第217頁目 罪って割れるの?

 あれからノックスは家に帰って来なかった。ここまで姿を見ないのは初めてだ。何かあったのかもしれないが、ノックスが行方不明になった所でそこまで心配にはならないというのが本音である。だが、一つだけ問題があった。


 今日が倉庫を壊すという作戦の決行日なのだ。


「(此方です。)」


 光る虫籠を持ち、俺の前を歩くペンタロット。俺の頭にはマレフィムが乗っているが、結局コブラはお留守番になってしまった。理由は二つ。俺達から逃げないという保証が無くムステタが許可してくれなかった事と、空が飛べない事である。単純な事だがどうしようもない。


 空が飛べないなら捕まえんのスグだろって思ったんだが、”底”に逃げられると追うのが難しい上に敵に捕まった場合情報を漏らされたり人質に取られる恐れがどうのこうのってのでとにかく駄目らしい。しかし、どんだけ”底”って危険なんだ? 聞いたところ、敵も”底”には行かないらしい。


「(さぁ、着きました。)」


 なんて事ない行き止まりだ。特に何かが有る訳でもない。しかし、此処で作戦は行われるのだ。


「(見て下さい。)」


 岩の壁からは刀の様な鋭い光が差し込まれていた。ほんの小さな亀裂とも穴とも言えるソレは人為的に作られた物なのだろう。


 俺は人間と違って目が横に並んでいない。だから、そっと横顔を壁に近づけて目に光を刺した。


 崖、崖、崖、茸、崖、崖、茸、枯れ草……彼処あそこか。視力を強化してようやく捉えられた枯れ草による簡易テント。台地の上にあり、横や下から見ない限りはバレにくい見た目に繕ってある。何でも、逃げ道が無くなるから洞窟の様な基地を作る事は無いらしい。しかし、見えるのは少し不自然な枯れ草だけで肝心の建物そうこらしき物が角度的に見えないんだが……。


「(それっぽい物は見えたんだが、アレでいいのか?)」

「(見せて下さい。)」


 俺の視界を遮ってマレフィムの後頭部が割り込んでくる。


「(不自然な枯れ草がありませんでしたか?)」


 そう改めて聞いてきたのはペンタロットだ。


「(あったよ。でも、それくらいしか見えない。せめて前を遮る突き出た茸がなければ……。)」

「(それで構いません。茸がなければ此処がバレてしまっている可能性もありますから。)」

「(つったって、目標が見えなきゃ当てらんねえよ。)」

「(いえ、ソーゴさん。その茸に何やら印らしき物が見えます。)」


 壁から目を離さず話に割り込むマレフィム。


「(何?)」

「(はい。そこを狙って頂いて可能な限りの高威力で貫通力の高い魔法を撃って頂ければと思っております。)」


 そんなペンタロットの説明を聞いた上で再度を穴を覗くとなるほど。茸の傘の縁に明らかに不自然な欠けがある。あれが目印なんだな?


 そんで狙撃者はいてもこれを確実に遂行出来る狙撃者はいないっていうのもわかった。これじゃあ結構な威力が必要だ。


 作戦としては、一撃放つ。撃った直後に居場所が割れるから速攻逃げる。という簡単な物。なんでも、アニマを伸ばして近付け過ぎると探知されるらしいから本当に威力を高めて撃つしか方法がない。


「(本日は幸運にも晴れています。)」

「(そうだけどよ。夜にやらないのか?)」

「(目印が見えなくなりますし、夜目が聞く種族は恐らく向こう側の方が多い。)」

「(あー……なるほど。)」


 夜行性は獣人種の方が多い……のか?


 にしても獣人種か……ダロウやメビヨン達も――違う違う! 余計な事を考えるな!


「(ここは風の影響も強いです。生半可な威力の魔法だと決して目的を達する事は不可能でしょう。)」

「(風だろ。わかってる。心配すんな。ありったけの力を込めて撃ってやるからよ。)」


 今は違う場所で戦闘を起こしていて、あの基地にいる人員も比較的少ないと聞いている。


「(悪い、ペンタロット。少し離れていてくれないか。アメリとだけ話したい事がある。)」

「(アメリ様と? 承知致しました。しかし、決して大きな声は出さない様に。渓谷の風は時に声を運びます。)」

「(お、おう。)」


 俺の願いを聞き入れ少し離れた場所へ移動するペンタロット。


「(……どうしたのですか。)」

「(わかってるだろ。俺は、人を殺すかもしれない。)」

「(……はい。)」

「(今、なんで此処に立っているかもわかっちゃいない。いや、わかっちゃいる。わかっちゃいるんだが……。)」

「(落ち着いて下さい。クロロさん、貴方は気付いているんですよ。もう、その段階にはいない事に。)」


 ……。


「(私だって肯定したくはありません。しかし、貴方はもう……。)」


 ここでうだうだ言う事こそ。無駄な抵抗なんだ。


「(だから私も今日この場で貴方と共に背負おうと思うのです。)」

「(背負う? 何を? 罪をか?)」

「(全てです。コブラさんが今日同行しなかったのは幸いだったかもしれません。クロロさん、共に進みましょう。私も、ミィさんも側にいます。そうですよね?)」

「(うん。って言ってもその罪悪感みたいなのは余り意識して欲しくないんだけどね。)」

「(意識してこそのクロロさんなのです。だから私は貴方を嫌いになれない。)」

「(お前ら……。)」

「(仕方ないとは言いません。ですが、今日は私の嘘を信じて下さい。クロロさん、貴方は人を殺さない。)」

「(……。)」


 母さんに……会うんだ。全部は要らない。今は目の前の事に集中する。


「(本当はクロロさんにそんな目をして欲しくなかった……。)」


 その言葉は、聞かなかった事にする。


 俺は再度光を目に入れた。目標を確認。


 ……ふぅ。


 覚悟を決めるってのは何だろうか。


 カリッという異音がして俺はすぐに足元を確認する。


 手が、震えていた。アストラルもマテリアル《身体》もこの行為を拒んでいる。しかし、それでも行動を起こすこの動力は何処から来ているんだろうか。


「(クロロさん……私の魔力を使って下さい。)」

「(マレフィムの? 別にいいよ。俺だけで足りる。)」

「(足りないでしょう? 勇気が。)」

「(……なら、俺の側にいるだけでいい。)」

「(わかりました。)」


 マレフィムはそっと俺の首の根本に寄り添った。


 そうだよな。いつまでやる気だよ。ここまでマレフィムがお膳立てしてくれてるってのに……!


 俺はまた穴を覗きこんだ。もう足元からは音が聞こえない。それよりも、マレフィムの鼓動を感じる気がする。


 アニマを展開。そう言えば出来るだけ高威力の魔法を使おうとした事なんてあったっけ。過ぎた物はなんであっても災いを呼ぶ。今思えば憎んでいたザズィー相手にさえ俺は高威力を意識して魔法を使わなかったと思う。


 ホントに、俺はやりたい事とやってる事がチグハグだな。


 今日はせめて、チグチグくらいにはしてやりたい。


「……ッ!」


 一呼吸なんて置かなかった。迷いをマレフィムが隠してくれている内に全てを終わらせる。アニマは穴のすぐ外へ配置。茸の傷はきっとここから狙った角度を意識した印だろうからそこまで遠くには伸ばさない。


 顕現、顕現、顕現……。


 水だけじゃ駄目だ。火が使えないんだからせめて倉庫の中の資源を徹底的に壊せる様な熱を……! 何もかもを吹き飛ばせる様な勢いを!!


 想像しろ! 創造しろ! 力を! 可能性を!


 前世で焦がれた英雄ヒーローの様に!


 超常を振るえ!


「波アアアアァァァァァッ!!」

「ソーゴ様! 一体何を!?」


 驚くペンタロットの声。そう言えば何も言わずにやってしまった。だが、知らせる余裕も無かったんだ。許せ。


 大爆発を起こしたかの様な音を立ててビームの如く熱湯が放射された。穴から見える景色は真っ白で何も見えない。しかし、遠くから比較的鈍い破砕音はしたんだ。あれは茸を砕いた音だろうか。


「見えねぇ! 当たったのか!?」

「ソーゴ様! アメリ様! 逃げるのです! 奴等はすぐにでもやって――。」


 ペンタロットが言い終えるまでもなく、壁が爆ぜた。


「ぐあっ!?」


 想定以上に迅速な反撃に驚き戸惑いながらも、この衝撃で最も被害を受けていそうな者の名を咄嗟に叫んだ。


「アメリ!」


 光と土塊の匂いが辺りを満たす。パラパラと石が転がる音。返事はない。


「アメリ? アメリ! 嘘だろ?」


 心音がわかりやすく大きくなっていく。視界が鼓動で揺れる。そして、鼻の奥がツンと染みた。


「……ぶ、無事です。」

「アメリ!」


 瞬間的な過労働をした心臓が少し落ち着く。彼女は無事だった。


「驚きました……。」

「お二人共無事で何よりです。ですが、今はまず撤退しましょう!」


 ペンタロットは崩れた壁とは逆の俺らが歩いてきた方へ走っていった。俺等もそれに付いていく。


「あぁ。だが、ペンタロット。頼みがある。」

「なんでしょう?」

「アメリを頼んだ。」

「ソーゴさん!?」

「アメリ様をですか。」

「い、嫌です!」

「こう仰られてますが……。」

「頼む! アメリ! コイツは流星のペンタロットとかいう飛ぶのがめっちゃ速い奴なんだ。俺がお前を守りながら飛べるか自信がない。」

「しかし……! 恨みますよ!」

「何もねえから大丈夫だ。」


 ここで言い合えば言い合う程、危機は近くにやってくるとマレフィムも知っているからだろう。苦々しい顔で悪態を吐き、それでも言うことを聞いてくれた。彼女はそっとペンタロットのマントに収まったのだ。


「ペンタロット、守ってくれるな?」

「流星の名にかけて。」


 クッソ……悔しいけど格好いいな。


「ありがとよ。」

「ではっ!」


 言うも早く短い足で洞窟の出口から飛び降りるペンタロット。落下の様にも見えるが、その軌道から加速しつつ滑空しているのがわかる。


 直後だ。後ろの方から不自然に反響する音が聞こえた。もう誰かが追って来てるらしい。


「クロロ! 早く!」

「わかって……。」


 急かすミィに返事をしながらも飛び降りるはずだった。しかし、暗い。影が落ちている。空が曇ったのか?


 だが、上を見上げればその理由がすぐにわかった。



 ――岩が降ってきたのだ。



「クロロ!」

「うぉあかってるってのおおお!!」


 冷静になりきれないが、それでも動かなくてはならない。俺はこの時、前に踏み出さなきゃいけなかったんだ。しかし、俺が選んだのは……。


「っらー!」

「そっちは……!」


 すかさずぶち込まれる岩。それは容易く俺から景色と退路を奪い取った。


 俺は再び洞窟の奥に戻ってきてしまったのである。敵が向かってきているであろう方向にだ。

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