第208頁目 赤って何種類あるの?
「ソーゴ……ソーゴ! もう充分よ!」
「……ッ!」
本能と理性の何方を表面に浮かせるか。そんな考えにすら至らないくらい俺は本能に沈んでいた。……体中から美味な香りがする。
「ゔ……。」
その声の出処は頬の毛を濡らす獣人種だった。骨がむき出しになった腕を繋がれ、ぐったりとして何処かを見つめている。
「一人に時間を掛けすぎだと思ったけれど、恐怖を得る体験としては申し分ないわね。途中、魔法みたいな技も使って拷問してたけど、得意なの?」
「……まさか。」
口元を拭いながら、辛うじてそう返す。会話を深く理解しようとしてはいけない。淡々と作業をするんだ。機械みたいに。
「次の用意をしてくれ。は……。」
腹が減った、と口先まで出掛けてその言葉を飲み込む。
「わかったわ。ペンタロット。」
「はい、既に用意は整っております。枷を外して捕虜を交代させろ!」
ペンタロットの指示に応えて他の嘴獣人種達が作業を開始した。しかし、その中の一人が尋ねる。
「腕は引き抜きますか?」
「いや、敢えて引き抜かず腕だった物をぶら下げたまま返し畏怖させるという思惑だろう。曝したまま檻に返せ。」
奴隷はすぐに付け替えられる。まだ一体目が終わったばかりだ。
「ん……ん゛ん゛!」
そう騒ぐなよ……活きの良さを見せられたら……。
「では、お願い致します。」
「やっちゃって。」
「……。」
俺はそれからまた本能に潜っては浮き、潜っては浮きを繰り返した。腹が満たされる瞬間は来ない。無制限に美味を貪っていられる俺は時間も忘れて差し出されるご馳走を享受し、堪能した。
*****
「お疲れ様。」
「……。」
「大丈夫? 拷問を始めると人が変わった様になるのね。それが竜人種なのかしら。」
「ソーゴ様。簡易的な物で申し訳ないのですが、浴場の用意が出来ております。ご同行頂けますか?」
浴場……。
俺は噛み合わない思考の辻褄をなんとか合わせて付いていく意思を示す。
「……此方でございます。」
身体をゆっくりと動かして案内されるがままに付いていく。行き先は入り口の近く。そこには俺の身体がすっぽり入るくらいの底が浅い木桶があった。だが、中に水が入っている訳ではない。
「此の様な
「……無い。」
「であればどうぞ。中にお入り下さい。」
促され桶の中に入ると、ペンタロットが壁から突き出た木製のダクトみたいな物からぶら下がるロープを手に取る。
「此方から水が出ます。お掛けしても宜しいでしょうか。」
「……あぁ。」
「では失礼して。」
ペンタロットがロープを引くとダクト的な所から水が勢い良く出てきて俺の身体を
放水は中々の勢いという事もあって、桶の中をすぐに満たしてしまう。だからだろう。ペンタロットはすぐにロープから手を話して水を止めた。顎先から滴る色の着いた雫が桶に張られた水面に波紋を作っては煙の様に散っていく。
俺は…………。
「お疲れ様です。」
「本当にお疲れ様よ。こんなに長時間の拷問なんて久々だわ。私だったら体力が保たないわよ。」
「……そうか。」
……松明の明かりを強く感じる。もう日が沈んでいるらしい。
「そんな高そうな服、着たままでよかったの? 帰ったら洗った方がいいわよ。」
言われてから気付く。俺は服を着たままだった。血が染み込んで当然だ。この香りは落ちにくいだろう。
「でも、色は水だけで結構落ちたわね。今度からはせめて桶くらいもっとマシな物を用意するわ。」
「……これで構わない。」
「でも、それ水責めとかに使う桶よ?」
「……。」
理解が深まる様な会話はしたくない。ここは全てが俺の価値観から程遠い所にある概念から産まれた物ばかりだ。血肉を蓄える為じゃない。恐怖を、苦痛を与える為に作られた場所に行為に道具。俺は今日そこで何をした?
「飯……。」
「え?」
「飯が食いたい。」
「飯? あれだけ捕虜を食べたのに?」
「……食事がしたい。」
「わかったわ。今日は沢山働いて貰ったし、帰って夕飯にしましょう。」
「流石に我等の粗食を口にして頂くのは
「それはこの桶を使わせておいて言える事ではないけれど、確かに無礼を重ねる必要はないわよね。……早速だけど、帰る?」
「あぁ。」
「それじゃあペンタロット。後はお願い出来るかしら。」
「是非お任せを。」
「捕虜の解放は今迄と同じでいいわ。下手に変えても怪しまれる可能性があるでしょうから。」
「はっ。」
「……これくらいね。行くわ。ソーゴ、外は暗いけど大丈夫かしら?」
「大丈夫だ。先導してくれ。」
「流石ね。」
帰り道は全く飛行を楽しむ気になれなかった。ずっと頭がぼんやりとしている。自分が譲れない物が壊れる時ってこんな感じなのか。こんな事今迄……いや、違う。生きて欲しい友人がいた。でも、彼奴は死んじまった。生きて欲しかったのに。アレは自分じゃなく
俺にとって人を傷付けるとはその程度の事だったんだろうか。……それとも、人と人でない物の区別が曖昧になっている?
殺人なんてしたくない。殺人者にはなりたくない。どっちも嫌だ。それが何故か考えろ。
下衆に堕ちたくない。大切な存在を傷付けるだろう行為を肯定出来ない。殺すというのは殺されても文句が言えないという事だ。でも、命の中にある人というカテゴリはただの自称であってそこの境目がわからないのであれば……俺は
そう考えられるって事はもう、俺は向き合ってるんだ。俺は何度も死そうな思いをした事がある。それどころか一度は死んでいるんだ。恐ろしかった。痛かった。苦しかった。あれを他人に与えてまで生きていかなきゃいけないのか俺は。
*****
「ソーゴさん? 話聞いてました?」
「……ん?」
「やはり聞いていませんでしたね。どうしたのです? 帰ってきてから様子が変ですよ?」
俺は自分の家に帰ると、取り敢えずリビングとも言える居間に居座った。そう言えばいつムステタと別れたっけ。それに、何か言ってた気がする。
「もう! ミィさん! 何があったのか教えて下さい!」
「別に何もなかったよ。」
「何もなかった様な状態ではないですよ! ソーゴさんはムステタさんに付き添って仕事に向かったのですよね?」
「そうだよ。クロロは卒なく働いて――。」
ミィが話している途中、ドアがノックされる。
「何方でしょう?」
「私よ。入ってもいいかしら?」
ムステタの声だ。
「えぇ、どうぞ。」
マレフィムの許可が聞こえたんだろう。ゆっくりと扉を開けて入ってくる鍋を持ったムステタ。
「お料理、ですよね?」
「えぇ。ウチで作ってきたの。ソーゴが凄く疲れてるみたいだから少し手間を掛けてね。」
「疲れ……確かにその様ですね。」
「だからこれでも食べて元気になって。明日も仕事があるかはわからないけれど、大事な客人なのだし。」
「お気遣いありがとうございます。ほら、ソーゴさんもお礼を。」
「お……おう。ありがと――。」
俺が礼を言い終わる前にムステタは鍋を卓上に起き蓋を開けた。燻っていた香辛料の香りが爆発する。噴き上がる蒸気は刺激を帯びて俺の鼻孔に押し寄せる。
あぁ……美味そうな……。
「おぉ……。これはなんです?」
「ギムニのトトゥーロ巻き蒸しね。」
美味そうである。それは間違いない。だが、その料理を見て俺は妙な感覚に襲われた。
「やはりトトゥーロですか。赤い物を使用したのですね。ギムニは肉です?」
「そうね。アエストステルでは赤いトトゥーロが一般的よ。ギムニもこの国ではありふれた空を飛ぶベスね。」
「ほほう。」
「鱗が尖ってて面倒なんだけれど、あっさりとしながら歯応えもあって好きな人も多いわ。」
緩々と今日体験した朧気な記憶の輪郭をなぞる様に思い出していく。
「トトゥーロが熱されてよく溶けていますね。」
「そうよ。平たいトトゥーロに切れ込みを入れて下味を付けたギムニに巻きつけて蒸すの。」
「巻きつける意味はあるのですか?」
「トトゥーロは水分が多いから水を入れなくても蒸す事が出来るのよ。そして、トトゥーロの酸味と甘みが肉にもに染みるわね。」
「ふむふむ。」
ヒタヒタと這う様に血と闇と骨が映えるあの光景が脳裏に浮き上がる。舌に絡む仄かに温い潤滑と芳香。歯牙を包む肉と阻む筋骨。
「良い感じね。取り分けてもいいかしら? アメリの為にも柔らかくなる様に下処理したのよ。」
「態々ありがとうございます。」
水音に紛れて歯牙が筋を千切り骨を穿つ音が聞こえた。
「皿を用意しなくてはですね。ソーゴさん、手伝って下さい。」
この鍋に収まる真っ赤な肉塊。凝固し赤黒いゼリーの様になった血が膨らみを持った液体として形を作る。熱の通った血は生肉とまた違った色合いだが、それでも筋っぽさはそのままで……。
「ソーゴさん? ソーゴさん!」
現実も幻想も俺には違いがわからなくて、現実にいる自分が思い描く幻想は結局現実なんじゃないかとも思った。ただ、それが何であっても今の俺には受入れ難くて……。
「どうしたのかしら?」
「流石に異常です! 帰ってからずっとこの調子で……! 今日ソーゴさんは何処で何をしたんですか!?」
「何処で何をって、今日手伝って貰ったのは――。」
もう一度最初から考えようか。
――俺は今日何をした?
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