第210頁目 義務と希望?

「なぁ、ムステタ。コイツの目って何処だ?」

「生まれたてなのだから、まだ開かないわよ。」

「なるほど。そういうもんなのか。」

「嘴が大変大きいですね。」

「これでは重心が前に偏って上手く動けないと思うよ。首が据わるのを待った方が良い種族かもね。」


 此処にはいないはずの落ち着いた少年の声。


「ノックス!」

「やぁ、無事生まれたんだね。少し惜しいけど、おめでとうと言っておくよ。」

「一言余計なんだよ。」


 ムステタとの指示通り、生まれたての雛を布を詰めた網籠の中に入れた。


『ピッ、ピイッ。』


 親とは全く異なる羽毛だ。こんなに綿毛っぽくはなかったはずなんだが……。


「この雛、影鳥族で合ってるのか? なんか全然見た目が……。」

「雛と親の姿が違うなんてよくある事よ。それに虫人種と比べたらそこまで差は激しくないでしょ。」

「虫人種と比べてしまうのはどうなんでしょう……。」


 そうなのか……? でも、鶏とヒヨコも全然見た目違うしな。こいつもそんな感じなのかも。


「にしても凄いな。羽毛の感触が全く無かった。」

「それ程柔らかいのでしょうね。」


 マレフィムも触りたそうだが、近寄ろうとはしない。赤子の力だって馬鹿にならないからな。


「出来るだけ触らない様にね。どうしても触らなくてはならないなら手を洗ってから。それと、この部屋の湿度は保たないといけないわ。」

「わかった。」

「今は歩けないみたいね。食べ物は数日間あげなくても大丈夫よ。多分食べないはず。でも、いつでも食べさせてあげられるように泥モルを用意しましょう。」

「泥モル?」

「モルモルを擂り潰した物よ。水に溶かすと泥みたいになるの。」

「酷い名前だな。」

「それだけだとあまり美味しくないから仕方ないわ。消化し易い赤子用の料理よ。大人が食べるのは体調が悪い時くらいね。」

「ふぅーん。それをコイツの飯にすればいいんだな?」

「そうね。それと、コイツじゃ可愛そうよ。名前を付けてあげなさい。」

「ウェッ?! 俺が!?」

「当然です。ソーゴさんが親なのですよ?」


 マレフィムに正論で釘を刺されてしまった。親……引き取り手が見つかるまでは俺が親か……。俺が、この命の……。


「うーん……そうだな……。」


 同じ轍は踏まない。


「コイツの性別ってわかるか?」

「そこまではわからないわね。持ち上げたら分かるかもしれないけれど、今は触れないし……。」

「性別を気にするなんて、嘴獣人種の男女意識をよく理解出来ているね。」


 なんてノックスが言うけど、そんな思惑は特に無い。


「中性的な名前にしてはどう?」

「中性的……。」


 ってなんだよ! ぶっちゃけこの世界の名前でどれが女性っぽいとか男性っぽいとか知らねえわ!


「……カラスってどうだ?」

「カラス、いいわね。確かに中性的だわ。」

「私もいいと思います。セクトやコブラさんもそうですけど、ソーゴさんって絶妙な名前を付けますよね。」

「それ、褒めてんのか?」

「独創性があるという意味です。」

「因みに由来は?」

「え゛っ……。」


 ノックスから鋭い質問を投げられる。なんとなくじゃ可愛そうだと思われるし……。


「なんだったっけな……。何処かで聞いた名前なんだよ。」

「ソーゴさん? それはもしや……。」


 心配そうなマレフィム。


「どうした?」

「いえ、例の記憶の混濁かと……。」

「あ、そ、それかもしれない! でも、まぁ、いい名前だろ? 悪い意味じゃないと思うんだ。」

「記憶の混濁?」

「なんでもねえよ。俺の昔の記憶が由来だ。それ以上は聞くな。」

「そういうのこそ気になるんだけどね。」

「気が向いたら話してやるよ。」

「そう願ってるよ。」

「お湯が沸いたよ!」


 カースィが報告に来る。彼は今義手を付けて無いから壺や瓶を持つ事が出来ないのだ。軽い物ならついばんで持てるんだけどな。


「今行くわ。」

「まだ足すのですね……。私はこの部屋、少し辛いです。」

「無理をしないで。アメリはカースィと一緒にこの部屋の外にいた方がいいわ。行きましょう。」

「ボクもそうしよう。竜人種の耐熱性は便利だねぇ。」

「あぁ、お前等には辛いのか。……コブラは?」


 俺の疑問に答えるが如く、籠の外周を尻尾で囲むコブラ。どうやらまだここにいるつもりらしい。


「無理はすんなよ。」


 そんな細やかな労いの言葉を掛けながら目を合わせる。綺麗だ。硝子球の様な目は人間と違い左右側面に付いている。俺と同じだな。


「生まれてよかった。」


 タンッと軽く床を叩く。どうやらコブラもそう思ってくれているらしい。


「なぁ、コブラ。その……。」


 単なる思いつきだった。コブラに聞いてどうにかなる話じゃない。それでも知りたかった。


「お前は人を殺した事があるか? 正直に話してくれ。それでどう答えようとお前を責める気はないから……。」

「……。」


 再度床が叩かれた。一度だけ。


「そう、か……。それは嫌いな人間……だよな。そうじゃなきゃ殺さないよな。罪悪感はあるか?」


 二度床が叩かれる。罪悪感は無いのか。


「話を、変えよう。あぁー……今の生活は此処に来る前よりマシか?」

『……タンッ。』

「よかった。俺は少しくらい信用されてんのかな……。」

『タンッ、タンッ。』

「……え?」


 二回……?


「俺は……まだ信用ならないか?」

『タンッ。』

「そう……そうか。そ、そうだよな! 会ってまだ何日も経ってないし……。」


 俺は彼女に殆ど何もしていない。奴隷を人として扱うのが如何にこの世界で異常だったとしても、俺は今”人”を”人”として扱っているだけ。これまでコブラがどういう扱いをされてきたか知らないが、そこまで粗雑に扱われていなかったのかもしれない。第一ゴミみたいな扱いをされてた奴隷を要人に送る訳無いし……。つくづく、奴隷ってもんがわからない。あぁ、『物の様に扱う』とか言うけど、前世でも今世でも人より大事にされている物なんてありふれてるもんな。でも、コブラって亜竜人種だし……うーん……。


 でも、ある意味では信用されてるみたいだ。俺に本音を話しても問題ないと考えてるみたいだからな。


「アメリに教わってる読み書きはどうなんだ?」

「……。」

「あっとごめん。その質問は”はい”か”いいえ”じゃ答えられないよな。……コブラ、実は話せるとかないよな?」

『タンタンッ。』

「そーだよな! いや、つい最近そんな嘘を吐かれたというか……まぁ、忘れてくれ。で……勉強は楽しいか?」

『タン……。』


 少し弱々しく叩かれる床。『多分?』といったニュアンスだろうか。きっとつまらなくはない感じなんだろう。なんだかその答え方が幼児の様な拙さで思わず小さな笑いが漏れてしまった。


「じゃあ、もっと頑張らないとな。お前を――。」

『ぴぃ。』


 カラス……カラスは引き取り手を探すつもりだが、コブラはどうなる? 『今日から家族』だなんて軽々しく口にしたが、今後の展望は何も見えちゃいない。信用されない訳だ。俺の言葉には責任感が籠もってる様に聞こえないんだ。本当に空っぽだから。漫然と”予想想像上でくらいコブラの未来を悲観するのはやめよう”と思っていた。それは違う。コブラを真の意味で家族にするなら俺は彼女の未来について現実的に考え憂うべきだったんだ。


「お前等を幸せにしなきゃ。コブラもカラスも……。」

「はぁ……そういう事言い出すから私は反対だったんだよね。」

「ミィ?」

「目的を忘れないで。」

「そりゃ、わかってるけど……。」

「わかってない。ねぇ、コブラ。悪いけど、クロロに頼るとか、希望を持つのはやめてよね。」

「お、おい。」

「……。」


 バシッと強く床が叩かれた。強い意思を感じる。それは何に対しての肯定なのか。


「コブラ。ミィの言う事は鵜呑みにしないでくれ。俺はちゃんとお前達を守らなきゃいけないって――。」

『バシッバシッ!』

「え? な、何がだよ。何か間違ってるか?」

『バシッ!』

「何が間違ってるんだよ。俺はただ、責任を持って……。」

『バシッバシッ!』

「責任を持つ事がおかしいのか?」

『バシッバシッ!』

「なら何が――。」

「クロロがコブラを養う事じゃない?」

「はぁ?」

『バシッ!』

「なんで……。」

「あのね。クロロはコブラを奴隷から解放したつもりになってるかもしれない。」

「いや、そこまでは……だって話せないんだから何処に行っても扱いは同じなんだろ?」

「そうだよ。だからクロロはコブラを養おうって考えてるんでしょ。」

「あぁ。」

「……うん。私としては嬉しいけどコブラはきっとそれを求めてない。ちょっと安心したよ。」

「そう、なのか?」


 俺の問いに床を一度叩いて答えるコブラ。


「確かに虐げられる側からすれば、守られるのは嬉しい場合だってあるよ? でも、それより先にさ。本人がそうして欲しいかどうかでしょ。」

「……なるほど。」

「コブラ、答えて。君は”助けられたい”と”何方どちらでもいい”だったらどっち? 前者なら一回、後者なら二回叩いて教えて。」

『バシッバシッ!』

「ほら。コブラはただ守られるだけを望んでない。人じゃない事を受け入れて無いんだよ。」

「……わかった。なら、俺は何をしてやればいい。」

「それが駄目なんだよ。”してやる”って考えを改めなきゃ。相手の意思も聞くの。」

「それは今までも――。」

「出来てない。じゃなきゃ”幸せにしてやる”だなんて思い浮かばないはずだからね。それは間違ってるって訳じゃないけど、コブラは求めてない。」


 そうかもしれない。俺は”俺に委ねるという選択”を俺が選んで与えていた。それをやめろって事なんだろう。


「でも、守らなきゃ迫害されちまう!」

「そうだね。」

「それを黙って見てろって事か?」

「それは――。」

『バシッバシッ!』

「違うのか? じゃあ助けろって事か?」

『バシッバシッ!』

「んん?」


 訳がわからない。混乱する。放置でもなく助けるでもない? 他に何がある?


『――ッ……。』


 気付けばコブラはスーッと息を吐き出していた。何かを言おうとしている? だが、気体が漏れる音ばかりで声は何も聞こえない。すると、彼女は尾の先を綱籠から解き、隅に置いてあった木板とチョークを持ち出す。マレフィムに読み書きを教わる際に使用している物だ。


 筆談をする気か?


『カリ……カリ……。』


 慣れない付きで言葉が綴られていく。それは言い回しが拙いせいで俺でも読み取れた。


『すべきことだとおもわないで』


 その短い言葉で腑に落ちる。


「しなきゃいけない事じゃなくて、したい事としてやるならいいのか?」


 コブラはその問いに肯定した。


「なるほど……。ありがとう。言われなきゃ確かに義務みたいに考えてたと思う。」


 こういうのを一つずつ話し合っていったらいつか信用されるんだろうか。……直接聞くのはなんだか卑怯な気がするから言わないけど。


「だったら俺はやっぱりお前等を守りたいよ。」

「ふぅ……。」


 コブラが軽く溜息を吐く。妥協してくれたんだろうか。


「ちがーう! それじゃ駄目なの! 守らなくていいって言ってるんだからクロロは守ん――。」

「お静かに。」

「マレフィム? ねぇ、マレフィムも聞いて!」

「今は駄目です。ミィさん、少し声が大きいですよ。今は家にムステタさん達もいるのですから自重して下さい。」

「んー! クロロは後で私の話を聞かなきゃだからね!」

「わ、わかった。」


 ミィはやっぱり反対か……。


 目的は忘れてねえよ。でも――。

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