いたのか?」

「いや、町長からだよ。」

「ホードから?」

「あぁ。あの獣人種の基地を見つけたのはボクだからね。」

「チッ……。」


 全部裏で関わってたって事かよ。


「ソーゴくんなら多少無理な事でもやってのけるって話したら喜んで話に乗ってくれたよ。」

「それ、当てずっぽうだろ。」

「推測って言って欲しいな。」

「夜鳴族の信用を担保にクロロの実力を無理矢理信用させたって事ね……。悪質。」

「感謝の言葉が欲しいね。お陰で早く事が進みそうじゃないか。これで誰かが損したかい?」

「してねぇが気に入らねえ。」

「そんなちっぽけな誇りプライド捨てちゃいなよ……って竜人種にそれは酷な話だよねぇ。」

「うっせぇな。」


 一々煽って来やがる。


「さぁ、戻ろうよ。」

「……。」


 俺は何も言わずに翼に風を当てる。


 痺れは完全に無くなっていないが、今ノックスを頼るのはどうにも気に入らなかった。俺は意地で体勢を整える。


「ノックス!」

「何だい?」

「ここまでしておいて泥々呑蛇ツァキィビを倒すのは手伝わないとは言わねえよな!」

「勿論だとも!」

「チクショウ! ならいい!」


 チクショウとは、ノックスが手伝ってくれるという宣言に安心した自分への悪態だった。捕まえたからな。色々聞き出して次回は確実に仕留める。そう誓いながらフラフラとモッズに帰るのだった。


 モッズの大玄関である茸の台には先に帰らせたマレフィムとペンタロットだけでなく、何人も俺を待ち出迎えてくれた。


「ソーゴさん! ノックスさんも!」

「ご無事で何よりです。」

「只今アメリ。ペンタロットも。ありがとな。無事に届けてくれて。」

「”流星”に誓いましたから。」

「……おう。すげぇよ流星。」


 ペンタロットの自称する称号に負けてない働きには頭が下がる。


「聞いたわよ。無事で安心したわ。」

「心配したよソーゴ!」

「ムステタ、カースィ、それでも上手くやってきたぜ。」

「それはもう凄まじい魔法でした。竜人種の”威”を思い知らされましたよ。」

「後で聞かせて。いつもペンタロットは”少し”大袈裟に表現するから困るのだけれど、今回の働きは誇張されても気付かなそうだわ。それに成果だってあるものね。」

「いえ! 私がありのままにあの誰も真似できぬ御働きを報告致します!」

「期待しておくわ。」


 少し呆れ気味にペンタロットをいなしながら俺を労うムステタ。


「ほら! カラスも心配してたんだぞ!」

「カースィ、カラスはまだそういうのわかんねえって……。」

『おー。』


 コブラが腕に抱えたカラスを俺に差し出す。


「それとカースィ、コブラ達を外に出すのは……。」

「あー……俺も反対したんだよ? でも、本人の意思がさ……。彼女は只の奴隷でもないし。……だろ?」


 奇異の目に晒されて欲しくない。そういう俺の思いもコブラは理解しているはずだが、それでも此処に来た。なんだか嬉しい。喜んじゃ駄目なんだろうけど……。

 

「コブラ……心配してくれたのか?」


 ポスッと床を一度叩き肯定するコブラ。


「ありがとな。」


 そう言って近付こうとするとコブラはカラスを胸元に戻し、俺から距離をとった。なんだ?


「……ん?」

「ソーゴさん。」

「どうしたアメリ。」

「無事に帰ってきたのは大変嬉しいのですが……何故そんなに臭いのです?」

「は?」


 臭い? 俺が?


「口臭いよねぇ彼。」


 ノックスがそう続けた直後、無慈悲にも風が吹く。


「うっわぁ! ソーゴ、何があったの!?」

「これは……ベスの糞を煮詰めた様な臭いね……。」


 カースィやムステタが顔を顰めてオブラートにも包まず感想を漏らす。それを皮切りに同じ臭いを嗅ぎ取った周囲の連中がザワつき始めた。


「お、お前ら? 違うんだって。これは――。」

「むぅ……これは凄まじい悪臭であるな。」


 そう言って人混みから現れたのはホードだった。


「はっきり言ってくれんなよ。」

「此度は大変助かった。竜人種の力を疑うなどしてはいなかったが、成すべき事が成された事にただ感謝したい。」


 ……よく言うぜ。


「話は聞いてるよな? これで後は泥々呑蛇ツァキィビさえ倒せばいい。そうだろ?」

「あぁ、いいだろう。」

「ならいい。すぐにぶっ倒してやるからよ。」


 これがハッタリにならない様にする。それが俺の”成すべき事”だ。


「期待はしているが……その臭いは早く消した方がいい。」

「俺だって好きでこうなってる訳じゃねえよ!」


 格好つかねえな!


「ソーゴさん、鼻が曲がりそうです。一体何をやらかしたらこんな悪臭を? 得意の水魔法で洗ってください!」

「やってこれなんだよ!」

「ちゃんと洗ったのですか? ムステタさん! あ、ホード様、申し訳無いのですがこの悪臭を早くどうにかしたいので此処は失礼させて頂きます。」

「……うむ。」

「ありがとうございます。さぁ! 走って下さい! のんびり歩いていたら迷惑です!」

「急かすなよ!」

「急かしたくもなりますよ! 目に染みる臭いです!」


 が使えると思ったし、多分泥々呑蛇ツァキィビに効いたはずなんだよ。でも、ここまで言われるなら使うのも考えもんだ。


「こ、コブラ! 行くぞ!」


 名前を呼ばれカラスを抱えながらスルリと俺の側に付くコブラ。|嘴獣人種(しじゅうじんしゅ)の町を忙しなく移動する俺等に鋭い視線は感じなかった。


「ソーゴー! 後で臭くなった理由聞かせてねー!」

「言われなくても絶対に話す!」


 家の前まで戻るとノックスとコブラはアメリの指示に従って桶に大量の灰を持ってくるのだが……。それが石鹸の代わりだと思ってもいなかった俺は涙目になりながらも全身を洗われるのだった。水はセルフ顕現である。


 こんなんで臭い落ちるのかよ……なんて考えもしたが、その心配は俺の身体を擦るコブラが見つけたとある異変により吹き飛んでしまうのだった。


「どうしたのですか? コブラさん。」

「これは……脱皮かい?」

「そ、ソーゴさん! 鱗が……!」


 ある意味当然とも言える出来事である。

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